第6話 めぐり合い6
ゼネカは距離をとってウイズの出方を窺う。しかし、向こうから動く気配はない。
(仕掛けてこない、か。かといって、逃がすつもりもないらしい。狩りのつもりか? おこがましいにも程がある。しかし、どうするかな。上手くやらないと、後で面倒な事になるだろうし……)
思案したゼネカが何気なく持ち上げた右手には、いつの間に取り出したのか、ナイフと思しき小振りな刃物が存在していた。
顔の前で見せつけるようにしたそれを、ウイズは真っ黒な眼球を弓なりにして、口元には薄い笑みを浮かべて眺めている。
(アストラの剣ですらダメージを負わなかったんだ。当然、こんなもん余裕だよ、なっ)
薄気味の悪い顔に目掛けて、ゼネカが刃物を
ウイズにとって、決して躱せない速さではなかったはずである。
が、あえて射線にさらしたように見えた手の平に、すとんとそれが
刀身のみならず、柄の部分に至るまで鋳造されたような継ぎ目のない――それでいて、鋼の無機質な光沢とは異質の生々しい光沢を放つ――赤い刃物が。
「刺さったな」
ゼネカが念を押すように言葉を添えた。
それがどうしたと言わんばかりに、ウイズは嘲笑を浮かべたまま手を振り払う。さらにもう一度、そこから続けて二度、三度と乱暴に手を振り払った。
首を傾げたウイズが返し見た手の平で、それでも刃物は抜けることなく突き立っていた。
そればかりか溶けるように手へと沈みだし、見えなくなった後に残った傷口では、ひっきりなしに血泡が立っている。それも徐々に治まると、傷跡も残らず綺麗にふさがった。
ウイズは何度も手をひっくり返しては見入っている。
「どうした? こいつがお気に召したのか?」
顔を上げたウイズの視線は、ゼネカというよりも左右の手に一枚ずつ持たれた血色の刃物に注がれていた。
ゼネカはそれを立て続けに放つも、警戒心からか今度は触れることなく避けられてしまった。しかもその流れから、一気に距離を詰められてしまう。
次々と襲いくる拳や手刀をゼネカはすんでのところで躱し、時には受け流して距離を取ろうとするが、そうはさせじとウイズが追撃する。
「しつこい奴は嫌われる、ぞっ」
幾度目かも分からぬ攻撃を躱し、立ち位置の入れ替わったゼネカが振り返り際のウイズの顔、その真っ黒な眼球へと血色の刃物を走らせた。
それをウイズは、首の骨が折れんばかりの勢いで上体を仰け反らせて回避したばかりか、体を起こす反動で突きまで繰り出してきた。
飛び退いて躱したゼネカが、「痛みを感じないとか、本当に都合がいい体だな」、と苦笑混じりにこぼしたのもやむない事か。
実際に首は折れていたようだ。
正対しているウイズの頭が、尋常でない角度で後ろに倒れてしまっている。それがまた、跳ね起きるような目を疑う動きで元の位置に収まった。
すぐさま再開する気配を見せたウイズであったが、いきなり、顔をあらぬ方向へとねじ曲げた。
その真っ黒な眼球に、揺らめく大炎が映り込んでいる。
その中心にいるのはアストラだ。
全身から朱く色付いた蒸気が立ち昇り、蜃気楼の如く揺らいでいる。薄闇にあってその姿は、まさに炎を纏っているかのようであった。
両手で握った剣を中段に構えた姿勢で微動だにせず、その瞳は閉じられている。
強制的に意識を引き寄せられたウイズと違い、ゼネカはアストラの気配を探りながら戦っていた。それでも、「やけに待たせると思ったら」、と半分呆れ顔で呟いた口調には、少なくない感嘆が含まれていた。
そんなゼネカを捨て置き、ウイズがアストラへと躍りかかった。
「アストラ!」
目を開いたアストラは、ゼネカの声に応える代わりに剣を頭上に振りかぶる。
炎に見紛う蒸気が吸い込まれるように剣に集約されていき、黒い剣身が赤く染まった。
