遠い光

海野ぴゅう

遠い光

 壮一はカーテンの隙間から差し込む冬の陽の光で目を覚ました。


「今日も俺は生きてるのか…」


 ベッドから起きてトイレで用を足し、ゆっくり歩いて棚から出したシチュー風完全食をレンジに入れて『弱』で温める。コップに麦茶を入れてひと口目は含んでから流しに捨て、残ったお茶を飲み干した。温め完了のチーンという高い音が聞こえる。

 たくさんは食べたくないが少しの食欲がまだ残っている。二度目の死にはまだ時間がかかりそうだった。


(やはり間違いなく生きている、か)


 まさか自分がこれほど長生きするとは思ってもみなかった。


 60歳になってすぐに筋肉に細菌が入る難病で死にかけていた。通院しながら自宅で妻と娘が面倒をみてくれたが、長期にわたる高額な自己負担の医療費に苦しんでいることを知って先生に相談したのが始まりだった。

 どうしても家で死にたいという壮一の望みを叶えるのは家族の望みでもあったので、家族と壮一は医者のモニター提案を飲んだ。彼の残り少ないであろう時間を彼の大好きな家で過ごさせてあげたかったのだ。


 そして俺は昨日150歳になった。

 見た目は60歳程度だが身体的機能は50歳程度を現在維持している。身体で手をいれていない部分などない。定期的メンテナンスにより新品に入れ替えることで健康を保っている。

 妻どころか娘もとっくにいない。孫が作ってくれた娘に似せたお手伝いアンドロイドだけは孫が死んでも正常に動いている。皮肉なことに俺に人造臓器・皮膚の生体移植モニターを勧めた医師も死んでしまっていない。他人には勧めても、長過ぎる人生に人間が耐えられないことをわかっていたのだろう、早々に俺の人生から退場した。

 現在俺のことをちゃんと知ってるのは妻と娘・孫の記憶をコピーして持っているアンドロイドだけだ。その事実が嫌で、アンドロイドに電源をいれるのをためらう日々だ。医師は実験体である俺を調査したいので24時間アンドロイドを動かしておくように言うのだが、顔を見るといろいろな感情が押し寄せてくるので掃除、洗濯が終わったら切るようになってすでに10年が経っていた。


 排泄が自分で出来るうちは生きようと思っていた。

 しかし150歳になった今も不便が全くない。なので今日はアンドロイドに他の仕事を頼もうと思っている。ずっと考えていたことだ。


 壮一はアンドロイドに電源を入れて掃除をさせてから、ベッドに呼び寄せた。洗濯はもう必要ない。

 

「ミヤ、ちくちくうなぎ」


 アンドロイドはその言葉で目玉がぐるりと反転しフリーズした。

『ミヤ』は娘の名前で『ちくちくうなぎ』は小さな頃にミヤに絶滅寸前のうなぎを食べさせたときに彼女から出てきた可愛らしい言葉だ。それ以来、壮一の家ではうなぎを『ちくちくうなぎ』と呼ぶようになった、美しくて甘い思い出。

 しかし今は動物を食べることなどない時代だ。すべて工場で作られる。人類は食の楽しみを放棄してからずいぶん経っている。人造肉しか知らない世代はそれで満足しているからいいのだろうが、壮一はたまにステーキなどが食べたくなる。それも無性に。人間は一度味わった快感を忘れられないのだ。


(かなり旧型の古いアンドロイドからな…パスワードは機能しないのか…?)


 壮一の背中を汗が伝った。最後の頼みの綱を心のよりどころにして生きてきたのだ。

 しかし、孫のプログラムはまだ生きていたようだ。目玉がいつもと違って青くなり、アンドロイドからは懐かしい孫の声が流れてきた。


『壮一おじいちゃん、本当にお疲れ様でした』


 アンドロイドは掌を銃の形にして壮一の心臓に当てた。


 すると、もうとっくに思い出すことがなくなった妻との出会いから結婚、子供との旅行や会話、孫が生まれた時の感動が胸を満たして溢れた。そして愛する人たちの死もまざまざと思い起こされた。久々の悲喜が彼を支配し光に包まれた。


(ああ、やはり死ぬからこその生なのだ…生き続けることの為に生きるなど…滑稽なことだ)


 次の瞬間、アンドロイドの指先から飛び出した弾丸は壮一の心臓を正確に仕留めた。




「あーぁ、最後の一人が死んじゃったね。生真面目にも心臓だけを壊すなんて、さすが社畜の時代の人間だな」

「まあこの世代の人間は長生きに向いてないんだ。大体が150歳もすれば自らリタイヤする。200年平気で生きられる僕らの世代とは違う」

「そうですね、人生設計が終わってからまた始まるなんて思ってもみなかったでしょう」


 壮一の遺体を解剖しながら、人工臓器の研究者たちは所感を淡々と述べた。彼らは古い時代の最後の人間に尊厳を持つこともなく、ただ淡々と彼は分解されていった。

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遠い光 海野ぴゅう @monmorancy

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