第7話 めぐり合い7

「生きてるか? アストラ」


 ゼネカの軽口を叩くような調子の声に、アストラが薄っすらと目を開けた。


「……ウイズ、は?」

「消滅したよ、お前のとびっきりの一撃でな」

「キミが、……」


 正面にしゃがんだゼネカに何かを言いかけたアストラであったが、目を閉じると「そうか」、と一言だけ呟いた。


「ああ、おかげで助かった」

「そう思ってくれるなら……頼みが、ある。これを」


 隊服の左胸から手探りで十字架を取り外すと、アストラはゼネカへと差し出した。

 その徽章は、人々に憧憬や畏敬の念を抱かせる。ただし、そんな華やかな面の裏側には、戦死した者の遺品として、送り届けられた者の心に浅くない傷を残す、そんな残酷な一面も持ち合わせていた。


「母とお兄様に、……謝っていた、と伝えて欲しい」

「そういうのは自分で伝えろよ」 

「ふっ、最後まで手厳しいな、キミは」


 渋々ながらも受け取ったゼネカは、裏に刻印されていたものを目にした途端、アストラの顔をまじまじと見入る。

 それから、思わずといった様子で天を仰いだ。


 そんなゼネカに向かって、薄明の空にいち早く姿を見せていた一番星が、微笑みかけるように瞬いた。それも、【にっこり】ではなく【にやり】と――事実、本人にはそう見えたのだ。

 その背景となったのが、脳裏に思い浮かべた旧知の顔であったのは間違いない。


 あれが、事あるごとにして見せたウインクは、あざといというか、厚かましいというか、とにかくそういった類いの感情を抱かせるものであった。それでも、結局はそれを受け入れざるをえなかった自分がいたのも事実であった。

 だから今、ゼネカはまったく非のない一番星を恨めしげに見上げているのだ。

 そんなゼネカをアストラの声が呼び戻す。


「……もう一つだけ、頼みたい」

「聞くだけ聞いてやる。言ってみろ」

「ボクの……処理を。ウイズに、変質してしまう前に……頼むっ」


 すがりつくような眼差しのアストラを、さすがのゼネカも無下に扱う訳にもいかず、白い頭をがしがしと掻くと、


「俺は一般人だぞ? ちっ、そうはいってもこの状況じゃ仕方ないか。分かったよ、あとは俺に任せておけ。なるべく痛くないようにやってやる」

「また舌打ち。でも、ありが……と……ぅ」


 そう言い残したアストラの目が再び閉じられた。

 戦っている最中は精悍に見えた顔立ちも、今は、あどけなさの方が目に付くほどだ。

 目じりに滲んだ涙を留まらせたものは、こころざし半ばで倒れることとなった自身への戒めだろうか。


「意識を失ったか。目の下のくまも濃くなってきているし、あまり時間もなさそうだな。しかし、これも縁というのか? もはや、あれのかけた呪縛にすら思えて仕方がないんだが」


 記憶の中でニヤける旧知に悪態をつきながら、ゼネカはアストラの首元へと手を伸ばす。詰襟のホックを外すと、「ちょっと我慢しろよ」、そう言うなり、露出させた首筋に犬歯を突き立てた。


 気を失っているアストラが、小さな呻き声を上げて顔をしかめる。

 しばらくして口を離したゼネカは、何やら考え込むような顔をしていたかと思うと、「こんなもんかな」、と呟いた。

 それからアストラの上着の前をはだけさせたのだが、ここが、ゼネカの今後を左右する重大な分岐点であった。

 もちろん、当の本人はそんな事に気付くはずもなく、


「ん? サラシ? ここに来る前の戦闘であばらでも痛めていたのか? いや、そんな素振りはなかった。だとすると……まさか、この下にあれの仕込んだ禁忌の呪が封印されているんじゃ――って、さすがに考え過ぎか。あれを相手にするとどうもな」


 そう言って自嘲するように鼻先で笑うと、右手に血色の刃を生成した。

 しかも、その流れのままあっさりと、まるで鼻歌でも歌いながらするような軽さで、サラシの上からアストラの心臓へと突き刺してしまった。


 刃は手を離された後も止まることなく、吸い込まれるようにアストラの胸へと沈んでいく。不思議な事には、血が噴き出すどころか、サラシに僅かばかりの血が染み出す事もなかった。

 血色の刃が完全に沈みきってから少し経つと、小刻みだったアストラの呼吸が落ち着きを見せる。眉間に皺を寄せ、苦しげにしていた表情も穏やかなものに変わっていた。


「目の下のくまも薄くなってきた。血清が効いたな、もう大丈夫だろ。とはいえ、治癒力が正常に戻るまでもう少し掛かるだろうし、脇腹の傷くらいは止血はしといた方が良いか。それにしても――」


 右の脇腹、真っ白な生地であつらえられたサラシは裂け、真っ赤に染まっている。不意打ちで食らった初撃によるものだ。

 あの時、アストラはかすり傷だと言ったが、服まで滲んだ血を見ればそうでない事は明らかであった。


「変に強がるところなんかそっくりだ。それに狼狽ぶりも。どおりで、初めて会った気がしなかったはずだ。むしろ、なんでそこに思い至らなかったのか。……今更だな。処置を施したら、アストラが目を覚ます直前に姿を消せば良い。さてと、まずはこいつを」


 ゼネカは、樹に背をもたせかけていたアストラの体を支え起こすと、脇からへその上にかけて幾重にも重ね巻かれたサラシをほどいていく。

 すると、サラシというかせによって押さえ付けられていたものが、自身の存在を主張するようにゼネカの目に飛び込んできた。


「こいつは、……まいったな。お前、なんてもんを封印してやがるんだよ、アストラ」


 そう呟いたゼネカは、穏やかな寝息をたてているアストラの顔を恨めしげに見つめる。

 それから、すっかりと暗くなった空を見上げて、今日一番と言っていい溜め息を吐き出したのだった。

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