家中のミッドフィルダー【KAC2021作品】

ふぃふてぃ

家中のミッドフィルダー

 我が社もコロナ禍の影響を受け、遂にテレワークが始まった。しかし、全員が対象という訳には行かず、子育てや長時間の通勤等の、理由がある場合に限局された。

 該当の溢れたものは必死に策を巡らす。介護や持病さえも、皆が何かにつけては理屈を作り、テレワーク組に入るように躍起だった。


 そして、自分もその一人であった。妻はパートで育児理由での申請は降りず、たかだか三駅ほどの通勤では、認められなかった。妻も自分も両親は至って健康。自分自身に高血圧はあるものの、胸を張って持病とは言い難い。


 しかし、幸運が舞い込む。パートで看護師の妻が、フルタイムを上司から懇願されたのだ。それを良い事に「家の事は任せろ」と、妻の頼み二つ返事で了承した。

「ありがとう、助かるわ」と言う妻に、不純な理由という、後ろめたさを感じながらも、真っ当な理由が現れたことを喜んだ。


 テレワークが開始する。夢にまで見た、残業や満員電車の通勤が無くなる日。こんな日が本当に訪れるとは、感無量だった。


 そう、確かに思っていた。

 一週間前までは……。


 満員電車の悪夢の無くなった朝。妻は朝早くに「今日もお願いね」と出勤して行く。

「おう、いってらっしゃい」と痩せ我慢で送り出すが、ドアを開けてガックシと肩を落とす。


「こら、座って食べなさい。それから、テレビはハミガキした後だって。早くしないと幼稚園バスきちゃうよ」

 溜息が溢れる。妻が行った後は、いつもこうなる。その後も、悪戦苦闘の末に、どうにかバスに滑り込み、息子を見送った。


 送り出しても、直ぐに平穏が訪れる事はない。洗濯機を回して、その間に掃除。

 掃除がひと段落したら、息つく暇もなく洗濯機に呼び出され、洗濯物を籠に詰めて二階へ。


 この洗濯物を干すという作業が思いの外、時間がかかる。時計の針は十時を回っている。妻がドラム式を買いたいと言っていた事をふと思い出す。


 ピリリとなる携帯電話。相手は営業本部長。家の中だというのに、落ち着かないのは文明の利器の賜物だ。


「お疲れ様です。」

 ワントーン声を高くして、虚構の相手に頭を下げる。テレビ電話でも無いというのに、染み付いたサラリーマン根性が、遺憾無く発揮される。


「主夫生活は楽しそうだな」と嫌味から入り、同僚の愚痴から後半の愚痴まで、立場上、通話を切れない事を良い事に、相手はぶち撒けたいだけ、ぶち撒ける。

 本件はというと資料の作成依頼。ものの数分で事足りる内容だった。


 大急ぎで資料の作成に取り掛かる。今週のノルマも、まだ残っているというのに。こっちは愚痴を言う暇もない。

 なぜ時間がないのか。なぜなら三時間後には、怪獣が帰ってくるからだ。


 とりあえず、資料を形にしてメールを送る。完成した後に、突き返されたら元も子もない。部長の気が変わる前に、承認だけでも得て置くのが鉄板だ。気がつけば、時計は十二時ちょうど。タイムリミットまで二時間弱。


