第2話 日常~序章~
事務所を後にしたラルカは、動物たちの欠伸や唸り声を聞きながら、人のいない桜並木を見ながら、園の南東に向かって歩いていた。毎日の見慣れた、聞き慣れた風景だ。
UJI Zooではライオンやシマウマなどが見れる『哺乳類ゾーン』(南東)、鳥籠の中で様々な鳥と触れ合える『鳥類ゾーン』(北東)、ワニやカエルなどが展示されている『爬虫類・両生類ゾーン』(北西)、水族館のような風貌の『水族ゾーン』(中央)、昆虫から線虫まで観察できる『虫類ゾーン』(南西)、そしてキノコ類や細菌を培養している『菌類ゾーン』(地下)の6ゾーンがある。各ゾーンはゲートで区切られており、異種同士の接触を極力控えることで、展示動物にストレスを与えない工夫がされている。
ラルカは哺乳類ゾーンの中でも、トラやハイエナ等の危険度の高い肉食哺乳類が集められている猛獣エリアのライオン舎を目指していた。
哺乳類ゾーン内は生体管理のしやすさとエンタメ性の配慮から、その他にも大型草食獣エリア・猿エリア・その他小型動物エリアに分けられている。
少ししてライオン舎に着くと、爽やかな笑顔の色黒の大男が出迎えてくれた。
「Good morning, バディ!」
「グッモーニン、相棒!今日はいつになくご機嫌だねえ」
ラルカがそう挨拶すると彼は照れくさそうに返した。
「Haha、バレちまったカ」
彼はオオナキ・ジョーンという日系ウクライナ人でUJI Zoo哺乳類班の1人だ。非常に屈強な体に見劣りしない彼の笑顔は眩しく、ラルカまで笑顔になってしまう。2年前に日本に来た彼はラルカから見れば後輩だが、幼い頃から野生動物と共存してきた経験を仕事に活かし、今では皆の兄貴分的存在になっている。
「聞いてくれヨ!うちのティムが書道大会で1番になったんダ、流石オレの息子ダゼ!」
ライオン舎のバックヤードを並んで歩きながら、彼は嬉しそうに話す。
「そりゃーおめでたい事で。親子揃って元気そうで何よりだ!しっかしアンタに似ず文系なんだなあ」
少し茶化してラルカが言うと彼は自慢げに応えた。
「バカ言うなヨ、オレに似てブンブンリョーゾに育ってんダヨ」
「おーけーおーけー、文武両道な!てかまたPC弄らずに直行してきたろ?」
「いいんダヨ、アレならソーダが代わりに済ませてくれてるカラナ」
悪びれる様子もないその堂々っぷりは、正に自由人と言うに相応しいだろうとラルカは思った。
「確かにそりゃあのクソ陰キャにはお似合いな仕事だな。うし、ウチらも仕事だ仕事!」
彼女は呆れつつも、彼に仕事を始めるよう促す。目の前には静かにいびきをかく5頭のライオンたちがいる。
毎朝の仕事は決まって、各動物のエサやりと檻・部屋の清掃だ。猛獣エリアを含め哺乳類ゾーンの全動物舎では、この作業を必ず二人一組のバディで行うという決まりがある。特例として、ウサギふれあい広場など危険性の少ない場所では1人での作業が許可されているが、猛獣エリアや大型草食獣エリアばかりを担当するラルカには縁のない事だ。
「オレは肉を寄越してクル、ラルカは掃除頼むゼ」
「おーけー、ちゃっちゃと済ませちまうよ」
そんなことを言いながら伸ばしたホースとデッキブラシ、スコップにバケツを持って彼女は檻へと入った。動物たちは日中は客からも見える展示用の檻に入っているが、閉園後から開園前までは巣となるバックヤードの部屋で生活をしている。猛獣エリアの動物たちも例に漏れず早朝はまだ部屋にいる為、1人が部屋でエサやりをして、もう1人が檻内の清掃を先に進めてしまうのだ。
「ハア、こりゃまた立派なもん出しくれちゃって」
積み上げられた茶色い塊を見てため息をつく。
「Hahahaha!いいじゃねえカ、健康って証拠ダ」
「ガルッ、グルゥ…」
ジョーンの快活な笑いに反応し、ライオンたちが耳をパタつかせながら目覚める。起きた者から順に、吸い寄せられるようにジョーンの方向に寄って行く。
