森の中の小道(旧)

雨世界

1 おはよう。まだ、眠いの?

 森の中の小道


 登場人物


 彼 のぞみの大好きな人


 のぞみ 大学一年生 恋をしている。


 プロローグ


 ……これ、秘密ですよ。

 実は私、……好きな人がいるんです。


 彼女は日に日に綺麗になっていく。それはすごいことだと思うけど、それと同時にそれは彼女がまだ成熟していない証拠でもあった。大人っぽく見えても、それはそう見えるだけで、大人ではない。彼女は子供なのだ。


 僕と同じ、未熟な子供。

 だからこうして、二人で一生懸命言葉を探している。


 本編


 おはよう。まだ、眠いの?


 のぞみは森の中の小道の上を愛用の白い自転車を立ちこぎしながら軽快に走っていた。のぞみは『彼』の住む家に向かってる。

 のぞみは無地の黒いパーカーにハーフパンツというラフな格好をしている。

 森を抜け、彼の住む家の前まで到着すると、そこにはすでに彼の姿があった。彼は玄関先にある切り株を椅子の代わりにしてそこに腰掛け、空を見ていた。のぞみはなるべく音を立てないように気をつけて自転車を止めたが、彼はのぞみの存在にすぐに気がついて彼女の方に視線を向けた。

「こんにちは」とのぞみが言う。

「こんにちは」と彼が答えた。

 彼はゆっくりとした動作でそこから立ち上がり、のぞみのところまで歩いてやってきた。その間、のぞみの心臓はすごくどきどきしていた。

 時刻は朝。

 まだ森が眠りについている時間。

 二人はそこで少しの間、鳥のさえずりと一緒に、とても些細な会話をする。

 会話が終わると彼はいつものように少しだけ顔を伏せ、なにか考えごとをし始めた。のぞみは気になって、その顔を覗き込もうとして自分の顔を下に倒していくと、あるところで彼とのぞみの目があった。彼はのぞみの目を見て一瞬、きょとんとした表情になったあとで、のぞみに向かって微笑んだ。のぞみも同じように笑顔を返す。彼は本当によく笑うようになった。きっとそれは、少しくらいは私のおかげだとのぞみは思った。

「じゃあ、出発しようか? 今日はどうする? 君が自転車をこぐ? それとも僕が自転車を漕ごうか?」彼はのぞみに質問する。

「……えっと、お願いしちゃっても、いいですか?」とのぞみは言う。彼はそれに「わかった」と優しい声で答えた。

 いつもだったらここで「私がこぎます」と答えるのぞみだったのだけど、今日は少しだけ彼に甘えてみたかった。……まあ結局、いつも最後は彼がのぞみの代わりに自転車をこいでくれるのだけど、たまには最初からでもいいよね、とのぞみは思った。

 のぞみは彼の肩につかまって後輪の真ん中にある出っ張りに両足を乗っけた。それを確認して彼が自転車をこぎ出した。彼の自転車をこぐ力はのぞみの何倍もあるのだろう。自転車はまるでさっきまでとは違う乗り物のように速度を出した。それでも彼には余力があった。きっと、のぞみが疲れないようにその力を調整してくれているのだと思う。彼は他人のことを考えたり守ったりすることのできる……とても優しい人だった。

「きゃ!」

 不意に自転車が揺れて、のぞみが少しだけ体勢を崩してしまった。思わずのぞみはそのまま彼の背中に抱きついた。

「ごめん。大丈夫だった?」彼が聞く。のぞみは彼に「大丈夫です」と答えたが、その体をすぐに離そうとはしなかった。

 彼はのぞみが抱きついてもなにも言ってこなかった。

 離れてとも言わないし、もっとくっついてとも、言わない。なにも起きていないように、振舞っていた。それがのぞみには不満だった。

 のぞみは自分の気持ちをはっきりととした言葉にしたいと思った。

 いや、できるなら本当にそうしたいのだけど、それは彼に一度断られている。だからそれはもう望まない。これ以上、彼に嫌われたくないからだ。

 だからのぞみは自分の本当の気持ちをずっと彼に隠している。

 ……でも、ときどき、どうしようもない気持ちになる。本当にどうしようもない。だって、どうしようもないのだ。……好きなんだから、しょうがないじゃない、とのぞみは思う。だからこれくらいはいいと思った。でも、これくらいではだめなのかもしれない。……恋愛って難しい。私はただ、彼に抱きしめてもらいたくて、それからできればもう一度だけキスをして欲しいだけなのに……。

 のぞみは迷っている。……私は、案外嫌な女だな、と自分で自分のことを軽く軽蔑する。それでも、のぞみは少しの間、彼の体を離さなかった。

 二人は目的の場所である森の中の湖の湖畔に到着する。

 その場所で五時間くらいの時間を過ごしたあとで、二人は彼の家に帰るためにまた二人乗りをしながら自転車を漕ぎ始める。

 それから二人は彼の家の前まで到着する。

「……それは、まあ、そうですけど」何気ない会話をしている途中で、のぞみがそう言ったとき、彼は立ち止まった。するとのぞみも立ち止まる。

「ここまでって、ことですね?」のぞみが言う。彼は「うん」と答える。

 二人は森の中で向かい合う。

「……さん」のぞみはそう呟いて、彼の口にそっとキスをした。そしてその数秒後、黙ったままその唇を自分から遠ざけた。

「……また私と会ってくれますか?」とのぞみが聞いた。

 のぞみはとても切ない表情をしていた。その切実な問いに彼が「できないよ」と答えると、のぞみは下を向いた。そして顔をあげて、彼の顔を見て、「わかりました」と言ったあとで自転車に乗ると、まるで何事もなかったかのような静かな動きで森の中の道を町のほうに向かって移動していった。

 よく晴れたとてもいい天気の午後の時間の出来事だった。


 ……それは、きっと、あなた(君)までの道標。


 森の中の小道 終わり

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