今、アストラの胴体、心臓はがら空きだ。
その一点を貫くべくウイズは拳を引き絞り、おぞましい雄叫びをあげながら解き放つ――瞬間、どうした事か、不自然に動きを停止させた。
その顔にあるのは、驚愕の一色。
見開かれた真っ黒な眼球に赤い軌跡を描き、アストラの全身全霊を込めた一撃が振り下ろされた。
左右の顔で、今は困惑の色を浮かべたウイズが、それぞれの半身に別れを告げて地に伏した。真っ二つに両断された切断面では、激しく血泡が立っている。
「よくやったな、おつかれさん」
ぐったりとした様子で地面に片膝をついていたアストラに、ゼネカが
肩を貸して立たせると、近くの樹の幹に背をもたれるようにして座らせてやる。
「だが制御が甘い、大雑把すぎだ。あれじゃ、陽炎には程遠い」
苦しそうに呼吸をするアストラは、意識も
左手にある剣を見れば、主同様にぼろぼろである。到底使い物にはならないだろう。
「少し待っていろ。後始末をしといてやる」
ゼネカはアストラの手から剣を取ると立ち上がり、ゆっくりと振り返った。
先に起き上がっていたウイズを銀色の双眸がねめつける。
「しつこい奴は嫌われるって、教えたよな?」
真っ二つにされたはずの体は、くっ付いてはいる。ただ、元通りとはいかないようで、接合部では今も滲み出る血が何かに抗うように激しく泡立っていた。
「その体も、どう見ても時間の問題だろ。今度は俺にでも転移してみるか?」
そう言うなり、ゼネカが自分から近付いたが、ウイズは真っ黒な眼球で見据えたまま動かない。千載一遇の機会を逃すまいと、耽々と狙っているふしが窺える。
「それにしても、あの一撃を受けてなお、まだそこまで再生能力が働くとは。それ程の変異をきたしていた、という事か。ここでお前を始末出来たのは、幸運だったと言えるな」
ゼネカが右手に握った剣の切っ先をウイズに突き付けた。
もう機会を窺うどころではない。ここで動かなければ消滅は必至のウイズが、なぜか体を小刻みに震わせるだけでそれ以上の動きが無い。見開かれた真っ黒な眼球には、冷笑を浮かべるゼネカが映り込んでいる。
「どうした? かかって来ないのか? と言っても動けないよな。こいつは、お前らの体を組成する毒素を破壊する、血清ってもんで作ったものだ」
ゼネカの左手の手の平から血色の刃が生えるように現れた。
それが液状に溶けて零れ落ちたかと思うと、地面に至る前に蒸発して消え失せた。
「逃げ回っているように見せて、血清をお前に撃ち込んでいたのさ。痛みを感じないから気付かなかっただろ? そいつらを活性化させた今、お前の体は意思の及ばないところで血清の対処に追われているのさ。修復力の速さが仇となったな。そもそも最初から俺一人なら、こんな手の込んだ真似をする必要も無かったというのに」
後半はどこか愚痴に近いものを漏らしながら、ゼネカは頭上に振り上げた剣に左手を添え足した。
剣から爆炎とも言うべき蒸気が噴き出し、薄闇を吹き飛ばしたかのように辺りを紅く照らす。
その反動に耐え切れず剣身が砕け散った刹那、荒れ狂っていた蒸気が一気に収束したかと思うと、鍔からすらりと伸びる深紅の剣身が具現化していた。
「消え失せろ」
炎が尾を引くような残像を残し、剣が振り下ろされた。
その時、ゼネカの髪色が深紅に染まって見えたのは、単なる写り込みでそう見えただけだろうか。
抗う事すらかなわず、再び両断されたウイズ。その体が切断面から急速に炭化し、黒く変色するにつれて崩れていく。最後は全てが灰となって闇に飲まれていった。
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