ボスの帰りを待つあいだ。
畳屋 嘉祥
ボスの帰りを待つあいだ。
テレビ。
普段はあまり意識して見ていなかった。
だが、ここ三日ほどはほとんどずっと、目と耳をそちらに傾けている。
びかびかと己を主張する大きな板は、今日も今日とて延々と喋り続けている。
その内容に果たして、中身があるのかはわからない。
が、やることもない今この時において、少なくとも暇潰しの材料にはなった。
ソファにゆったり座り、テレビを眺める。
光る板の向こう側、仏頂面の男の口からは、どこかで聞いたような言葉ばかりがだらだらと垂れ流されていて。
「おもしろくない」
ソファにぐでっと体を預けて、ヒメがどうしようもない文句を垂れる。いつもの愛嬌はどこへいったのやら。
「暇なら部屋の片付けでもしとけよ」
「やだ。いま片付けたらボスが誉めてくれないじゃん。ボスが帰ってきそうなタイミングじゃないとやる気出ない」
「お前な……」
ヒメは俺と同じくボスを敬愛しているが、いかんせん裏表があるのがいただけない。ボスがいるときといないときで、態度の落差が激しい。
ボスの前だとやたらに元気と愛嬌を撒き散らしまくるが、少しボスが目を離すと今みたく、すんっと力を抜く。ある意味わかりやすいやつだ。
ボスがヒメを拾ってきたのは、随分と前のことになる。
詳しくは知らないが俺と同じでワケアリだったらしく、うちに来たときのヒメはかなりやつれていて、さほど体格が良くないはずの俺に対してもぶるぶると怯える始末だった。
こいつ、大丈夫か。
なんてその時は軽く心配したが、そこまで重くは見てなかった。
なにせ、うちのボスはとんでもなく器が大きい。
暴れまくって手の施しようがなかった昔の俺に根気よくずっと付き合って、怪我しながらでもずっと笑顔でそばに居てくれた。
そんなボスが、たかだか弱ってるだけのやつを救えないわけがない。
で、最終的にヒメは今みたく元気に、かつ生意気に育ったわけだが。
「はあ、おもしろくない」
いつにもまして、ヒメはやる気がない。
まあ、仕方ない。なにせもう三日だ。三日もボスはうちに帰っていない。
代わりの人間がちょくちょく見には来るが、まさかそんなポッと出が本当の意味でのボスの代わりなんて勤まるわけもなく。
テレビも明かりも付けっぱなしに、いつになく急いでボスが出ていったのが、随分と懐かしく感じる。
なにか大変なことがあったんだろう。その時かろうじてわかったのは、それくらいなものだった。
いつだって、俺たちはなにも知らない。わからない。
「なあ、ヒメ」
「なに、たろさん」
「ボス、なにしてると思う?」
「さあ。難しいことしてるんじゃないの? たまに難しそうなこと話してるし」
「ヒメ、ボスたちの言葉はわかるんだったか」
「うーん……微妙? 難しい言葉は全然わかんない。ごはんとかはめっちゃわかるけど。たろさんは?」
「俺は……だいたいならわかる」
細かいことはあまり聞き取れないが、なんとなくなにが言いたいのかはわかる。
それなりに長いことボスの世話になってるし、ボスの言うことは聞き逃すまいとしてるから、言葉については特別意識しなくても自然と覚えることができた。
とはいえ、わかるのはあくまでなんとなく、だが。
「というか、たろさんはどう思うの?」
「なにが」
「ボスが今なにしてるか」
「そうだな、俺は……」
しばらく考えて、最近思い始めていたことを言葉にする。
「俺は、なんかと戦ってるんじゃないかと思ってる」
そう言うと、ヒメは不思議そうに首を傾げた。
「戦うって、どういうこと? 危ない目に遭ってるってこと?」
「そこまではわからん。けど」
テレビに目線をやりながら、思い出すように口を動かしてみる。
『ゴおガ』。……うまく言えた自信はなかった。
「なにそれ」
「わからん。テレビで最近聞いた言葉だから、ちゃんとは覚えてない」
電話やらボールやら、聞き慣れたものなら意味もわかるんだが。
いかんせん、聞き馴染みのない言葉は頭に入ってこない。
「でも、これを言うたびにテレビにいるやつは苦い顔をするし、悲しそうな顔をする。これについて難しそうな顔で話し合ってる。
だから多分、すごく手ごわい敵、みたいなもんなんだろう」
「へえ。で、それがなに?」
「家を出る前、ボスも確かそれのことをしゃべってた。電話ってやつで」
「……それ大丈夫なの? ボス、怪我しない?」
「わからん」
「わからんって……それやばいじゃん、もしなんかあったらどうすんの!?