「全く、掃除するウチの気にもなって欲しいもんだよ。フンの健康状態よし、と」
彼女は愚痴を零しながらも、スコップでフンを取りつつ健康状態をチェックする。
「朝飯だぞーマシュー。Wait…, そういい子ダナ。おいメアリー唸ってもダメダ、順番ダ。ケビンはいい子で待ってるダロ?」
「ガウッガウッ」
一頭だけ別室に入れられたメスのライオンが不機嫌そうに吠えている。
「メアリーは部屋を分けといて正解だっタナ。昼はグッタリして吐いちまう時もあるガ、飯になるとRoommateにまで威嚇しちまってル」
ジョーンがラルカの方を見つつ話しかける。
「そーだな、相棒の判断が正しかったってことだ。ほんと頼りになるよ」
「Hahaha, ありがとヨ。しかし彼女は妊娠してるカモしれナイ。しばらく休んでもらッテ、次の休園日にでも眠らせて検査ダナ」
少し真剣な表情で彼はそう返した。普段の自由人っぷりとは裏腹に、動物のこととなるとめっぽう真摯に向き合う男なのだ。
二人はいつもの他愛のない会話をしつつ、作業に勤しんだ。ジョーンの息子の自慢だとか、メアリーの熱中している番組だとか。そうしているうちに檻の清掃とエサやりは終わっていた。
「バディ、そろそろ入口上げたいんダガ」
「おう、今出た!上げてくれ!」
重たくなったバケツを持ったラルカが出たのを確認して、彼は金網の二重扉を上げた。それを合図に群れのリーダーのマシューから順に部屋から檻へと出て行く。
「ラルカ、keyはちゃんとしたカ?」
「もちろん!」
鍵をジャラジャラと指先で回しながら当然と彼女が応えると、様子のおかしかったメアリーを除く全員が展示用の檻に移ったのを確認し、ジョーンは二重扉を下ろした。
「部屋の掃除は夜でいいダロ。今はそっとしといてやロウ」
メアリーを見つめながら彼は言った。
「それがいいや。メアリー、またな!今度部屋キレイにしてやっから、それまでに機嫌なおしとけよ!」
「また後でナー!」
「グルルゥ」
三人は挨拶を交し、ラルカとジョーンはライオン舎を後にした。
「この後はトラ舎行って、ヒョウ舎行って、チーター舎行って、ジャガー舎行って…」
移動中、ラルカが指を折りながら呟いていると、大男が顔をずいっと近づけてきた。
「早くジンに会いたいんだロ、顔に書いてあるゼ」
「ハハ、気づいてたのかよ」
少しばつが悪そうに彼女が応える。
「オレはいつも一番にライオンたちに会うカラナ。さっさとお前さんのトモダチと会えるよう急ごうゼ」
「ああ、オフコースだよ相棒!」
元気にラルカが返した。
その後、二人はトラ舎、ヒョウ舎と順に回りそつなくこなしていった。ハイエナのカーラーとヒグマのタカシがいつもより警戒心が強かったが、それ以外特に変わりはなかった。そして、目を輝かせながらラルカがパンダ舎へと向かっていたその道中だった。
「オイオイ、こんなところに捨てんじゃねえヨー」
眉間にしわを寄せながらジョーンが小さな瓶を拾った。そこには明らかに自然のものではない緑色の液体が入っていた。
「んだよその気持ち悪ぃの。ゴミ箱入れとけよジョーン」
ふざけたように手で払う動作をするラルカ。
「バカ言うなよ、どう見てもbad smell放ちやがル見た目してるじゃねーカ。もし割れて臭いが出たラ動物たちはもちろん人間まで混乱スル。事務所でちゃんと密封シテ捨てるベキダ」
至極真剣にジョーンが返す。
「根拠は?」
「野生の勘ダ」
「ならちがいない」
それだけ交すとジョーンは制服の胸ポケットにその瓶をしまった。
落とし物やポイ捨てならよくあるいつものことだ。そのはずだ。だがラルカの胸には何か引っかかるものがあった。
パンダ舎に着くとラルカは我先にと部屋へと向かった。
「ジーーン~~~!お前はいつ見ても最っ高にキュートなパンダだなあ♡」
