2話 名付けあう二人

 女性は一息ついた後に辺りを見渡すと、手頃な引き車を長屋の横に見つけた。

年が17か18くらいの男を担ぐのはなかなかの作業としたのか、女性は長屋の戸を叩く。


「もし。もし」


 コンコンと戸を叩いていると、うるさそうに顔をしかめながら1人のふくよかな女性が扉を開けて出てきた。


「なんだい、こんな夜に」

「夜更けにすまないね。あの手引きの車を貸してほしいんだ」


 長谷から出てきた女性は夜に訪ねた女性と倒れている男を目にすると、少し怪訝な顔で訪ねた女性の顔に向いて手を払った。


「なにがあったか知らないけどね、ありゃあたしんとこの車じゃないよ。となりのゴンタの炭車さ」


 そう言って女性はそのゴンタの住んでいるであろう、右となりの戸を指で指していった。


「そうかい。どうも夜更けに邪魔したね。ありがとう」


 女性は礼をいうと、右となりの戸をたたきはじめた。しかし、なかなか出てこない。それどころか寝息すら聞こえてくるのだ。

 困っていると、先ほどの女性がまた声をかけてきた。


「あんたら、いったいどういう訳でそんな事になってんだい」


 女性は変わりなく怪訝な顔をしながら質問をすると、倒れている博打うちに起こった事を話して聞かせた。


「へぇ、この男どうしようもないじゃないか。まぁほっとく訳にもいかんね」


 話を聞いて少し安心したのか、ふくよかな女性は怪訝な表情を止めてほほえんだ。

するとゴンタの住む戸前にやってきて、手を強く戸に叩きつける。


「おいゴンタ! ゴンタおきね! 」


 ドンドンと強く戸を叩かれたのもそうだが、大きな声が響いたかいもあってゴンタらしい男が現れる。


「何時だと思ってんだいチサ。……俺さっき仕事から帰ってきたんだぜ? 」


 目をこすりながら文句を言うゴンタの手は黒く、こすった目の周りも黒く汚れた。

なるほどと、確か炭車と聞いたので女性はゴンタの仕事や手の黒いのも納得する。


「あんた手くらい洗って寝な。それよりだーー」


 ゴンタはチサと呼んだ女性から話を聞かされて状況はわかったらしいが、汚れた人を仕事に使う炭車に乗せたくないと渋った。


「なんだい。炭乗せてんだ、真っ黒にスス汚れてんだし変わんないだろ」

「てやんでぇ。大事な仕事道具にあんなんのせられっかぃ」


 らちのあかない問答に顔をひきつらせた女性は、自分の綺麗な羽織を脱いで見せた。


「これ敷けば道具は汚れないだろう。それにただとは言わないよ」

「バカ言うんじゃないよ。あんたの立派な羽織がススだらけになるよ」


 こんな話になっては強情張っていたゴンタも根負けして、とうとう2人の女性に割って入った。


「わぁった! そこまでいうなら貸すよ! ただし、明日のウマ時には返してもらうよ」


 女性はゴンタの出した条件に了承し、礼を伝えた。するとふところから巾着財布を出してチサと呼ばれる女性とゴンタに20文ずつわたした。


「オワシじゃないか、いらないよ」

「少ないが気持ちだよ。受け取っておくれ」


 そういって女性は2人に礼をいうと、炭車に博打うちの男を引きずって乗せようとする。しかし倒れている男を持ち上げるのは至難で、なかなか車に乗らない。

 苦労を見かねてゴンタとチサが駆け寄ると、2人の力で引き車の上に博打うちの男を乗せることができた。


「何から何まですまないね」

「そりゃいいってことよ。だけんど、運べるかい」

「あぁ。昔は私も引き車で商売してた時があるからね。心配いらないよ」


 女性はそう言うと、男の乗った引き車のとってを下からくぐり、引き手を握って押し始める。

 木の車が軋みながら道をザリザリと進み始め、何の問題もないようにゴンタとチサのもとを去る。

そんな時、ゴン太は車を引く女性に叫んだ。


「返すの明日のトリでもいいぜーツ! 」


 女性はその言葉を聞くと少し車を引くのを止めて、手をゴンタに向けて小さなふれ幅で振って答えた。


 ザリザリとした道から森に入ると、石ころが木の車を妨げているのかゴトゴトと音を立てて荒々しく進んでいく。

どうやら女性もさすがに疲れたようで、獣道から少し外れたところに引き車を止めてから、木の根に腰掛けて一息ついた。


「ふぅ……。もうここらでいいか」


 女性は荒い息が収まるのを待つと、さっきの介抱の続きをはじめた。

 もともと男がふんどし一丁だったのもあり、傷の具合を診るのに着物を脱がせる手間が省けたので、早速女性は手ぬぐいで男の体を拭いてやった。


「骨は、折れてないね。……なんだい、血を吐いたと思ったら、ただのどが切れただけかい」


 男が臓器を痛めていると思った女性は安堵し、口から新しく血がでていないことを確認すると、男の体が冷えないように女性は自分の羽織を被せた。

 少し時間が経つと女性も眠たくなってきたので、男のとなりで草の上に横たわった。


 空は淡い青に赤みが刺しているころ、博打うちの男が目をさまそうとしていた。そして隣にいる女性はいつの間にか眠っていたようで、透き通るような肌の顔に枯れ葉がふってあたる。


