23話「左の戦い」
どんどん床が近くなる。それすら気にせず二人の魔獣は打ち合った。もう岩石となってしまったお互いの身体は硬く、傷つく場所等ありはしない。急速なる石化により酷く動きの鈍くなった手は、きっとこれから動かなくなる。
それをわかってはいても、二人は打ち合うことを止めなかった。理性を失ったかつての主は知らないが、獣の頭は打ち合う度に、彼を許せるような気がしてきた。それはきっと、反抗心に近いもので。子供のように癇癪を起す、たったそれだけのことが出来なかったのが哀しかったのだ。
自分の気持ちを親に伝えて、受け入れられる為に打ち合って。それは獣の頭が初めて出来た反抗で、そして意思表示だった。
振りかぶった爪が、主の肩口に打ち込まれ、そして――動かなくなった。石化の影響でもう瞳も動かすことが出来ない。
これで良かったのだ。この石化は“獣”に任せて、男の身体は助けてやる。それが獣の頭の願いだった。彼の身体を彼に返す。彼だけの身体に戻す。ただそれだけ。自分は元から獣の頭だ。この身体と共に死ねるのならば悔いはない。
動かない瞳でもわかる。獣の身体の両肩に、狂犬達が飛び乗った。もう床にも程近く、二匹の狂犬は一回の跳躍で易々とこの場所までたどり着いた。その手には――水の魔力の詰まった瓶が握られている。
「……“リーダー”、良いんだな?」
視界の外からレイルの声が聞こえた。何かを決意したその声音に、獣の頭は不安を覚える。
「……わかった。模造品を破壊する」
背後からロックの声も聞こえた。どうやらここにはいない誰かと会話をしているらしい。無線はサクには繋がれていないようだ。こんなことが出来るのは――
「……壊して悪いな」
レイルのその言葉を最後に、サクの意識は暗闇へと落された。酷く粘り気のあるその闇に、足元から絡めとられるようだった。
漸く自室に帰り着いたのは、深夜の時間帯になった頃だった。このところ南部支部からの問い合わせばかりでろくに寝れていない。獣の世話等ルークに聞かれてもわからないのに、彼等は「防腐処理のついでに」と言わんばかりに色々なことを色々な時間に好き勝手に聞いてくる。
牢獄から出られた解放感から、最初の数日ぐらいは気前良く答えていたルークだが、いくらお人好しな好青年と周りから言われる自分でも、この拘束にはうんざりしていた。
南部の街から戻ったレイルとロックには、その日の内に再会した。彼等の帰投に合わせて解放となったルークは、さっそくお祝いと称して夕飯をご馳走になっていた。普段からルークのことを「バカ」だの「食い過ぎ」だの「痩せろデブ」だの罵る二人が妙に静かなのが気にはなったが、目の前に置かれた肉料理に目が眩んでいたのは自覚がある。
食べ終わったルークに二人はある依頼をしてきたのだ。依頼内容は南部の街にて、『身体の九割が死んだ人間を、腐らせずに生かしてくれ』というなんとも理解しがたいものだった。普段から死体愛好家で自分で持ち帰ったコレクションを自室に飾っている自分に、まさか生きた人間の保存を任されるとは。
話を聞いている限り、今回の任務に自分が除け者にされた理由もどうやらこの性癖のせいらしい。あの牢獄に迎えに来た男が、身体の死を経験していたなんて。
――知っていたならもっとじっくり眺めたのに。ロックも教えてくれねーし、ほんと意地悪だよなー。ま、そこがあいつのエロいとこなんだけど。
彼の細い腰を思い出しニシシと誰もいない自室で笑っていると、また携帯端末に着信が入った。もうこの数週間で見慣れた相手の番号に、ルークは部屋に電気を点けながらくだけた調子で応答する。
「おう。お疲れさん。ガーゴイルさんの調子はどうだ?」
『お疲れ。お前の魔力とコーティングのおかげでなんとか“形”にはなったぜ。助かった』
端末の向こうの彼女の声は、思いの他元気そうだった。数日前に話した時は、確か『料理なんて面倒だ。餌で良いだろ餌で』とか身も蓋もないことを言っていたのを思い出す。
「それなら良かった。多分あれだけやれば身体が腐ることはない。石化ももう完全に落ち着いているだろうし、死ぬことはないと思う」
『……本当に、助かったよ。ありがとう』
「よせよせ。お前にそんな風に言われると、こっちがむず痒くなる」
珍しくしおらしい彼女の反応にあたふたしながら、ルークは話題を変えることにした。
「それで? リーダーさんは元気?」
『バーカ。あいつはもうリーダーじゃねえよ』
「じゃあ……サクさん、だっけ?」
『それも違う。あいつはもう特務部隊を抜けたんだ。奴には、新しい名前がある』
「それもそうだったな。名前って、確かツ――」
『――うるせえ! 飯の用意はもう出来てるって言ってんだろ!?』
ルークがそこまで言った時、端末の向こうで彼女が怒鳴った。続いてバタバタと走る足音を響かせながら、レイルが言った。
『獣の餌の時間だ。悪いがまた……ゆっくり話そうぜ』
響く足音は軍用ブーツのせいであり、磨き抜かれた床に反響している。息も切らさず話す声は、少しばかり嬉しそうにも思える。
「ああ。またあの槍の伝説も教えてくれよ」
『伝説関係は私よりロックの方が詳しいだろ』
「でも、あの……地竜の槍、だっけ? あれの新しい模造品、研いだのレイルなんだろ?」
『まーな。大事な得物を壊すなんて、私らにとっては大罪だろ?』
「ああ。恋人を殺された気分だ」
『だよな。模造品の良いところは、またいくらでも作れるってことだ。大事なもんに、変わりはないだろうからな』
そう言いながら笑って通話を終えた彼女に、ルークも笑顔で端末を耳から離した。
――あいつの肉料理って、甘い味付けが最高なんだよなー。あ、でも獣さんって、確か南部生まれだっけ? 味覚、どうなってんだろ?
そんなことを考えながらルークは、死体のぶら下がった部屋の中で穏やかな笑みを零した。
END
獣の頭 けい @kei-tunagari
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