まほろさん
タカテン
まほろさん
その声の主を私は「まほろさん」と呼んでいる。
理由はそのアパートの名前が「まほろ荘」だから。なので正確に言うなら「まほろ荘一〇五号室さん」と呼ぶべきなのかもしれないけれど、まぁ面倒くさいので「まほろさん」でいいと思う。
そう、「まほろさん」は私の住んでいる部屋だった。
まほろさんの声が最初に聞こえたのは、まほろ荘を内見に来た時のことだった。
「嬢ちゃん、止めといた方がいいと思うでー」
そう聞こえた、ような気がした。が、その時は気のせいだと思った。だって部屋の中には私と不動産屋さんしかいないし、不動産屋さんがわざわざ私を連れてきて「止めといた方がいい」なんて言わないと思うし。
だから私は空耳だと判断して、その部屋を借りることにした。
最寄りの西武池袋線の駅から徒歩一五分。築三十年を越える、そこそこ古いアパートだったけれど、まぁ見た目は綺麗だったし、ちゃんとユニットバスやエアコンもついてるし、なにより家賃が安かったのが決め手となった。
人生十八年、初めてのひとり暮らしだけどいきなり素晴らしい物件をゲットしてしまった。我ながらその道のセンスがあるかもしれないと、その時はそう信じてやまなかった。
でも、入居した初日に私は自分の愚かさを悔やむ羽目になる。
どうして? どうして壁の薄さを調べなかった、私ィィィィィ!?
てか、薄いどころじゃないぞ。だって隣の部屋の人がポテチの袋を開ける音がはっきり聞こえたもん!
さらに夜になれば隣の大学生が麻雀をじゃらじゃらやり始めるし、上の階に住むおっさんがエロビデオを大音量で見始めるし(ビデオだよね? 本当にヤッてるわけじゃないよね?)、なんだここ、男子寮か何かか!?
それにさ、向こうの音が聞こえるってことはこちらの音も聞こえちゃうわけで。
ど、どうしよう、さっきからオナラしたいんですけど……。
ええ、ちょっと待ってよ。「部屋」ってのはそもそも自由に屁が出来る屋内って意味の「屁屋」が語源であるって聞いたことがあるのに(全くのでたらめです)、オナラが出来ないなんてどこで間違ったのオーフレンズ!
「掃除機の音で胡麻化すとええよ」
「その手があったか、心の友よ!」
って誰!?
「せっかく俺が忠告してやったのに引っ越してくるなんて。嬢ちゃん、Mなん?」
「いえ、どちらかといえばSです。てか、あんた誰? どこから話してるし?」
「俺はこのアパートや」
「アパート!?」
「そう。壁が薄うてえろうすんません」
「ホントだよっ! そもそもなんで東京のアパートのくせして関西弁!?」
「柱に淡路島で採れた木を使うてるんや」
「ああ、納得!」
って、だから納得してるんじゃねぇ、私ィ! アパートと話をするってどういうことやねん!(伝染った)
「まぁ、とにかく悪いことは言わへん。嬢ちゃん、とっとと荷物纏めて田舎へ帰った方がええわ。こんな部屋をホイホイ借りるなんて世間知らずすぎやで」
「む。確かにこんなボロくて関西弁がうざいアパートを借りたのは失敗だった。だが、私は夢をかなえる為に東京へやって来た!」
「何の夢なん?」
「私は漫画家になるッ!」
そう、漫画家になって有名紙で連載して、アニメ化で人気爆発して、映画化で興行収入歴代一位を取る為に上京したのだッ!
「漫画家やて!? そやったら嬢ちゃん、俺を選んで正解やったな」
「どゆこと?」
「かつてこの地には有名な漫画家たちが住んだ伝説のアパートがあったんや」
「ええっ!? あれ、でもそれはとっくの昔に解体されたって聞いたけど」
「そや。でもな、その精神を受け継いだアパートがある」
「ま、まさか……」
「そう。それがこの俺だ! 嬢ちゃん、どうやら一歩を踏み出したようやな。長い、長い、まんが道っていう修羅の道をな!」
おお、マジか!?