ちょっと、あたしたちこんなとこでだらだらだしてる場合じゃあ――――」
「だとしても、今俺たちにできることなんてなにも無いだろ。それに」
そう、何より重要なことがある。
気になるだとか心配だとか、そんなもんは関係ない。俺たちにとって世界中のなによりも、ボスの言葉は絶対だってことだ。
「ボスは待っててって言ってた。だったら、待つのが俺たちの役目だ」
「でも、でも……ど、どうすんの、ボスがボロボロになって帰ってきたら!?」
「俺もお前も、一回は捨てられてボロボロになってる身だろ。
でも今は元気でいられてる。だからまあ、大丈夫だろ」
「でもそれは、ボスが助けてくれたからで――――」
「そうだ。ってことは、次はこっちの番ってことだろ」
慌てるヒメをなだめるように。
ついでに自分にも言い聞かせるように。
心の中で決めてたことを、ゆっくりと言葉に変えていく。
「もしボスがボロボロになって帰ってきたら、その時は俺が助ける。
なにすりゃいいかは今のとこわからんが、それでも助ける。
助かるまで助ける。ずっと助ける。……だからまあ、大丈夫だろ」
いつかの日に、ボスが俺にしてくれたように。ヒメにしてくれたように。
やっとこさに回ってきた、俺が返す番。俺がなにかを返せる番。
思うのはいつだってボスの幸せ。俺にとってはそれが全部だ。
と、心の中で静かに意気込んだところで。
「……ぅう」となぜか低く唸るヒメ。
なにがお気に召さなかったのか。
ヒメはどこか不機嫌そうに立ち上がり、ソファから離れていく。
「どこ行くんだ」
「部屋のお片付け」
「ボスはまだ帰ってきそうにないぞ」
「うるさいな、それでもやるの! だって……」
やけっぱちに言い放ったヒメは、ちょっとだけうつむき加減に。
「だって、大事なときに動けなかったら、やだもん。
たろさんだけじゃないもん。あたしだって、ボスを助けるんだから」
泣きそうな、でも小生意気な、ヒメらしい言葉。
思わず吹き出しそうになる。どうやらちょっとやる気になったらしい。
これは俺も負けてはいられないか。
頭をぶんぶんと振ってけだるさを追っ払い、ソファから飛び降りる。
「一緒にやるか。ボス助けるのも、ついでに片付けも」
「ふん、どっちもあたしだけでできるもん」
「かもな。でも、両方いた方がもっといい」
「それは……そうかも」
と、語尾が沈んでいくヒメ。
多分だけど、ボスの身を案じれていなかった自分に反省でもしてるんだろう。
珍しく殊勝でなによりだが、これではボスが戻ってきたときにかえって心配させてしまう。
……もうちょっとハッパかけたほうがいいか。
「それとまあ、あれだ」
わざとらしく声を高く、必要以上に胸を張って、ヒメの前へと回り込む。
「お前、見た目は良い感じだけど、ボスのことは俺のがよくわかってるからな。
俺がいないとなんというか、ダメだろ」
「……はぁ?」
瞬間に、ヒメの片目が吊り上がった。
「意味わかんないし、あたしの方がよくわかってるし!
あたしたろさんより可愛がられてるし、ボスと一緒であたしもメスだし!」
「でもお前、さっきまでボスが帰ってきた後のこと、俺が言うまでなんも考えてなかっただろ?」
「あとちょっとで気づいてたし! なんなら半分くらい気付いてたし!」
「半分気付くってどういうことだよ……」
「うるさい! とにかく!」
ぎゃんと叫んだヒメは、しぼんだ意気を強引に膨らませて、ともすればいつもよりも元気をまき散らしながら言う。
「あたしもボス助けるし、たろさんよりいっぱい助けるし!」
「そうかそうか、そりゃなにより」
「ぎぃぃぃ、なにその余裕!? マジだからね!? マジだからね!?」
「はいはい」
聞き流しながら、床に転がったボールを咥えて拾い上げる。
ボールからりん、と音が鳴る。普段ならこれで遊ぶのもなかなか楽しいが、三日も弄り続けてると流石に飽きてくるってものだ。
おもちゃの入った箱に向け、首を使ってぽい、と放る。思いのほか綺麗に飛んでいったボールは、りりん、と音を立てて箱の中に納まった。
さて、まだまだおもちゃは散らかっている。
「ちょ、たろさん! それあたしの! あたしが片付けるやつ!
待って、待ってって、待てやコラァ!」
騒いで吠えまくるヒメを他所に、今度は骨のおもちゃを加えて、ぴょいと箱に戻す。するとまた、ヒメがきゃんきゃんとわめきだして。
そのあとは競うように、お互いで散らばったおもちゃを片付け始める。
ボスがいつ戻ってきてもいいように。
戻ってきたボスを、いつでも助けられるように。
ボスを助けるのが俺たちの役目で、幸せだから。
「よっしゃ」と意気込み、わん、とひと鳴き。
そんな感じで強がりながら、寂しい気持ちに背を向けて。
ボスの帰りを待つあいだ、俺たちなりに、頑張ってみる。
ボスの帰りを待つあいだ。 畳屋 嘉祥 @Tatamiya_kasyou
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