送別会
星君の最終日から十日後、星君の送別会はスタッフの忘年会を兼ねてほーむ新宿店の一つ上の六階に位置する居酒屋“悠久の里 歌舞伎町店”で催された。
ほーむは新宿店含め全店舗において二十四時間年中無休のためこのような飲み会に全ての店舗スタッフが参加することは事実上不可能だ。現に今も下のフロアでは秀成などが中番として働いている。ここに来る途中に顔を見せようとしたが珍しく受付に五、六人ほど並んでいたため、そのまま閉のボタンを押した。
僕たちを出迎えてくれたのはほーむ新宿店の常連でもある菅原さんだ。三日前も夕方に一時間ほど利用していた。基本的にランチ営業とディナー営業の間に仮眠を取っているようだ。同じビルで働くよしみとして、僕たちがここを利用する時は何かとサービスをしてくれる。
「いらっしゃいませえ!」僕たちが普段している挨拶の数倍の声量で叫ぶ菅原さんに呼応して、店内の至るところから「いらっしゃいませえ!」と聞こえた。
「いつ来ても元気あるなあ」
「どうもどうも、これはほーむの皆様方!この度はありがとうございます!」
にぎり鉢巻きをした菅原さんが現れた。以前見た時よりもあご髭がだいぶ伸びている。
「いえいえ。菅原さんこそ、いつもいつもご利用ありがとうございます」
「とんでもない!ほーむさんでいつもお昼寝させて頂いてるから、毎日二十四時まで働けるんすよお」
「そうですかーでは今後もよろしくお願い致します」
「こちらこそ!ではお席にご案内いたします!」
そう言って菅原さんは僕たちを座敷席に案内した。
「皆様ドリンク一杯分サービスさせて頂きます」
「ありがとうございます!」
僕たちが注文をするとすぐにビールを始めとした各種ドリンクがテーブルに並べられた。
「かたじけない。次に菅原さんがいらっしゃった時にはうちもドリンクサービスしますよ」
「うちはそもそも無料だろ!」ラブの冗談に大西さんが芸人らしくツッコミを入れた。
「ではこれからの星君とほーむ新宿店の益々の発展を祈って乾杯!」
音頭を取ったのは最年長の関さん。テーブルの上でグラスが軽く触れる音が鳴った。
宴の肴はやはり階下に位置する僕たちの職場の話になった。
「星君って結局どれくらい働いてたっけ?」
カルパッチョを頬張りながら大西さんが尋ねた。
「ちょど一年ですね」
「莉奈とだいたい同じだよねー」莉奈は早くも二杯目のビールを飲んでいる。
「そうですね、莉奈さんの方が一ヶ月くらい早かったですね」
莉奈がカルパッチョを咀嚼したまま頷いた。
「じゃあ五十番とか知ってる?」
かつてほーむ新宿店にいた常連“五十番”。五十番に長期間居座り続けたことからその名が付いた伝説の常連だ。その連続利用時間は一ヶ月半にも及び、三年ここで働いている僕もそれ以上の記録は知らない。
「ああ知ってますよ。奥さんとお母さんが来たやつですよね?あれは驚きましたよ」
「なんですか、それ?」新入りのオガが枝豆をつまみながら尋ねた。
「ある日な、蒸発した夫を捜しているという女性と、その夫の母親と思しき老婦人が来たのさ。それで夫の写真を見るとそれがなんと五十番にずっと居座っていたその男だったんだよ」
「まじっすか!?それ、びっくりですねえ」
再びカルパッチョを箸でつまんだ大西さんに代わってラブが続けた。
「それでな、その五十番の元に奥さんたちを案内すると、蒸発した夫の姿を見つけるや否や、嫁さんは胸元に忍ばせていた短刀で五十番の胸をぐさりと一突き」
「ええー!!」
「おいラブ、嘘言うな。オガ、そんなわけないだろ」僕は大声をあげるオガとでたらめを言うラブをたしなめた。
「なんだあ」
「本当のところを話すと、五十番は嫁さんとお母さんに連れられて、一ヶ月半を過ごした五十番から遂に離れたというわけさ。めでたしめでたし」
「めでたしかどうか分からんけどね」
「そうそう。あれは結局どういうことだったんだろうね。しかも今もたまに来るし」
「え、そうなんですか?」
「そうなんだよ。もちろん今は普通に来て、普通に帰るけどね。それにしてもあんなことがあったのによくしれっと来れるよ。俺だったら気まずくて同じ店は来れないな」
そして話題は各々の近況へと移っていく。
「魔球ってどうなんですか、最近?」尋ねた莉奈の白い肌は既に朱色に染まってきている。
「へっ、どうもこうもねえよ。先週のライブも俺らの動員はボーカルの彼女とベースのバイト仲間の二人だけ。というか誘ったのにみんな来ないじゃん」
ラブがウーロンハイを手にしたまま吠えた。
「いやだってシフト入ってたし」
「大丈夫でしょ、一人くらい抜けても。みんな来てくださいよ」そう言ってラブは残りのウーロンハイを流し込んだ。
