ワイスレ

ゆりーいか

第1話

ワイ

 突然の出来事に立ち尽くす。

 彼女を乗せて山へとドライブした帰り道だった。

 スコップやらなにやらを積んでいた車が壊れてしまったのだ。

 行きでは快適に走っていたのに、急にぷすりと、止まってしまい、エンジンすらかからなくなってしまった。愛車ならこうなっても、何が原因かとか調べられていたかもしれないが、あいにく今日はいつもの車とは違う。修理業者を呼ぼうと、スマホを確認するも圏外。周りを確認しても山ばかりで、電波塔が一本も見当たらない。どうやら、辺鄙な場所に来すぎてしまったらしい。なす術もないとはこのことである。

 彼女が残していった鞄を開けて、魔法瓶を取り出す。コップに熱いままの紅茶を注いで、口をつけた。そして助手席に置いた彼女の顔を見る。月夜に照らされたその横顔は美しく、私はそっと口づけをした。

 冬のせいか少し冷えてしまったその肌はとても滑らかで、私は自身の腕の確かさに惚れ惚れする。キスをするところが車のシートでなければ、なお盛り上がっただろうことだけが不満だった。

 そのためには早く家に帰って彼女を飾ってあげなければならない。それに、他の二人にだって紹介してあげなくては……。

 とにかく時間が惜しかった。こんなところで立ち往生している場合ではない。

 そんな時だった。シャラン、と何か鈴のようなものが鳴った。街灯もなく、先ほどまで照らしてくれていた月も雲に隠れていた。だと言うのに、音の鳴った方にいたそれだけははっきりと見えた。

 それはゆらゆらと揺れていた。初めはただ怪しいものが蠢いているだけだと思っていたが、すぐにそれは誤ちであることに気づいた。

 女だった。

 着物を身につけた女が踊りを舞っていたのだ。

 滑らかに、穏やかに、一分の迷いもなく、ゆったりと、しかし隅々まで神経を通わせて、舞っていたのだ。

 この世ならざるその光景に、私はすぐに目を離さねばならないとそう思った。しかし、すでに手遅れなのだ。

 舞いながら少しずつ、女は近づいてくる。私はその場から一歩たりとも動けないまま、それを眺めていた。あまりにも美しい光景を、目に焼き付けようと必死だったのだ。


 そして、今何が起こっているのかが理解できた。女は彼女だった。彼女達だった。

 まるで誰かが剥いだように、女には顔がなかったのだ。目も、鼻も、口も、何もないのっぺらぼうのようだった。

 だと言うのに、あまりにも美しく、僕は混乱した。


 あぁ、取り戻しに来たのだ。彼女達の顔を、私が奪ってしまったから。

 だけれども、女は完成していた。顔がないということが、そこにもし顔があればという想像心を生み出す。未完であり、しかし、これ以上を超えることはない。ある種の、ミロのヴィーナスなのだ。

 私は即座に車に飛び返り、助手席に乗せた顔にライターで火をつける。タンパク質の燃える独特の匂いが鼻につく。


 いつのまにか、顔のない女は私の後ろへと回り込んでいた。そして、私の首に手を触れる。取り戻しに来た顔を燃やされて、怒っているのだろうか?

 いや、それは違う。

 私には、今、彼女がどのような顔を浮かべているのか見なくてもわかる。顔がなくてもわかる。

 顔を取り戻すことで美しさを損なわれなくなったのだ。これで女は完全に完成したのだ。

 酸欠で苦しくなる中、ミラーに映る私の顔が見えた。

 薄っすらと笑みを浮かべていた。

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ワイスレ ゆりーいか @yuriiikar

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