表記ゆれ

書三代ガクト

本文

「三島先輩、また間違えています」


 田中がデスクの横にやってきた。

 私は自社サイトの管理画面を開く。彼の言う書名を検索した。


「表記ゆれしてます。このタイトル、意味あるので」

「そうね、ごめん」


 そう。どう呼ぶかは大事。

 書名項目を修正して更新した。画面に反映されているのを確認して田中を見る。


「田中くん、いつも気付いてくれてありがとう」

「自分の担当作ですからね」


 彼はゆっくりと頷く。歯を見せてニッと笑った。

 私の胸がドキリと跳ねて、無機質な職場の音が遠ざかる。やっぱり好きだと、何度目かも分からない想いを噛みしめた。


「優君は作品を大事にするね」


 小説は創作物、けど出版社にとっては商品だ。

 割り切ってきた部分を、彼の熱意と笑顔が簡単に崩してくる。


 田中は少しおかしそうに口を開く。


「俺の呼び名も安定しないすね」


 心の柔らかいところを突かれた気がした。



 デスクに戻る彼を見送って、私は両手を上げた。背もたれに寄りかかる。

 そのまま目を閉じて、額の上に手首を重ねた。


 電話とキーボードと、紙の音。そんな職場が私は嫌いだ。

 小説が好きで入った出版社。でも私は好きなものをビジネスで考えるのが苦手だった。

 そんな中、入社してきた田中優。彼は小説への想いを大事に働いている。


 私から薄れてしまった熱量。それに気付いた時にはもう、彼を好きになっていた。


 そして私はこの想いを持て余している。

 仕事仲間、想い人。

 接し方が中途半端に揺れて、呼び方も安定しない。


「入社したばかりに戻ったみたいだ」

 小説の扱い方で悩んでいた、あの頃みたいに。


 ため息をついて目を開く。

 そこには私を待つ田中がいた。


「優くん!?」


 ほぼ悲鳴だった。

 嫌いな音が消え、静かになる。心地よい無音の中で、彼がギョっと目を丸くしていた。

 我に返り、背もたれから体が跳ね、デスクに倒れ込む。

 顔から火が出そうだった。


 けれど、とっさに出た呼び名。心地よい無音。

 私の中で何かが定まったような気がした。

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