「少なくとも新宿でライブやる時はその間だけワンオペにして来て欲しい」
「無茶を言うな」
「対バンもしょうもないバンドでさ、オリジナリティの欠片もなかったのになぜか動員はそこそこあったんだよなあ。もう分からんですよ」
ラブには悪いが、彼が悲哀に暮れる様は非常にユーモラスで見ていて楽しい。
「あらあら。そんなラブさんには申し訳ないですが、実は莉奈、年末けっこう大きな会場でライブやるんだー!アイドル戦国時代っていうイベントに出ちゃうのです!でも恥ずかしいからみんな来ないで下さいねー」
「オガ、得意のオタ芸で会場を盛り上げてやれ」
「ちょっとラブさん、それ言わない約束じゃないですか」
「歌ってくれよ、ガチ恋口上」
「もう」オガは決まりが悪そうだ。
「結局大西さんって新しいコンビ組むんですか?それともピン芸人?」ラブの次は大西さんだ。関さんはとんぺい焼きを箸でつまみながら尋ねた。
「関さん、訊いちゃいますか、それ」大西さんはにやりと微笑んだ。
「今日発表しようと思っていたところなんです。実はつい一昨日、新しいコンビを結成しまして」
「おおー」僕たちは社交辞令で拍手をする。
「へへ、ありがとうございます」大西さんは小さく頭を下げた。
「じゃあこれから大西さんの芸人生活がリスタートですね」
「そう!さらに言うと、実は俺、今度はツッコミじゃなくてボケをやろうかなと思っててさ」
場の空気が一瞬止まった。
「い、いいんじゃないですかね」と言ったラブの心の内はみんなが分かっていたようだった。
「ではみなさんありがとうございましたあ!」
菅原さんの声は入店時と変わらない大きさだった。そしてやはり、その声に反応して「ありがとうございましたあ!」とたくさんのスタッフの声が響いた。
「じゃあ菅原さん、またほーむで待ってます。いや、むしろ俺はこれから仕事なんで、ここの仕事終わったら来て下さいよお」
菅原さんは苦笑いをして答える。
「申し訳ないですが、この後はさすがに…」
「なんだよ、つれないなあ」
ぼやくラブを無理矢理エレベーターに押し込むと、菅原さんに会釈をして、四階のボタンを押す。
回数表示が六から四へ下がり、ドアが開くと受付では秀成が一人で科学雑誌を読んでいた。
「エレベーターが開くと、そこはインターネットカフェであった」と独りごちるラブを先頭に、僕たちはぞろぞろとエレベーターから這い出た。仕事以外で職場に来るといつも変な感じがする。
ラブは受付の秀成を認めるとさっそく絡み出した。
「やい秀成、俺らの音楽はこんなにかっこよいのになぜ世間から一向に注目されないのだ?お前のその頭脳で教えてくれよ」
秀成は科学雑誌をカウンターに置くといかにも面倒くさそうに答えた。
「知りませんよ、そんなこと」
「なにい、なんだその言い方?お前、長幼の序っていうのを知らないのか?」
「知ってますよ、そのくらい」
「このやろお。俺はお前より六年も長く生きてるんだぞ。お前が一+一は二って足し算、引き算やっている頃、俺は方程式をやっていたんだ。x、yって具合にな」
これ以上は中番の業務に支障をきたしそうなので、ラブを無理矢理カウンターから引き離した。
「ねえ慎さん、なんでですかねえ?」
ラブの息はずいぶんと酒臭い。
「まあまあ。愛沢さん、あのゴッホだって生前は一枚しか売れなかったと言われてますし」
「関さん、それフォローになってないです」ラブが関さんを睨む。
「おっと失礼」
「てかラブけっこう酔ってるだろ?倉柳さんに見つかったら俺らも怒られるからちゃんと頼むぞ」
大西さんがラブの振る舞いを見て言った。
「お任せあれ」
ラブは親指を立てて見せたが、だいぶ心配だ。
「愛沢さんには今日は清掃に専念してもらいましょう」関さんが答える。
「あんまり長居しちゃ悪いんで僕たちはこの辺で」
この後また明朝まで働くラブたちを残し、僕たちは再びエレベーターに乗り込んだ。回数表示はすぐに四から一になり、ドアが開くと師走の冷気が酒の入った僕たちを容赦なく襲ってきた。
「うう、さぶい!」
莉奈は首を縮めて震えている。
「お兄さんたちガールズバーいかがっすか?」話しかけてくるキャッチたちを無視して僕たちは新宿駅へと向かう。
「星君ともお別れかあ。俺もこれから気合い入れなきゃ」
新コンビを結成した大西さんが自らを鼓舞するように言った。
「気合いなんか要らないですよーお笑いなんか辞めちゃえ!もう莉奈もアイドルなんか辞ーめた!もうなるようになれー」
酒が入っている莉奈が空に向かって叫んだ。土曜の夜の靖国通りには、僕たち以外にも似たようなやり取りをしている者たちが多くいる。
