世界を繋ぐ物語

 高校に入学して三度目の春。

 私は相変わらず図書委員で、相変わらず物語をつづっていた、のだけれど。

 

 その時は、いつもと同じようにとはいかなかった。

 何かが思い通りにいかなかった。

 物語を書いては消し、戻り、直し、消して、消す。

 言葉はちっともうまく繋がらないし、話を進めても何も面白いことは起こらない。だから文章に気持ちも乗らない。ただページ数を稼ぐための、文字を消化するだけの作業だった。改めてアイディアとストーリーを練り直せば、そこにはどこにでもあるような、陳腐なお話が転がっているだけ。

 手元の小さな画面上に広がる、真っ白い文章編集画面が目に痛くて。私はスマホの画面を暗転させた。本を読むための、図書室の明るい照明が黒い画面に浮かぶ。

 特別な物語が生まれると思っていた。書いたら、特別な自分になれる気もしていた。

 だけど私は。どこにでもいる普通の、つまらない女子高校生でしかなかった。


「深田さんさ、もしかして小説書いてんの?」

 頭上から、遠慮のない声が降ってきた。

 驚いて顔を上げたら、矢沢さんがすぐそばに立っていた。彼女は三年では図書委員にはならなくて、図書室に用などないはずだ。なのに私の座っている閲覧席の机に鞄を下ろし、正面にそのまま座る。

 私は胸元にスマホを引き寄せた。

 まさか、まさかこの人。

「ずっとスマホいじってるじゃん。誰かとトークしてんのかと思ったけど、もしかしたら小説書いてんのかもって」

 矢沢さんは私のほうに身を乗り出す。だけど画面をのぞき込むことはしなかった。どうやら私のスマホを勝手に見たとか覗き込んだとか、そういうことではないらしい。

「なんで、知ってるの」

 小説を書いてることを、矢沢さんはなんで知っているのだ。

「え、だって文芸部でしょ」

 あまりにもあっさりとして、至極真っ当な答え。だけど緊張は解けなかった。クラスメイトの部活を把握していることは、確かにおかしくはないかもしれない。

 だけど小説を書いているのだということを、ずばり言われるのは落ち着かなかった。

 恥ずかしかった。

 そんな、人に見せられるようなものなんて、書けていないから。

「すごいなー、小説書けるとか」

 にこにこしながら矢沢さんは言う。

「別に、すごくない」

 世の中にはプロアマ問わず、小説を書く人なんて星の数ほどいる。私のありきたりな作品なんてあっという間にのまれて消えるほど、沢山の作品が存在する。

 お世辞か買いかぶりか知らないけれど、他人が言うほど簡単ではないし。

 特別なことではないのだ。


「私のこと、小説に書いてよ」

「は?」

「深田さんの小説に、私のこと出してよ。今書いてるやつとかに、出してくれたりとか?」

 いつも教室で、友達同士で盛り上がっているときみたいな。何の悪気もない楽しそうな笑顔でそんなことをのたまうから。

「絶対、いや」

 心の底から言った。遠慮や気遣いなど何一つかけなかった。矢沢さんに心底呆れて、そして軽蔑する。

「私の大事な作品に、軽々しく乗っかるようなこと言わないで」

 単純で平凡な、どこにでもある作品しか書けないとしても。

 それでも私の精一杯の思いを、言葉を、世界を。

 そう簡単に扱われてたまるものか。


「ごめん」

「え?」

「すごい図々しいこと言ったよね。ごめんね。特別なもの書いてるのにこんなこと言われたら嫌だよね」

 相変わらず笑顔で、だけどまっすぐ私を見て、矢沢さんは謝った。

「え、いや、全然特別じゃ、ないんだけど」

 特別じゃないけど。

(それでも、やっぱり)

 胸のスマホを、ぎゅっと抱きしめる。

「私さ。深田さんの小説、読んだよ」

「は」

 どこで、どうやって。ぐるぐると疑問が頭の中を駆け巡るが、矢沢さんはやっぱりあっさりと答えた。

「そこ、文芸部の部誌が置いてあるじゃん」

 貸出カウンターそばの、小さな本棚を矢沢さんが指さす。

 そこには文芸部がふた月に一度発行する、部誌が収められていた。創部以来の伝統で部誌を図書室に置くことになっているものの、誰がこんなもの読むんだと思っていたのに。


「あの赤い表紙のやつに載ってた話、好き。女子高生が異世界に行っちゃうやつ」

 改めて内容を口にされて、私は恥ずかしさに足をバタバタさせたくなる。

 あんまりにも、ありきたりすぎる物語だろう、それは。

「仲間がさ、敵に操られて。主人公が裏切られて一人ぼっちになっちゃうところ、あるじゃん」

「……あるね」

 呻くように答えた。なんてわかりやすすぎる展開。

「私そこで、マジ泣きしちゃった」

「……泣いたの?」

 お世辞とか、大げさに言ってるんじゃなくて。

「うん。なんかさ、あの時の私、涙腺緩んでたんだと思うんだよね。部活がマジしんどくて。うちの学年、先輩と仲悪いのね。私、結構頑張ってみんなの間を取り持ってたんだけど『誰にでもいい顔してる』って言われて。味方してくれる子、いなくなっちゃった」

 それでも笑いながら、矢沢さんは続ける。

「私がいないとマジで困るとか言って、先輩との間に立たせといて。ちょっとひどいわ、みんな」

 矢沢さんは命の危機があるわけでも、異世界に一人取り残されたわけでもないけれど。

「ちょっと主人公の気持ち、わかっちゃった」

 それでも私の物語に、心を寄せてくれたんだ。


「あの主人公はさ、ちゃんと乗り越えるじゃん。仲間も帰ってくるし。だから私も、小説のキャラみたいになりたかったの」

 現実見なきゃね、と矢沢さん。

 その言葉に、私の物語が、誰かの現実を生きる力になればいいと、そんな大それたことを思った。

「ねえ。書いてるやつ、書きあがったら読ませてよ。出してなんて言わないから」

「矢沢さん」

 私の物語の一部になりたいと、言ってくれた人がいた。

 その願望には、応えようとは思わなかったけど。

「うん」

「読んでくれて、ありがとう」

 どこにでもある、平凡な物語かもしれない。

 まだまだ未熟で、ありふれたものしか書けないかもしれない。

 それでも私の、大事な物語が生まれたら。

 あなたの。

 まだ見知らぬ、誰かの。

 大事な物語の一つに。

 きみの物語になりたい。

 

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