第8話 エピローグ アストラ

(人は守りたいものがあれば、どこまでも強くなれる――我がローズクレスト家の家訓だ。どうして彼が口にしたのか……偶然? それとも、ボクがローズクレストの人間だと知っていた?)


 そう訝しむアストラの目から見ても、回避に撤しているゼネカの動きは中々のもの――どころか、かなり戦闘慣れしている印象を受けるものであった。


(驚いたな。確かにあれなら……けど、変異体を倒すすべが無ければ結局はジリ貧だ。ならボクが今、為すべき事は――)


 全神経を内へと注ぐ為に目を閉じたアストラは、心という炉に燃料をくべていく。胸の奥が熱くなり、呼応した心の臓が拍動を早めるのを感じ取っていた。


 今、アストラの体内では、心臓を経由する事で血液の温度が急速に高まりつつある。繰り返される循環により、実際に沸騰する訳ではないが、それくらいの勢いで上昇しているのだ。そして心臓は、さらに熱い血潮を全身へと駆け巡らせるべく、けたたましく鼓動を上げ続けている。 


 その結果、血中に含まれる抗体が活性化し、ウイズの毒素を制圧する力が跳ね上がる。それだけではない。活性化した抗体は、その人間の運動性能や肉体強度、さらには治癒力までをも飛躍的に高める、まさに奇跡の力の源であった。


 余談ではあるが、活性化させた抗体を用いる一連の技能は、【ねん】と呼ばれている。これを最も高い領域で扱える素質を持っているのが、アストラのような赤髪をした――世代を経るごとに薄れてしまった、原初の抗体に近しい抗体を備えている者達であった。


(よしっ、いける!)


 限界まで抗体を活性化させたアストラは、体内で暴れる変異体の毒素を一時的とはいえ抑え込む事に成功していた。


「アストラ!」


 ゼネカの叫び声に応じる代わりに目を開くと、両手で握った剣を頭上に振りかぶる。全身から立ち昇る、炎に見紛う蒸気が吸い込まれるように剣に集約されていき、黒い剣身が赤く染まった。


(お前は、必ず倒す!)


 ウイズを睨み付けるアストラの心臓は無防備にさらけ出されている。

 例え、それがアストラの誘いであったとしてもウイズが躊躇ためらう事は無い。振り下ろされる剣よりも早く、心臓を貫けば良いのだから。本能に従ったウイズは、事実、躊躇なくアストラに肉薄した。

 対するアストラも防御には一切の意識を割かず、全身全霊の一撃で迎撃する。だがそれも及ばずウイズの攻撃が先に届きそうだ。


 勝利を確信したかのような、ウイズのおぞましい雄叫びが轟く――が、次の瞬間には、愕然がくぜんと見開かれたその真っ黒な眼球に赤い軌跡を描き、アストラの剣が振り下ろされていた。

 一刀両断。ウイズは、左右に分かれたそれぞれの顔で困惑の表情を浮かべたまま、どさりと音を立てて倒れ伏した。


(やった、やったぞ。けど、今の、は――)


 アストラが、ガクンッと崩れ落ちた。地面に突き立てた剣に両手ですがりつき、片膝立ちでどうにか体を支えている。全力を超える力を振り絞った一撃だったのだろう。その反動の大きさが見て取れる。


「よくやったな、おつかれさん」


 アストラは、ゼネカの肩を借りて樹の許へと移動したらしき事は分かっていた。ただその際、何やら言われたような気もしたが内容は憶えていない。朦朧もうろうとする頭が、その言葉を寄せ付けなかったのだ。

 だが、ゼネカが立ち上がったのを感じた時、奥にうごめく不穏な気配に遅ればせながらに気付く。再び襲いきた本能を揺さぶられる怖気。最大級の危機感が、意識を強制的に覚醒させた。


(まさか……、あの状態から?)


 薄っすらと開けた視界に映ったのは、ゼネカの後ろ姿だ。対峙しているのは、間違いない、真っ二つにしたはずの変異体ウイズである。


(くっ、すぐに加勢を……)


 その意志に反して、限界を越えたアストラの体は言う事を聞かなかった。動けっ、動けっ、と歯噛みするしかないアストラの視界を不意に眩しさが襲う。


「おい、生きてるか?」


 それほど長い時間ではなかったはずだ。思わず目を閉じてしまっていたアストラに、その言葉の意味を鑑みれば明らかに素っ気ない調子の声が届いた。

 けれども、それこそが声の主を表しているという事を、短い時間でたっぷりと刷り込まれたアストラである。文句を言う気も湧いてこない。

 目を開けると、辺りにはすっかりと闇が訪れており、変異体ウイズは姿ばかりか気配すらも完全に消えていた。


「やつは? ……ウイズは、どうなった?」

「消滅したよ、お前のとびっきりの一撃でな」


(そんなはずはない。確かにやつは立ち上がっていた。それにさっきのは)


「キミが……」


 アストラは、言いかけた言葉を飲み込んだ。


「そうか、良かった」

「ああ、おかげで助かった」


(倒せたなら良い。どちらにせよ、ボクに残されている時間は余り長くはない。それに――)


 ゼネカがどんな思惑で功を譲ろうとしているのか、アストラが考えたところで分かるはずもない。また、聞いてみたところで煙に巻かれるのが関の山だろう。しかしながら、今のアストラにとっては渡りに舟であり、大いに利用させてもらう事にしたのだ。


「そう思ってくれるなら……頼みが、ある。これを」


 アストラは胸の徽章を取り外し、ゼネカへと託した。母親と兄への伝言を添えたのだが、やはりゼネカらしい返しをされてしまった。

 十字架を模った徽章の裏には、持ち主の家名が刻印されている。それを見たゼネカがアストラの顔をまじまじと見入ったかと思うと、なんとも言えない複雑な表情となって天を仰いだ。


(今のは……ボクがローズクレスト家の者だとは知らなかった、という反応で良いのかな? もうそれもどうでも良い事か。それよりも、これを頼むのは本当に心苦しいんだけど――)


「もう一つだけ、頼みたい」

「聞くだけ聞いてやる。言ってみろ」

「ボクの……処理を。ウイズへと変質してしまう前に……頼むっ」

「俺は一般人だぞ? ちっ、そうはいってもこの状況じゃ仕方ないか。分かったよ、あとは俺に任せておけ。なるべく痛くないようにやってやる」

「また……舌打ち。でも、ありが……と……ぅ」


 あの態度も、彼なりの気遣いなのかもしれないな――そう考え直したアストラは、目蓋の重さに任せて目を閉じたのであった。

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アストラ・ゼネカ 草木しょぼー @kakukaku6151

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