 冷凍ご飯をチンして、納豆を振りかける。空っぽの胃に、非常食のように詰め込み、早々にして家を出る。

 そして、子供乗せ自転車「ビッケ」で爆走。小さい車輪には、少しの登り坂でもキツイ。こんな事なら電動アシストを、つければ良かった。妻の言い分は聞くべきだった。



 ゴッタ返すスーパー店内。初めは料理も楽しかろうと考えていたが、一週間もすると献立が思いつかないない。


 惣菜作戦は昨日に使ってしまった。

 冷凍餃子作戦は一昨日。

 中華は息子が嫌がるし、たこ焼きはオカズに……ならないか。


 魚はどうだ。よしっ、シャケにしよう。鯖は食わなかったもんな。めんどくせぇ〜、ウチの息子。


 ハァ〜、後は野菜か。トマト嫌い、ブロッコリー食べない、ピーマンなんて持ってのほかだ。気づけば息子中心に思考を巡らせていた。


 胡瓜は食べるか。

 よし、漬け物にしよう。後なんだ、思いつかねー。ウィンナーをボイル。もう決定。


 ヤバッ、時間がない。


 即座にレジに並ぶも進みが悪い。刻々と過ぎゆく。会計後、急いで食材を詰め、帰りもビッケで爆走。



 二時過ぎ、怪獣襲来。



 とうとう息子が帰って来てしまった。

 仕事が少しも進まぬまま、後半戦に突入する。


「父ちゃん、今日ね、今日ね」


「わかった、わかった。まずは手洗いうがい」

「幼稚園でやったよ」

「幼稚園でやっても、ウチに帰ったらやるの。ほら、オヤツあるから」


 やっと休憩だ。オヤツの力を借り、自分は見逃し配信の、マンチェスターとレアルの試合を見なければ。テレビをポチッと。


「食べ終わったよ」

「はえーよ!」

「父ちゃん、怪獣ね」

「だめ、父ちゃんはこれから仕事なの」


 ノートパソコンを開き、仕事アピール。

「じゃあ、怪人でいいよ」

「だから、仕事なの」

「じゃあ、手伝ってあげる」


 カタカタカタカタ、

 カタカタ、カタカタ、


「はい」

「ハイッじゃない。退いてね。」

「つまんない、つまんない〜」


 ブスくれた息子、ここは伝家の宝刀「動画配信サービス」、泣く泣くサッカー中継は、威風堂々の入場シーンで終了。


「ほら。ハナキンでも見てなさい」

「ゲームは?」

「いいけど、やられても泣かない?」

「じゃあ、こっちでいい」


 やっと、パソコンに向かえる。部長からのメールで承認を確認し、資料を完成させる。仕事内容も我ながら上々。後は本日分のノルマを達成させれば……ッ!


「ぱ〜んち!」

「イタッ」


 キュウィーーーッン。


「へ〜ん、しん。トウッ」

「イタッ」


 気がつけば、床には玩具が散らばり、息子の腰には変身ベルト。そこから機械音が響く。


「こきゅう、十のかた!」

「剣で叩くのは辞めなさい」


 注意を無視する息子に、こっちも床に転がる剣で対抗する。こんな小童に負けるわけにはいかない。


「うりゃ、こっちは秘伝葛城流じゃ!」


 プラスチックがプラスチックを弾く。危機迫る鍔迫り合いを、幾度となく繰り返す。

 こうやって玩具が壊れていく事は、重々承認ではあるものの、男には負けられない戦いがある。


「てりゃ〜」

「うりゃ〜」

「ただいま」


 ガチャリとドアが開く。青ざめる。

 玩具の散乱。気づけば六時半。今から夕飯。支度は、やっとらん。


 無洗米を炊飯器に急いでセット、早炊でスタート。フライパンでお湯を沸かす。


「お、おかえり。もうちょいで…出来るから。」

「ありがとう。ほら、アンタは、お片づけ」

 悔しいかな。息子は妻の言う事には従う。納得がいかないが、今はそれどころじゃない。


 鍋にもお湯を沸かして、味噌汁づくり開始。早々に豆腐を買い忘れた事に気づく。ーーワカメだけで今日は勘弁してくれ。

 フライパンにはウィンナーを全投入してボイル。その間に華麗な包丁さばきで、漬物を切っていく。


 ウィンナーをザルに開け、再度フライパン。キッチンペーパーを敷き、シャケを焼いていく。

 我ながら手際がいい。盛り付けつければ……朝食みたいな夕食の完成。


「父ちゃん、きゅうり、くっついてるよ」

「うっさい、黙って食え」

和やかな家族の団欒。


 その後も、子供を風呂に入れる。嫌がる息子に構わず、ゴシゴシと頭を洗ってあげる。

 食器洗いは妻の担当。寝かしつけまでは、のんびりと、させて頂こう。


 洗濯物、取り込むの忘れてた!


 妻に気付かれぬように、着替えの終えた息子にドライヤー。妻が風呂に入ったのを確認。ジャバッと水音を皮切りに、二階へダッシュ。


 冷たくなった洗濯物。自分の物はテキトーにタンスに突っ込み。子供の物は畳んで、妻の物は丁寧に畳んで。


 最後の難関は寝かせつけ。この勝負に勝てば、マンチェスターが俺を待っている。


 背中をトントン。

 トントン、トントン。

 トントン…トン……ト………。



 ハッ。また、やってしまった。

 気づけば、日付を跨いだ深夜の丑三つ時。


 幽霊よりも、片付かぬ仕事のノルマが恐ろしい。使命感に駆られ起き上がる。決して、部長が怖い訳ではない。


「あっ、ごめん。起こしちゃった?」

 妻は布団に潜ったまま、顔を横に振る。その隣には、朝とは打って変わって、天使のような寝顔が、ヘソをだして寝息を立てている。


「今日も、ありがとう。おやすみ」

「お、おぅ。おやすみ」


 

 リビングに移動し、テレビとパソコンを起動。夢にまで見たテレワークは、深夜残業という形で達成された。


 パソコンの立ち上がりが遅い。


 今日も、ありがとう……か。

 子供が産まれて、この数年、僕は妻に感謝を告げた事があっただろうか。


 テレビ画面には、マンチェスターの若きエース、三十九番。イケメンのミッドフィルダーが、人智を超えた運動量で、縦横無尽にフィールドを駆け巡っていた。


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