不覚にもこの時、私はちょっと感動してしまった。
が、後でよくよく聞いたらこの辺りの古いアパートはどこもあわよくば第二のときわ荘になろうと企んでいるらしい。
今考えてもまほろさんはホントこういうところのある困った人、もとい困ったアパートだった。
とにもかくにも私とまほろさんのまんが道二人三脚(?)が始まった。
と言ってもまろほさんのやる事と言えば私の描いた漫画を見て「ええんちゃう?」と褒めることだけだ。
具体的にどこがどういいのか尋ねても
「いやー、自分、アパートなんで。詳しくは分からんなぁ」
と身も蓋もない逃げ口上を打ってくる。ホント、ダメだこいつ。
そんなわけだからコンテストに送ってもなかなか結果が出ない日々が続いた。
そしてそんな状況なのだから、ただひたすら漫画を描き続けるわけにもいかない。
この世の中、不思議なことに働かないと死んじゃうのだ。有り体に言えば餓死。
まほろさんをいきなり事故物件にしてやるのは面白そうだけど、かと言って私が死ぬのは勘弁なので、仕方ないから近くの本屋で働くことにした。
やはり漫画家志望にとって本屋バイトは実にやりがいがある。
楽しくバイトしてたら店長に認められた。そしてなんか妙に親しくなった。店長。35歳。彼女いない歴35歳。初めてヤれるかもしれない女の子と出会いました。
「交尾するンでっか?」
「交尾言うな!」
そんな店長を私はある日、自分のアパートへ誘った。
ちなみにまだヤってもいないし、今日もヤる気はない。なんせまほろ荘の壁はぺらっぺらな上に、まほろさんがいつどこで見ているか分からないからだ。
「まぁ、嬢ちゃんがどんな男と付き合うのかは勝手やけど、大丈夫なんかいな、男を部屋に呼んだりなんかして」
「大丈夫だって。店長、めっちゃ草食男子だから」
「分からんでぇ。男は誰だって心の中に狼を飼ってるもんやさかいな」
「あの人の中にいるのは羊だよ。それに店長、私の漫画を褒めてくれるんだよ。で、今度コンテストに出す作品を手伝ってくれるって言ってるし」
そう、私は店長をそこそこ理解していたし、信頼もしていた。
何より勇気を出して見せた漫画を褒めてくれたのが嬉しかった。
私が今まで持ち込みなどせずコンテストにだけ送っていたのは、目の前で私が一生懸命描いた漫画をまるで全く価値のないもののように評されるかもしれないのが怖かったからだ。
だからこれまで誰にも見せなかった。
それをどうしてもと店長に頼まれ、仕方なく見せたら想像以上に褒められた。もうプロじゃないか。その言葉が嬉しかった。
つまり私は舞い上がっていたのだ。男の本性が見えなくなるほどに。
「だから止めとけ言うたやん」
その日、頑張って作った料理を床にぶちまけ、なんとか撃退するも泣きじゃくる私にまほろさんが慰めるように言った。
「漫画やったら俺が見たる。褒めたる。それで十分やろ?」
「……ううっ……ぐすっ……どこがやねん!」
全くもって不十分である。だけどその時の私にはまほろさんしか頼る人、もといアパートはいなかった。
バイトを辞めた後、私はただひたすら漫画を描きまくった。
やはり私には漫画家になるしか道はない。
「ええやん。面白うなってきた」
「このキャラ、ステキやん」
「ごっつええ感じ」
相変わらずまほろさんの感想はいい加減だ。でも、ウソじゃないのはなんとなく分かった。だってずっと同じ部屋で同じ時間を過ごしているのだ。ウソをついていたらすぐに分かる。
そう思うと、いい加減な言葉でも不思議と自信になった。
描く。ひたすら描く。そしてコンテストに送る。送りまくる。
そんなことをしてどれだけの日々が過ぎたのか分からないけど、ある日、ようやく受賞することが出来た。
しかも有難い事に大賞だ。餓死寸前だったからこれは助かるッ!
『新人とは思えない画力の高さ。画面の端々から非凡なセンスを感じさせられる』
『話の構成が奇抜ながらも圧倒的な完成度。作者の頭の中を一度見てみたい』
『キャラの立ち具合がどれも絶妙。特に主人公とライバルキャラは必見』
紙面に並ぶ、選考してくれた先生方によるお褒めの言葉。さすがに大賞だけあって皆さん、とても褒めてくれている。
嬉しい。素直に嬉しい。これからも頑張ろうと心から思う。
ちなみに受賞作を読んだまほろさんはと言うと。
「うまい! うまい! うまい!」
いい加減を通り越して、単なるパクリじゃないかっ!
でもこれはこれで嬉しかったりもする。
ありがとう、まほろさん。これからもよろしく。
まほろさん タカテン @takaten
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