鉄格子に顔を挟みながら彼女はメロメロな表情を浮かべると、奥から人懐っこそうなジャイアントパンダがのっそのっそと歩いてきた。ジンと呼ばれるそのパンダは、スリスリと彼女に優しく頬ずりをした。
「よーしよし会いたかったよーマイフレンド!よしよしよしよしよし♡」
ラルカは自然と今日一番の笑顔を見せていた。
「オーガの目にも♡だナ」
「っるせえなおっさん」
「いやゴメンっテ。しっかしよく懐いたもんダナ。前にはあんなことがあったのにヨ」
話題をそらそうとジョーンはラルカの腕の傷跡を見やる。
「もう仲直りしたんだもんなージン!」
「フウッ」
野太くジンが応える。
「本当に会話してるみたいダゼ。こんなことができるのはleaderとバディぐらいダ」
「何言ってんだよ、相棒もマシューたちと話してたじゃんか」
食い気味にラルカが返すと彼は既に清掃の用意に移っていた。
「オレのはお前らのソレとは違うんだヨ。なんつーか、オレは知識から動物たちの心情を読み取ってるガ、お前さんは文字通り会話をしテル。その違いダ」
「ふーん、ウチにはよくわかんねーなあ。なージン~♡」
ろくな返事もせずに、彼女はスキップをしながら新しい笹を乗せた一輪車を取りに向かった。
ラルカが笹をバックヤードに運び終える頃には、檻の清掃は終わっていた。『ジャイアントパンダは笹を食べる』という生態を展示する為に、エサとなる笹は展示用の檻に置いている。これからその檻に笹を入れる作業に移ろうとしていた。
「ほ~らジンの大好きな笹だぞ~♡ちょっと待っててくれよー♡」
「まったくバディ、お前が人間にもこれぐらい愛想を振りまけれたらナア…」
いそいそと新鮮な笹を運ぶ彼女を見て、ジョーンは首を振りながらそうこぼしたが、彼女にはまるで聞こえていないようだった。
笹を運び終えると、まだ中に自身がいるというのにラルカが入口を上げる合図を出していた。
「今日もカ?何かあったらどうするんダヨ」
心配そうに彼が問いかける。
「だいじょーぶ、ウチとジンはそんなやわな関係じゃないよ」
それを聞くと、しぶしぶといった表情で彼は入口の二十扉を開けた。
ジンはのっそのっそと彼女の元に近づいてゆく。そして、気づけば彼女の鼻と彼の鼻が当たりそうな距離まで近づいていた。大人のジャイアントパンダと人間だ。体格差は言うまでもない。襲われれば一たまりもないだろう。それは彼女の傷跡と記憶が一番に物語っている。
だが、二人の間に流れる時間は誰にも邪魔できなかった。
「食べるか?ジン」
ラルカが笹を手に取り渡すと、ジンは器用に前足でその笹を掴んだ。かつて誰にも破れないチンパンジーとの絆を作ったエンターテイナーがいたが、それに近いものが今の二人にはあると、ジョーンは感動していた。
しかし、ジョーンも仕事上はプロだ。いつものように警告をしてやる。
「おい、なんでわざわざバディ組んで作業してるカ、分かってるヨナ」
「わーってるよ。えり姉の一件を受けて、万が一動物が脱走をした場合に客に被害を及ぼさない為に、また迅速な対応を可能にする為に作られたのが哺乳類班のバディルールだ」
ラルカはわざと説明口調で言ってみせた。
「分かってるならいいサ。しっかし現園長が直々に定めたルールを破るとトハ、バディには恐れ入っちまうゼ」
呆れた声でジョーンがつぶやいた。
「ウチだってえり姉の件は気の毒だと思うし、二度と繰り返してはいけないと思ってるよ。だけどそれが動物との触れ合いを無くしてしまうことに繋がってはいけないと思うんだ」
「グウ…」
ジンが優しく唸る。
「相棒も分かってるから強引に止めないんだろ?」
「That's right, その通りだゼ」
ジョーンははにかみながらそう応えた。
しばらく二人の他愛ない戯れを見守っていたジョーンだが、思い出したようにラルカに声をかけた。
「そういエバ、ソーダが猛獣エリアを担当したいっつってたガ」
