A4の羊皮紙、異世界サンドイッチ。
λμ
A4の羊皮紙を作ろう
窓の外、かつては青く今は緑色になった空を見上げ、
「まーたドラゴンが飛んどる」
見紛うことなき赤いドラゴン。いわゆる西洋式のドラゴンだ。四足なのに翼が生えてる生物学的に変な奴。重量比から見て飛べるわけがないのだが、華麗に飛翔している。とりあえず写真を撮ってツブヤイターに『ドラゴンが飛んどる』と投稿する。すかさず誰かが反応した。
『ドラゴンの語源はギリシャ語です。異世界にギリシャはないので……』
即ブロ。
最近のツブヤイターではなぜか異世界言葉狩りが大流行している。なにがファンタジーの空気感だよと浩介は思う。日本人が日本語で書いてて日本語で読んでるのに空気もクソもねえだろと。だいたい、外の連中から見りゃ俺たちの暮らしてる空間こそが異世界だろと。
ため息をつこうと吸い込んだ息を肺にためたまましばらく我慢し、鼻からゆっくり吐き出す。ヴィパッサナー瞑想もどき。ストレスを緩和してくれる。
「落ち着けー。落ち着け俺ー」
落ち着けと言語化するとき人は落ち着いていない。
いわゆる屋外という空間が異世界と入れ替わり、なぜかインフラは平穏無事なままで、政府が困惑しきりの緊急事態宣言を発令してから、早半年。
テレビではタレントや芸人がおっかなびっくり建物の外という異世界を探検し、リポートし、しくじって魔物すなわちゲームでいうとこのモンスターにぶっ殺されたりして、日本政府から厳重注意を受けたりしている。
テレビ局は相当アタマにキタのか、施行されたばかりの対魔物対処等特別措置法をワイドショーで叩きに叩いている。ズサンだとか、いい加減だとか、どこから魔物でどこから獣なのかとか、歩く植物は動物なのかとか、毎日毎日、叩いている。
「飽きないねえ」
と、浩介はテレビを消してソファーに寝転んだ。
都心部の人々は馬車通勤にも異世界人とのコミュニケーションにも慣れ、己の会社に使わなくてもよくなったはずの判子を押してもらいに通っている。外が異世界になり異世界人もいたがために需要が増えてしまったのだ。そのせいで当然のようにたまに死者が出る。異世界は怖い。
浩介の会社はひと月前に倒産した。無職だ。典型的な急を要する事態だが、さいわい同棲中の
「……やること、ねえなあ」
そんなときは毎回ひーちゃんことひよ子とイチャコラしていたせいで、約六ヶ月四千と四十四イチャコラおうち時間の末に、とうとう二週間前、
「こーちゃん、ワンパになってる」
とグサリと刺さる苦言を投げつけられてしまった。よく我慢してくれていた方だ。
大いに反省した浩介はネット通販最大手のアマゾンもといナイルに愛の技法カーマスートラを注文したのだが、なにしろ屋外は異世界。なかなか着かない。三日前にようやく旧・千葉集積場まできたが配達員がビビってしまって千葉から東京が無理らしい。なんでだと文句のひとつもいいたい。でも、窓の外のドラゴンにしか見えない本来的にはドラゴンと呼んではいけないらしい奴を思うと強く言えない。困る。
「ぬはあ」
こらえきれずに息がでた。こうなってしまえばしょうがない
「ひーちゃーん」
浩介は頭をソファの肘置きに乗せて上下逆さま視点で呼びかける。いちゃこらしようずー、と甘えよう。そう思ったときだった。
「こーちゃん! 発見! 大発見!」
と、ひよ子が自室の扉をぶち開き、サントリーのC.C.レモン(異世界だからサントリーのC.C.レモンと言ってはいけない)とタッパー片手に可愛らしく駆けてきた。機嫌が良さそうだからイチャコラできそう。
浩介がよっこら異世界しょーいちと呟きながら異世界上体を起こすと、ひよ子は浩介の隣に正座して真剣な面持ちで言った。
「納豆を食べてからすぐにC.C.レモン飲むとめっちゃ足の裏の匂いする!」
「……納豆なんてどこにあったの?」
「へ? 作ったんだけど?」
「作ったって」
「おうち時間だよ、おうち時間」
弾むような声で言い、ひよ子は年の割に幼く見える笑みを浮かべた。玉子綴ひよ子は浩介と違っておうち時間の達人だった。集中力も浩介の一.七倍くらいある。異世界風に言うと一.七バインくらいある。
具体的に言うと、異世界と化した屋外の市場で購入してきたという得体の知れない獣の毛で作られた糸で編み物をしている間、
「イチャコラしたいなら勝手にしてていいよ」
とのたまったほどである。もちろん浩介は編み物なんぞできなくしてやろうと頑張ったが彼のイチャコラは異世界の毛糸と編み物に負けた。あるいは、一.七バインくらいあるひよ子の集中力に。
「えーっと……足の裏の匂い?」
