バースデイ
円堂 豆子
バースデイ
腹が立って腹が立って、涙が出そうになったから、スマホのメモ帳をひらいた。涙をこらえながら、文字を打った。狂ったように動く指先は、さながら突進するカバ。いや、バカ。
(ほんとだ、わたしってひどいバカ、バカ、バカ)
指がとり憑かれたように動いて止まらなくて、画面を覗きこむ目が呆れていた。自分の指のくせに、誰かべつの人の指を覗いている気分。
指の動きがゆっくりになった頃、文字は画面から溢れていた。スクロールさせて、書きはじめの先頭へ戻してから眺めると、自分じゃない何者かが乗り移って書いたような詩が、そこにあった。
気休め程度の薄っぺらい
「君ならやれるよ」なんて
フザケンナって殴って壊す
サンドバッグにしかならないし
嫌い、嫌い、なにもかも嫌い
ぶっ壊せ、ボロボロに
アイツの顔も粉々にしちゃえばいい
想像の中だけだよ
誰にも迷惑はかからない
あぁ、快感
鏡の中、ヘラヘラ笑う自分の顔と目が合った
醜い顔、あの人と同じ醜い顔
わたしも、イヤな奴だったね
ごめんね、イヤな奴だったね
いったい誰がこんな言葉を残したんだろう? ――と、まるで、立ち去ってしまった誰かの足跡を覗くようだった。でも、とても気に入った。
「いい――歌える」
いい怒りだ。と、画面を覗きこんでうっとりと目を細める。その詩は、いまに歌詞になる。いまにメロディーが乗るから――いいや、すでに乗っている。
――もう、歌がそこまで来てる。
――音に早く色をつけてあげなくちゃ。逃げてしまう前に捕まえなくちゃ。
スマホをベッドに放り投げた。代わりに手に取ったのはギターで、足を組んで座って、脇に構える。
「えっと―――こう……たぶんこう……」
今度は、指が勝手にフレットの上を移動する。
Am、Em、F、C、Dm、C、F、Em――と、浮かんだ通りの
はじめは「ララ」と「アア」だけで歌う。
唇から飛び出してくる旋律には、「そう、それ」と拍手喝采を送りたいメロディーもあれば、「違う違う、全然違う」と頭を掻きむしりたい部分もあった。でも、それどころじゃない。拍手をしたくても、頭を掻きむしりたくても、手はギターから離れようとしなかった。
――早くしないと、音楽が逃げちゃう。
――もう頭の中にあるのに、早く外に出してあげなくちゃ。
こういう時――新しい曲が生まれる時、頭の中には未来がいた。出来上がった後の完成形の曲が、時間を飛び越えて自分の中にいて、「早くわたしを見つけて」と手を振っている。自分以外に支配されるような気味悪さと、怖いもの見たさと、いとしいものが仕上がっていく喜びに震えて、叫ぶしかなくて、弦を弾くしかなかった。
だから、歌う。
何度か繰り返すうちに、納得のいくメロディーが仕上がった。未来の完成形と、試行錯誤の途中にあった現実の試作品が出会えた瞬間で、時空軸が狂ったような不気味さに、息が止まった。
「できた――」
蘇生の後のように、息をした。
目に入った自分の部屋は、旅から戻った後、久しぶりに見た景色のように、えらく新鮮だった。
六畳の洋室とキッチンとバス・トイレがあるだけの安いアパートの一室で、ベッドの上のほかはほとんど足の踏み場もない。窓の向こう側には重なり合うように建つボロアパートの壁や、電信柱や、古臭くて味気ない店の看板や、洗練という言葉が欠片も似合わないくらいゴミゴミした、けれど、掘り出し物の夢が埋もれた宝島のような、東京の街。
街は夕焼けに染まって、トマトジュースの底に沈んだように、真っ赤になっていた。
新しい曲が、生まれた。
バースデイ 円堂 豆子 @end55
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます