依存観察ノスタルジア

多賀 夢(元・みきてぃ)

依存観察ノスタルジア

 酒とだとか、タバコだとか、パチンコだとか、セックスだとか。

 そいうものに溺れてしまった人に囲まれて、私は育った。


 依存症というと、『それがないとやっていけない人』というイメージが強い。だけど本当に怖いのは、やっていけないほど頼っている物質が、行為が、脳を蝕んでいくこと。明らかに脳細胞が壊れ、シナプスが千切れて、理性どころか運動野まで侵していく。求める事だけ忘れられず、依存したものに金と時間をつぎ込んで、最後には社会にいられなくなり消えていく。病院の中なり、引きこもりなり、自殺なり、まあ色々。


 しかも、世の中すべての快感を覚える行為が、安らぎをくれる行為が、依存症をひき起こす。ゲームも仕事も食事もダイエットも運動も、どれも依存症に繋がるものばかり。

 人の脳というものは、『現実逃避』に弱いのだ。



 そういう事を理解している私にとって、飲み会は依存症の博覧会である。

 今日は、会社の下っ端仲間が唐突に決めた『愚痴飲み会』。まさしく現実逃避。まさしくプレ依存症観察の宝庫。

「かんぱーい!」

 周囲が頼んだとりあえず生と、私が頼んだ芋焼酎(ロック)でグラスをぶつける。

「唯さん強いっすね、いきなり焼酎じゃないですか!」

 がっしりした体の大島君が、満面の笑みでからかってくる。

「ビールや発泡酒は嫌いなのよ」

 いつもの言い訳を口にすると、ボーイッシュな女の子のはゆかちゃんがじりっと私に寄って来る。

「姐さん、ホントいつもカッコいいっす!」

「……あなたは、今日こそ酒を控えなさいね」

「分かってますようっ! 大好きな姐さんを困らせたくないですしっ」

「うん、期待してない」

「ひどおぅい」

 視線を感じて正面を向くと、色白メガネの斎藤君がちらちらっと私を見てはにやついている。ああ、この後の展開に興味持ってんのね。

 私はグイグイ飲み続ける周囲をよそに、淡々と枝豆を食べ、酒を舐めた。

 さてはてこれから2時間後、連中はどうなっている事やら。




「ああん、唯ねぇさぁん」

 最初に潰れたのは、はゆかちゃんだった。

「姐さぁん、なんで今日も酔わないんですかぁ? ああん、強すぎるぅ」

「強くないわよ。うちは酒に弱い家系だし」

 ……私が生まれた酒豪の国、高知の中ではね。

 それはさておいて、酔い過ぎないように計算しているのは事実。吸収が遅い度数の高い酒を選ぶとか、つまみをちゃんと食べるとか、トイレはまめに行くとか。

「私、強い人、す・き☆」

 はゆかちゃんが、私にしなだれかかった。こら、私の太ももをさするでない。

「はゆかちゃん。何度も言うけど、私はストレートだから」

「いいじゃないですかぁ、新しい扉開きましょお?」

「開かない。開かなくていい」

 はゆかちゃんはセックス依存のように見えるが、実は恋愛依存である。背徳感のある恋を求め、相手にいいように使われて、会えない寂しさを埋めようと更に道ならぬ恋をする。――そのターゲットに何故私が入っているのかは謎だが。


「おおお、いい気持ちになってきたー!!」

 急に大島君が立ち上がり、やおら上着を脱ぎ出した。はゆかちゃんと斎藤君が「待ってました!」「いよっ、色男!」と囃し立てる。

 それがいつもように手拍子になり、彼は一枚、一枚と服を脱ぎ始める。露わになるのは、鍛え上げられた筋肉。しっかと盛り上がった僧帽筋、がっつり割れたシックスパック。

「ちょちょちょ、大島君、他のお客さんのところ行っちゃだめー!!」

 まるでモデルがランウェイを歩くように、座敷の端から端まで筋肉をお披露目に行った大島君を、私は慌てて追いかけた。しかし今日のお客さんは皆優しくて、羽目を外した若者の裸踊りに拍手喝采してくれている。大島君も満足そうだ。

 大島君は運動依存、そして筋肉依存でもあるだろう。彼は大学を中退したり、引きこもりを経験したりと、自分の過去に劣等感を持っている。このままじゃいかんと肉体改造を始めたら、運動の爽快感や追い込むときの高揚感のとりこになったんだそうだ。素面の時に武勇伝のように語っているのを、私は何度も苦笑しながら聞いている。

 一通り自分を見せびらかした大島君は、私のところに戻って来た。

「いやあ唯さん。気持ちいいっす!」

「あー、まあ、良かったね」

「なんですか! ノリ悪いっすよ! もっと飲んで下さいよ、俺は飲みませんけど」

「え、なんで」

「――気持ち悪いっす。あと寒い」

「冷房ガンガンの店で脱ぐからや!」

 私は慌てて温かいお茶を頼んで飲ませた。更に、酔って何もできない大島君に服を着せた。ああもう、動くんじゃない。


「あー疲れた」

 女子トイレで少し休んでから廊下に戻ると、いきなり腕を強くひかれた。

「つーかまーえた」

「――来ると思ってたよ」

 斎藤君だ。彼は、はゆかちゃんとは違う。本物のセックス依存者だ。

 それを見抜けなくて、私はこいつとうっかり一晩を共にしてしまった。その後のやりとりで恋されていないと察して、速攻で愛人になるルートを断った。

 それは相手も分かったようで、今は普通の仕事仲間として接してくれている。しかしまあ、酒が入れば理性は飛ぶよな、そういう物質だものアルコールって。

「ゆーい。ここでこっそりしようよ」

「そんな気分ではない」

 だから近寄るな、顔を寄せるな、壁に手をついて退路を塞ぐな!

「あの時の乱れた唯、また見たいなあ」

「黙れ。年上を呼び捨てにすんじゃねえ」

 逆毛を立てた猫のように警戒していると、斎藤君の顔からエロスが消え、ふんわりした笑顔になった。

「うーそ。唯さん優しいから、ちょっと甘えただけ」

「本気で甘えてこないで? 怖いから」

 やっと手をどけてくれて、私はほっと一安心した。


「でもさぁ、唯さんにとって飲み会は苦痛じゃない? 酒強いから酔えないしさ、そのせいで今日もお世話係してるしさ」

「強いんじゃくてさ、酔えないの。酔うのが怖いの」

 廊下の壁に並んで持たれて、向こうで潰れているはゆかちゃんと大島君を眺める。

「私、祖父がアル中でさ。私が物心をついた時には脳が壊れまくってて、ずっと笑顔で唸っているばっかりだったの。私が自分の孫だって事も、分かってなかったんじゃないかな」

 大人ならだれでも飲むお酒で、祖父は人ではなくなった。それを理解した私はのちに『依存症』という病気を知り、人間があらゆる物質、あらゆる行動に依存してしまう生き物であると知った。

「私は理性的でなくなることが、怖いの。その先には必ず依存があるから。でも憧れはあるのよね。あんな風にぶっ壊れたら、感じる楽しさってどれだけ強いのかなって。嫌な事がぶっ飛ぶほどの欲求って、分かんないしさ」


 悟ってしまった私には手を出せない欲望の味。きっと無知な彼らだからこそ、貪れる甘露。私は世話を焼きながら、それを好ましく、羨ましく見ている。


「じゃあ、僕とベッドで試す?」

 冗談めかした斎藤君の言葉に、私は怒るでなく笑った。

「あいにく、酒が入ると性欲は弱くなるのよね。てかアンタ、よく冗談でも私を誘えるよね。仕事仲間だよ?」

「だって構いたくなるから。『唯さん依存症』、あの二人もそうだよ。だって唯さんの前以外じゃ、あんなに飲まないし」

「じゃあ私、いちゃダメじゃん」

 私のせいで酒が進むって、本当にヤバいじゃん。

「大丈夫じゃない? このプロジェクトってそんなに長くないし、その間甘えさせてよ。――みんな甘えたいんだよ、お母さんに甘えるみたいに」

 ふと、自分の兄弟を思い出した。とても小さかった頃は、あいつらも私に邪魔なほどじゃれついてたっけ。

「せめてお姉さんって呼んでよ。でも斎藤君の依存先はセックスでしょ、一人だけ大人だね」

「どうだろ。本当は、母親みたいな感じで抱っこされたいだけかも」

 そう言ってちょっとうつむいた彼は、口を尖らせた寂し気な子供のようだ。

「抱っこだけならしましょうか」

「いいの?」

「いいの。酔った勢いよ」

 互いに正面から抱き合って、私はそっと背中を撫でてあげた。大きな体が小さく感じて、私の手のひらからは熱以上の何かが彼に吸い取られた気がした。


 もしかしたら彼らは、酒や恋愛や運動やセックスじゃ補えない、大きな何かを埋めたいのかもしれない。だけどやっぱり、それは依存で埋めるべきではない。愛だとか経験だとか知識だとか、一生モノの何かを詰めるしかないのだ。


 でも、その方法が分からないから。

 そもそも何が欠けているのかも分からないから。

 だから依存行為に手をだすのかもと思ったら、彼らの悲しみが、愛おしさが、心に伝わってくるような気がした。

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