「だって何が悲しくてオタクたちに媚を売らなきゃいけないんですか?何なんだよあのブログのコメントは!」
どうやら莉奈のブログ“ケセラセラ”に書き込まれているコメントに思うところがあるらしい。
「莉奈さん溜まってますね」
「酒強くないくせにあんなに飲むからだよ」
僕たちは並んで新宿駅まで歩いた。アルタ前のイルミネーションをスマホで撮影していたカップルを見て「どうせ来年の今頃には別れてるよ!」と莉奈は毒づいていた。
「聞こえちゃうから」
莉奈をたしなめていると後ろからけたたましい音が聞こえてきた。振り返ると一台のアドトラックが新宿通りを我が物顔で疾走している。どうやら焼き鳥の最初の被害者であるあのギャルが所属するアイドルグループKBK24がメジャーデビューをするらしい。「眠らない街のアイドル、二十四時間営業中」というキャッチコピーで売り出しているようだが、僕たちほーむ新宿店スタッフは爆睡中に財布を盗まれたことを知っている。
「莉奈、後ろ見た?」
「慎さん、アイドルにもね、本物と偽物がいるんですよ」
まるでラブのような口ぶりだ。
「どんな世界でも最後に残るのは本物だけです」
「そうなんだ…」
莉奈は鼻をすすりながら前進した。その歩みは先ほどの口ぶりとは裏腹にやはり頼り無さげだ。
「じゃあ星君またねー!」
JRの改札前で莉奈の大きな声が構内に響いた。
星君と二人になった僕は意を決して口を開いた。
「星君ちょっといいかな?」
「なんでしょう」星君は僕に顔を向けた。
「あのさあ、受付のドアに友人を捜しているっていう張り紙があったのを覚えてる?」
星君は少しの沈黙の後「確かありましたね」と言った。僕は僅かに重くなった空気を切り裂く様に続けた。
「単刀直入に訊くけど、あの張り紙の男と星君はどういう関係なの?」
「え、どういうことですか?」
星君は否定も肯定もしなかった。
「辞める少し前、星君が早退した日あったよね?あの日、あの男がほーむに来たんだよ。入退店の時受付をしたのが僕で、最初は張り紙の男とは気付かなかったけど、星君が帰った後もどこかで見た気がするなとずっと気になってたんだ。星君にも帰る前に訊いたよね?」
「ええ、確か」
「その後川島さんにも訊いても、やっぱり分からなかった。以前来店した客か、有名人か、それとも僕たちと同じ様に歌舞伎町で働く人間か。結局その日は分からなくてさ。次の朝タイムカードを打って更衣室へ向かおうとした時、受付のドアを見て初めて気付いたんだ、『あ、こいつだ』ってね。つまり、友達から捜されているあの張り紙の男だったんだよ。それで少し迷いながらも張り紙に書いてあった電話番号に掛けてみたんだ。結局その時は出なかったけどね。そしてちょっと前にサンダルの件で星くんに電話したじゃん?あの時に偶然星君の電話番号とあの張り紙に書いてあった番号が同じだということに気付いたんだ。なぜかというと星君に掛けてないはずなのに、星君の番号が発信履歴に残ってたんだよ。最初は何か僕の勘違いじゃないかと思ったんだ。でも記憶を遡ってみるとその発信日時が、張り紙の男に気付いて張り紙の番号に掛けた時だって分かってね。そして秀成に確認して、その前に張り紙の男が現れて莉奈が電話を掛けた時も調べてみたんだ」
星君はただ黙っていた。
「その時は全く意味が分からなかったし、もちろん今でも分からない。ただあの張り紙を貼ったのは星君で、どういう関係かは知らないけどあの男が店に現われたら連絡が欲しかったんじゃないの?そしてこれも僕の勘なんだけど、あの日星君が早退したのも張り紙の男が来たことに関係があるんじゃないかな?」
「そうだったんですね」
大西さんが見た星君の不審な動き、そして莉奈が見た催涙スプレーのことも言及しようかと悩んでいたが今は胸に納めることにした。
「別に星君をどうこうしようってわけじゃない。ただ…ただ気になってたから、ここを辞めてく前に尋ねたかっただけでさ。別に答えたくなかったら答えなくていいんだ」
星君は視線を一瞬下に落とした後、すぐ僕に戻した。しかしその目からは何の感情も読み取ることができなった。
「今日はとても楽しかったです。ありがとうございます」
星君は僕の質問には答えなかった。
「…」
「今まで本当にお世話になりました」
星君は少し頭を下げると踵を返した。僕はその後ろ姿を見つめていたが、星君は一度も振り返ることはなかった。
年末の夜の新宿駅は多くの人が行き交っていて、星君の姿はすぐに見えなくなった。
歌舞伎町、雑居ビル、ネットカフェ ユートラ @yn2021
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