「イテテテテ、てやんでぇスケの野郎……。あ? ……あ?! 」


 起き上がった博打うちの男は、昨日の記憶がある部分を思い出して歯噛みをしていたが、見ず知らずの女性がとなりで眠っているので訳がわからずに驚く。


「お、おめぇ誰だ! ……あれ、どっかで見た顔だな」


 博打うちの男は眠っている女性の顔をよく見ようと覗きこむ。すると、思い出した。自分がこの女性に見とれていて転んでスケにとっつかまったことを。


「うわぁああああッ! この女! ちくしょう、コイツに見とれてなきゃーー」


 博打うちの男は被せられていた羽織もどこへ行ったのか、またふんどし姿で勢いよく後ずさりする。

 顔の目の前で大声を出されれば深く眠る女性も起きるもので、面倒くさそうに長く綺麗な黒髪をワシワシさせながら男を見て口を開いた。


「そうぞうしいなぁ……。お、起きたか」


 女性は昨日の出来事を博打うちの男に言って聞かせた。博打の負けと貸し金はもう問題ではないこと、その後のチサとゴンタのこと、そして男の体はのど以外心配ないこと。

 話を聞く男は半信半疑な顔をして口もはさんだが、次第に真剣な面もちになって話を最後まで聞いた。


「なんか、えらく世話になったな。あ、俺あんたになんもしてねぇよな? 」

「なんもとはなんだ」

「いやよぉ、その、なんだ。スケベなこととかーー」


 男の言葉が言い終わるか言い終わらないかのところで女性は笑って平手打ちをした。ずいぶんな強さなのか、男は頭を木にぶつけた。


「いてぇ! いてぇよ! 」

「バカ者が。私がそんなことさせるか」


 男は自分の頭とほほをさすりながら、これからどうしたものかと考えた。まずはお礼をいうべきだが、この男はこの方一度も礼を言ったことがない。

しかしさっきの話がおかしいのか、笑いが止まらずに腹を抱えている男より1つか2つ年が上に見える美しい女性をみていると、自然とこんな言葉が出てきた。


「ありがとうよ」


 その言葉に腹を抱えて草の上で笑う女性も笑いが引いた。


「いいよ。私の楽しみの一つさね。現に、今とても楽しい」

「わぁったよ! 変な勘違いは謝るぜ」


 笑いやめばここは森の中、する音と言えば朝の鳥の声と風に吹かれてすれる木々と葉の音。

しばらく沈黙したのちに、男は口を開く。


「あんた、名前はなんていうんだ」

「名前はな、無いんだ。それか忘れちまった」

「忘れるなんてそんなことあんのかい? 俺も名前はねぇがよ」


 女性は何を思うのか、哀愁ただよう表情をしたと思ったらスッと立ち上がり、男に向かってほほえんだ。


「私が名前をつけてやろうか? 」

「てぇやんでぇ、名前なんていらねぇよ」

「まぁそう言うな。いいものだぞ」


 男性が戸惑っているのを無視して、女性は男の名前を考えた。

草の上をウロウロ歩きながらしばらく考えていたが、とうとう決まったのか立ち止まる。


「ギンジ……、ギンジというのはどうだ! 」

「ギンジぃ? なんだいそりゃ」

「ギンジというのはだな、昔いた大泥棒の名前だ」

「大泥棒?! てやんでぃ! けったいな名前だぜッ」


 そう言って男はふてくされたが、女性はとなりに座ってなだめた。


「お前は盗っ人で、とった物を売って博打をしていたそうじゃないか」


 男はそれを聞くと少しうつむいて、これまでのことを思い返していた。

生まれは知らないが、名前もなく気がついたら森の中。いきるために通りかかる商人から物を盗んだり、村や町にでてまた盗んで売ったりしていたのだ。


「なぁギンジ。盗っ人ってのは手段だ。子供の頃はそれしか手段がなくても、今のところギンジには立派に働ける体があるじゃないか」


 とうとう男は、この女性から『ギンジ』と呼ばれた。それははじめて人から呼ばれた自分の名前のような気がして、少し嬉しくて救われた気がした。


「わぁった! 俺は今からギンジだ! そしてなんか働くよ。大泥棒返上でぇ」

「そうだなギンジ。まぁ、そう思えるだけ立派だと思うよ私は」


 はじめは不服だった名前が性にあってきたのか、ギンジは意気揚々とギンジギンジとつぶやいている。

そして思い出したのか、女性も名前がないことを思い出したのか。


「俺もつけてやるぜ」

「へぇ。でも好きにお呼びよ」


 ギンジはうなりながら、自分でも思うあまり学のない頭で必死に悩み抜いて、どうにかいい名前をつけたいと考えた。

そしてとうとう空が本格的に明るくなるころようやく思いついたのか、女性に向かって振り返った。


「お前はハナ……、いやユキだ! 」

「絞れてないじゃないか」

「ユキだ! だって雪みたいにしろいもんな」


 『ユキ』と名付けられた女性は何かを思い出したかのようにハッとして、でもギンジに向き直って笑って答えた。


「ユキ、いい名じゃないかい。気に入ったよ」

「へへッそうだろ! ユキ! ユキ !」

「はいはい、ギンジ」


 ギンジは自分の名前ができたことが嬉しくなって、また名前を呼ばれたのが嬉しくて興奮して、何度も『ユキ』と女性を呼んだ。

 ユキはその名前に懐かしさを感じたようだ。少し嬉しくて、でも寂しい名前だと心中で思う。


 何度もユキを呼ぶギンジにたいし、ユキも多少面倒くさそうにギンジと返した。

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身近な不老さん O.F.Touki @o_f_touki

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