「マージかよ!?まだ言ってたのか…あんな臆病者に努まるかっての。第一ひょろひょろだし」
食い気味に反応したラルカを見て彼は苦笑いした。
「Haha…確か二、猛獣エリア担当するにはleaderみたいな動物に臆さナイ心やオレみたいな腕っぷしが必要だからナ」
それを聞いてジンに抱きつきながら自慢げにラルカが返す。
「その点私は両方備えたパーフェクトカンペキガールってわけだねえー!てかそれでアイツはジョーンの仕事を押し付けられてたって訳か。相棒もセコい事するじゃ〜ん」
「ちげーヨ、アレはソーダが勝手にやるって言ったんダ」
言い訳っぽくジョーンが返す。
「本当かよー?まあこっちでマシューにでも噛まれりゃ、アイツのビビった顔が見れて少しは退屈しなくなるかね」
いたずらっぽく笑みながらラルカが言うと、ジョーンが咎めた。
「そんな滅多なこと言うんじゃネエ」
重たい沈黙が流れる。ラルカがゆっくり彼の方を向くと、鬼の形相の彼がいた。
「…悪かったよ。謝る。もう言わねえからそんな睨まないでくれ相棒」
「なに、オレに謝って欲しいわけじゃねえヨ」
それだけ言うと彼は仕切り直した。
「そうダ!この事leaderにチクらねえ代わりにお前たちの写真撮っていいカ?ティムに見せてやりてえんダ、人と動物との絆の証をヨ」
「おーこれはお高くつくぞー!今度あのおじさんに高級な笹買ってもらおうな~ジン~♡」
ラルカはジンに顔をこすりながらジョーンにカメラ目線を向けて、いつもの調子に戻った。すると空気を読んでかジンも彼の方を不思議そうに見つめた。
ジョーンは胸ポケットからポイフォン30を取り出そうとして、胸元の異物に気づく。
「おっト、こいつを落としたら大変ダ」
そう言って彼は瓶を取り出し、窓枠に置いた。
「さっさとしろよーポーズ決めてんだからよー」
「Dahhhahahaha!! なんだソレ!!」
顔を上げた彼の目に飛び込んできたのはジャイアントパンダと若い女がカンフーポーズをとる姿だった。
「ジャパニーズ少林寺だよ!」
「フンッフンッ」
息を合わせて鼻息でジンが頷く。
「What silly!? Hahaha! nonono…」
「ハッハハハ!大ウケだよジン!」
パンダ舎にはポイフォン30のシャッター音と笑い声が響き、三人の時間はあっという間に流れて行った。
時刻は朝8時50分。
〔ピンポンパンポーン〕馴染みのあるチャイムのメロディーと共に、UJI Zoo園内の各スピーカーからタイラの平たい声が流れる。
「「間もなく、開園時間です。園内スタッフはお客様を笑顔で迎える準備をして下さい。繰り返します、間もなく開園です。園内スタッフはお客様を迎える準備をして下さい。今日もニコニコスマイルでシアワセハッピーなZooタイムをお届けしましょう」」
〔ピンポンパンポーン〕メロディーと共に放送が終わる。
「…今日の放送まさかだナ。アイツ、なんで辞めねーんダロうナ」
「さあー…タイラさん不思議くんだからねー」
ラルカとジョーンはスピーカーを見つめて呟いた。
「っべこんなことしてねーで表出ないとじゃん!」
「No, オレも海外旅行客向けのツアーで生態解説があるんだっタ!」
二人は慌てて道具を仕舞い始める。
「ジン、また後で話そうな!ウチらで今日も盛り上げようぜ!」
「オレもたまには客対応張り切っちゃおうカネ!」
そう言ってバタバタと二人はパンダ舎を後にした。
二人がパンダ舎を出たあとのバックヤードの窓枠には、太陽を受けて怪しく緑色に光る瓶があった。退屈な日常が裏返る瞬間が、静かに忍び寄っていた。
恐怖!パンダ・シャーク 小説って何書くのこれ何文字まで入るのかn @hakanai-kaorusan
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