駅のベンチで僕は泣いた

鹿島 茜

駅のベンチで僕は泣いた

 つきあっていた彼女に、ふられた。


 僕が浮気をしたからだ。それが彼女にばれたからだ。ほんの少しだけ、魔が差した。こっそり参加した合コンで出会った年上の女性。その人と、一晩だけともに過ごしてしまった。嘘のへたくそな僕が、彼女をだましとおせるわけがなかった。「一昨日の夜、どこにいたの?」という一言で、僕はすべてを白状した。なぜ彼女がわかったのか、僕には見当がつかない。女の勘というものなのだろうか。


 僕は、年上の女性に再び連絡を入れた。もしかしたら、引っかかってくれるかなと考えたような気がする。一度だけの関係のはずだったけれど、実はとても相性がよかったからという思いもあった。メッセージを送ってみたら、しばらくたってから返事がきた。


『また私としたいの?』


 そうです、とは言いにくい。いかにも、いかにもすぎて。


『そういうわけじゃないですけど、晩飯でも』

『したいなら、したいって言えば?』

『……したいです』


 晩飯でも、と言いながら、食事もせずにラブホテルになだれ込んだ。なんとも言えず、相性がよかった。肌触りがよかった。ふられた彼女よりも、ずっとずっとよかった。ただ、別にこの人のことは好きなわけではないけれど。


 それからしばらくの間、僕は年上の人と逢瀬を重ねた。好きでもないけど、嫌いでもない。身体は好きだ。ものすごく好きだ。少しずつ、情が移っていく。犬や猫ではないけれど、飼い始めたらかわいくなってしまったような感覚があった。


『もう連絡してこないで』


 会うようになって5回を超えた頃、突然そんなメッセージがきた。電車から降りたばかりの僕は、思わず目の前のベンチに座り込んだ。


『どうして?』

『私、結婚するから』


 知らなかった。結婚するような相手がいたなんて。


『婚約者がいるのに、他の子とできないから』

『ていうか、今までは婚約者がいるのに僕と浮気してたってこと?』

『そういうこと。君だって私は浮気相手だったでしょ』


 そりゃそうだけど。そのとおりだけど。僕は驚くほど混乱した。


『結婚する予定の人がいるなんて、まったくわからなかった』

『言わなかったからね』

『相手にばれないのかよ』

『残念ながらばれてないね』


 僕は、ひどく複雑な気持ちだった。相性がよかったはずなのに。すごく、よかったのに。僕だけで満足させたような気分になっていたのに。この人にはちゃんと、決まった人がいたのか。つまり。僕以外の男とも。少しだけ失恋したような感覚だった。


『あのさ』

『なに?』

『結婚しても、続けようよ。気持ちいいから』


 僕はクズだ。心底クズだと思った。


『君、クズだよね』


 わかってるよ。


『バイバイ、もう連絡しないで』


 それっきりだった。


 クズに徹して、ふられた彼女に連絡しようかと思った。けれどもさすがにそこまでの勇気はなかった。


 駅のベンチで、僕は泣いた。何が悲しかったのか、よくわからない。年上の人が惜しかったのか、二股かけられていたことが悔しかったのか、ふられた彼女を恋しく思ったのか。


 誰のことを好きで、誰のことを愛していたのか、それがわからなくて。自分自身のろくでなしっぷりが、情けなくて。なのに、また繰り返してしまいそうな気がして。何をしているのか、わからなくて。


 夕方の駅で、僕はいつまでも泣いていた。誰もが僕の前を通りすぎていく。誰も僕を振り向かない。誰も僕を愛さない。


 誰も、僕のことなど。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

駅のベンチで僕は泣いた 鹿島 茜 @yuiiwashiro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