短編「おうち時間」

snowdrop

おうち時間

「おうち時間って言葉、ぜったい変ですよ」


 ガラス製の爪やすりで爪の手入れをしながら、ノートパソコンの画面に映る後輩彼女の言葉に耳を傾ける。


「大の大人が『おうち』って幼児言葉つかって世に広めてるのに違和感ありすぎ。うちらは子供じゃないですよ」


 聞いていて思わず笑ってしまった。


「そうかもしれないね。だけど、お偉いさんからしたら、うちらは年下なんだから、充分子供だと思うんだけど」

「それはそうかもしんないですけど、だからこそじゃないですか。ぜったい子供扱いして、バカにしてますよ」


 できた、と磨き終えた指先に息を吹きかける。

 何もしていなくても、髪や爪や伸びるものなのだ。


「バカになんてしてないと思うよ。そうやって勝手に相手を仮想敵に決めつけて文句をぶつけていても疲弊するだけで、何も好転しないと思うんだけどなぁ」


 画面に映る後輩に、磨き終えた手を見せる。

 後輩は眉間にシワを寄せて目を細めていた。

 外で会うと後輩はいつも、髪をブロウして気合い入れたメイクを施し、身だしなみを整えている子だった。画面越しの彼女は普段と違い、というよりもこちらが普段だろうけれども、寝癖のまま薄汚れたピンクのジャージを着ている。メガネとマスクをつけて、メイクをしていないのをごまかそうとしているのがバレバレだ。


「でも、気持ちはわかる」

「わかるんだったら」


 後輩の言葉を遮るように、言葉を続ける。


「私も子供だったときがあったからね。あのころは、大人達の身勝手な事情に翻弄されるのが嫌だった。かわされない視線が他者との拒絶となって苦しんできた子供時代は、大人になることで変わった」


 新型コロナウイルス感染症が世界中に蔓延してはや一年が経過。非常時の日常にも慣れつつあった。幾度となく台風や地震による自然災害に見舞われ、震災をも経験して今日まで生き延びてきた下支えのおかげかも知れない。


「歳だけとっても何も変わりませんよ」

「経験の蓄積あっての年齢だからこそ、体験を通して直感を養い、直感がモラルとなり、ルールを構築していく。視線の拒絶は、他人のものだけじゃない。自分の視線でもあったことに気づけたの。拒絶していたのは他人ではなく、自分だった。それに気づけば、恐れず視線を合わせていけばいい」

「それが大人になるってことですか」

「そう。相手を力任せに屈服させ、ときに殺めて克服するのではなく、視線を交わして胸の中にある思いを打ち明けて和解する。対話と選択ができてこそ、大人になるってことなのよ。私達は子供じゃない。幸か不幸か大人達の身勝手な事情が明らかになったのは、大人になった証拠だよ」

「当事者意識ってやつですか」

「そうね、大人は責任取らないといけないから」


 子供が幸せに笑っていられるのは、周りの大人が辛いことを肩代わりしているからだ。大人になると親の苦労が忍ばれるのは、役目の順番が自分にまわってきただけ。


「だから、子供がわかるような言葉をあえて使うんだと私は思う」

「自粛要請の漢字ばかりな言い回しでは子供が読めず、ステイホームのカタカナ横文字ではお年寄りはわかってくれない。だから『おうち時間』ですか……なるほど」


 画面に映る後輩は、腕組みをしつつ何度もうなずいている。


「ところで先輩」

「なに?」

「おうち時間はどう過ごされてるんですか」

「映画」

「あー、映画三昧ですか。いいですね」

「それもあるけど、映画見に行ってきた」

「はぁ? 不要不急の外出を自粛するよう要請されているのが『おうち時間』でしょ」


 裏返る声がスピーカーから流れながら、いまにも飛び出してきそうな勢いで画面いっぱいに眉をひそめた後輩の顔が表示される。


「どうしても映画をみなければならない場合は、不要不急じゃないでしょ」

「映画館で働いてるわけでもないのにどんな不要不急の理由ですか、まったく。それで……なにを見たんですか。鬼滅ですか、銀魂ですか」

「それもみたけど、シン・エヴァを」

「はあ? 初日に見に行ったんですかっ、どういう神経をしてるんですか、先輩は」

「どうって……新型コロナウイルス感染症のせいで二度も上映延期になったんだよ。ヱヴァQの上映から九年も待ったんだよ」

「待ったのは先輩だけではないですよね」

「でもでもでも、完結するのを心待ちにしながらその日を迎えられずに天に召された人たちのことを思うと、じっとなんてしていられなかったんだって」


 二〇〇七年に新劇場版の序が上映されてから十四年。

 一九九七年に旧劇場版が上映されてから二十四年。

 一九九五年に放送が始まり九六年に最終回を迎えたTV版からは二十五年。

 四半世紀の歳月を経て、三度目の完結にたどり着いたのだ。


「アニオタじゃなければエヴァファンでもなく、アスカ推しでもないんだけども、それでもなんとなく見てきたから映画館に行きたいと思ったんだよ」


 画面に映る後輩に手を合わせ、怒らないでと懇願してみる。

 呆れつつ、息を吐く音がスピーカー越しに聞こえた。


「わかってくれた?」

「先輩の気持ちはわかりました。私も見たいと思っているので、軽率ながら見に行った先輩の行動力には感服します」

「そんなに褒めないでよ」

「褒めてません」

「マスクも手洗いも、感染予防は完璧だったから大丈夫だって」

「そうですか。それよりひょっとして、会話の中でネタバレをしてませんか?」

「してないしてない。ぜんぜんしてないよ」

「本当に?」


 画面いっぱいに後輩の顔が映る。

 眼光鋭く眉をひそめて睨んでいた。


「疑り深いんだから。可愛い後輩にそんな事するはずないでしょ」

「どうだか」


 顔を横に向けて小さく舌を出す。


「あー、いま先輩、舌出しましたよね。ほらやっぱり嘘ついてる」

「後輩ちゃんもシンちゃんを見習って、大人にならないと駄目だぞ」

「……先輩、ひょっとしてネタバレを」

「してないしてない。視線を合わして対話と選択ができてこそ、大人なんだから。いつまでも『おうち時間』の呼び方が変って文句いうのはやめたほうがいいよ」


 画面越しに後輩に告げると、映画館で購入してきた真っ白な表紙のパンフレットをこれみよがしに開いてみせた。

 ネタバレやめてー、と泣き叫ぶ後輩の声がスピーカから聞こえた。

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短編「おうち時間」 snowdrop @kasumin

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