浩介は復唱しながらC.C.レモンのペットボトルを受け取る。異世界ではポットボトルと呼ぶらしい。ボトルはいいのかよと思わざるを得ないが仕方ない。異世界観にうるさい方々はナーバスな神経を有する繊細虚弱な個体だ。異世界耐久度が低く、想像力にも欠けているので、異世界が現代と同じという可能性を無視したがる。日本語で読んでいるくせに。
くんくんと鼻を鳴らし(異世界ではどういうのかは知らない)てみたが、足の裏の匂いはしない。
「ひーちゃんの匂いしかしないよー」
「鼻つまってる? コロナ?」
ひよ子は口と鼻を隠すような素振りを見せた。辛辣だ。
一口もらってみたが、特に変わったところはない。
「ひーちゃんの味しか――」
「しつこい」
「……納豆は?」
「これ」
ひよ子からタッパーを受け取る。異世界にアメリカはタッパーウェア社などないのでタッパーと呼んではいけないかと思いきや、この前のヒルナノデス! でタッパーと同じ構造の箱で読めない字体ながらタッパーと発音する商品が異世界にもあるとネタにしていた。タッパー恐るべし。
浩介はタッパーを開き、納豆を――
「え。ん? これ……納豆?」
「納豆菌を使ったから納豆では? とひよ子は思うのです」
「いやだってこれ……」
どう見ても、大豆ではない。なんなら豆かどうかすら怪しい。豆は、普通、丸い。こともない。異世界産だと特に。だから、余計に厄介だ。
浩介は危機を察知し溢れてきた生唾を飲み、一粒――一本? 一個? 異世界ではどういう単位なのかしらないが自称納豆をひとつまみ口に入れた。
「……納豆だ」
「納豆だもん」
「そりゃそうだけど」
言いつつ、浩介はC.C.レモンを口に含んだ。強烈な足の裏臭が鼻腔を貫いた。
「どぅるぐぶぁっ!」
「ドルガバ?」
とひよ子は可愛らしく小首を傾けながらスマホをいじり、ケラケラ笑った。
「異世界でもアシノウラの匂いだって言うんだってー。変なのー」
「ええ? 意味は?」
「アシノウラっていう動物? 魔物? なんだって」
「……異世界語で足の裏はなんていうの?」
「発音まではできないよー。ベロの数が足らないし」
言って、ひよ子はぺちぺちと浩介の肩を叩いた。ぺちぺちとは異世界のオノマトペで日本語で言うところのバシバシである。
浩介は異世界の人々は二枚舌が基本なんだろうかと思いつつ、こっそりひよ子に抱きついた。無抵抗。だが。
「わっっっ!!」
耳元での大音量。耳をやられ、浩介は慌てて離れる。
ひよ子はC.C.レモンを一口飲んで愉しげに顔を歪め、キャップを閉めた。
「今日はイチャコラしながらだと危ないので我慢でーす」
「……危ない? 揚げ物でもするの?」
「惜しい! 今日からしばらくはコレ!」
ひよ子はスマホに指を滑らせ、画面を浩介に見せつけた。なにかの獣の皮だ。
「A4の羊皮紙をつくりたいと思います!」
「……惜しかないでしょ。てかなんで?」
「A4の羊皮紙で! バズりたい!」
「バズるかあ……?」
「わかんないけど、やってみよ? 楽しいよ、きっと」
「……まあいいけど。材料はあんの?」
「注文してあります!」
「アマゾン……じゃなくてナイル?」
ひよ子はふるふる首を振った。
「ウーバーイーツです!」
「なぜ食い物の配達が羊の皮を」
「違うよ?」
「ほう」
「ウーバーさんのイーツ便」
「なにそれ」
「足が七本あって空中の元素を掴んで三メルトルくらい飛べるおじさんの宅配便」
知らない単位だがどうせメートルあたりと同じだろう。長さは一緒で名称だけ違う面倒臭さのどこに雰囲気があるというのか。
「いい人だよ? さっき電話したらサンドイッチをおまけにつけてくれるって」
「人なの!? てか羊の皮のおまけにサンドウィッチ!? 異世界にもサンドウィッチ伯爵いんの!?」
ひよ子は両手で口元を隠してくふふと笑った。
「サンドウィッチじゃなくて、サンドイッチだってば」
「え。違うの?」
「どんなのだろうねー?」
「食べ物ですらない?」
「しらなーい」
言って、ひよ子は浩介に抱きついた。まったく唐突なハグ。柔らか温かい。抱き返そうと腕を回すが、ひよ子はするりと掻い潜り、窓辺に行った。
コン、コン、と窓を叩く音がした。
音とともに巨大で重い気配が顕れた。背後。窓の外。
浩介は恐る恐る振り向いた。
「すげえ」
件のウーバーさんが、サンドイッチと羊の皮を持ち、空中にぶら下がっていた。
A4の羊皮紙、異世界サンドイッチ。 λμ @ramdomyu
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