発信履歴
星君の抜けた穴のことを倉柳さんに尋ねると「売り上げが伸び悩んでいる今、求人を出す予算が統括から降りるとは思えない」と顔を曇らせていた。
当分は僕や大西さん、ラブが通し勤務をすることで補い、どうしても埋められない穴は他店へヘルプを要請するのだというが、星君が退職して三日後、もともと中番に入っていた莉奈が急遽芸能の用事が入り出勤ができなくなってしまったため、早くも“どうしても埋められない穴”ができてしまった。
「あれ高田馬場のスタッフの人は?」
「さっき電話がありまして今新宿駅で迷っているみたいです」
秀成が入店している人数を数えながら答えた。
「あら」
早くも新宿店にヘルプとして来ることになったのは、シロアリ詐欺事件の被害者として僕たちにもその名を知られている比嘉君。「あんまり気が進まないですねえ」と当初は乗り気ではなかったらしいが、ハルさんに「新宿店にはアイドルがいるらしいぞ。しかも巨乳」と甘言を用いられたところ「まあ、たまには他店で働くのも悪くはないですね」と舌の根も乾かぬうちに前述の言葉を訂正したという。そのお目当ての莉奈が今頃赤坂で業界人が集う忘年会に参加していることはもちろん知らない。
ほーむ新宿店の着信メロディ、エーデルワイスが鳴った。
「お電話ありがとうございます。ほーむ新宿店橋本でございます。あ、高田馬場の?もう少し遅れそう?了解しました」
秀成は僕を振り替えると「ですって」と一言呟いた。
三十分ほど遅れてやってきた比嘉君は「すみませんでした」と謝った後、僕と秀成の顔を見て「今日のスタッフってお二人ですか?」と尋ねてきた。僕が「そうですよ」と答えると、莉奈がいないことに察知したのか「着替えてきます」と気の抜けた返事をして、とぼとぼと三階へ降りていった。
「星君サンダル忘れていってるわ」
階下から現れた倉柳さんの手には星君がつい先日まで履いていた黒いサンダルがある。
「あら、どうしましょうかね?」
「勝手にこっちで処分するわけにもいかないからなあ。一応星君に電話してみてよ。要らなければ捨てちゃうし、要るようだったら今度の送別会の時に渡しといて」そう言って倉柳さんは星君のサンダルを流し場の下に置いた。
星君に電話をするため電話の電話帳を探してみるが星君の番号が見当たらない。
「あれえ、もう誰かが星君の番号消しちゃったのかな?」
「さあ。僕は特に何もしていませんよ」流し場から水の流れる音と一緒に秀成の声が飛んできた。
「ずいぶんと仕事の早い奴がいるな」
「最初から登録されてなかった可能性はないんですか?」
「それはないと思うけど」
「ふむ。でもまあいいんじゃないですか?寂しいけどもう必要ないですし」
秀成が指先を吐息で暖めながら受付に出てきた。
「今スマホ持ってる?僕のは更衣室にあってさ」
「ありますよ」
「悪いけど星君の番号教えてくれない?」
「じゃあ言います。◯八◯-××-××」秀成は一気に十一桁を読み上げた。
「ごめん、もう一度」僕は秀成とは違い大して記憶力は良くない。
「◯八◯-××-××です」僕に配慮してか、今後は少しゆっくり言った。
僕は十一桁の番号を押して、受話器を耳に当てた。しばらく待っても星君の声も留守番電話のメッセージも聞こえてこない。
「出ないなあ」
「捨てちゃまずいですかね?」
「さすがに勝手に捨てるのはな。また後で電話してみよう」
遅番で現れた関さんは比嘉君を認めると「ややあ、どうもご無沙汰です」と挨拶をした。尋ねると以前関さんが高田馬場店にヘルプに行った際に同じシフトで働いたのだと言う。関さんが更衣室へ向かうと比嘉君は「あの人、すげえ音楽好きですよね。馬場に来た時も有線を聴いてはうんちく語り出しちゃって」と苦笑いをしていた。比嘉君に対して音楽論を語る関さんの姿を想像することは難しくない。
遅番に引き継ぎを済まし、タイムカードを切ろうとすると秀成が言った。
「星さんに電話しました?」
「あ、危ない」
すっかり忘れていた僕は受話器を取り上げ、発信履歴を遡った。秀成に星君の番号を改めて確認した後リダイヤルをした。今度は三回目のコールで星君の「もしもし」という声が聞こえてきた。
「星君?辞めたばかりなのにさっそく電話して悪いね。サンダル持って帰ってないみたいだけど、あれどうする?」
「ああ、忘れてました…そうですね、もう必要ないんで誰かにあげるか、捨ててもらってよいですか?」
「オッケー。じゃあまた送別会でね」
「はーい」
受話器を戻した時、ふと妙なことに気付いた。
ほーむ新宿店には混雑時に備え異なる回線の二つの電話がある。一つは黒いもので今日最初に星君に電話を掛けた時に使用したものだ。もう一つは今使った銀色のもの。しかし今星君に電話を掛けた時、僕は発信履歴から番号を呼び出した。こちらでは今日星君に電話を掛けていないにも関わらずだ。
疑問に思った僕は再び銀色の方の電話器の発信履歴を見た。そこには確かに星君の番号が表示されていたが、よく見てみると発信日時は今日ではなかった。十七日前の九時五十分。その日は僕が早番でシフトに入っている日だ。なんとか記憶を辿ってみる。確か星君が早退した日があった。先月のシフト表を見ながら少し考えるとそれが十八日前だったことが分かった。そうなるとこの銀色の電話で星君に電話を掛けたのはその翌朝のことだ。その日は確か僕は早番でシフトに入っていて莉奈と大西さんと一緒だった。
その時間に誰かが星君に電話をしていただろうか?
ここほーむでは業務の性質上、電話を受けることは時折あるがこちらから電話を掛けることは滅多にない。ドリンクの在庫が切れそうになった時に業者に電話を掛けるくらいのもので、受付からスタッフに電話を掛ける機会と言えばシフトの時間を過ぎても出勤していない時くらいだ。
十七日前、僕たち早番が出勤したタイミングでの星君への発信。誰がどんな理由でわざわざシフトに入っていない星君に電話したのか?よく思い出してみる。
…………思い出した。その時間に電話をしていたのは僕自身だ。ただその相手は星君ではない。
張り紙の掲示主だ。
その前日に来店した見覚えのある男が張り紙の男だったことに気付き、僕が電話を掛けたのが間違いなく十七日前のその時間だ。
どういうことだ?張り紙に書いてあった番号に電話を掛けたはずなのに電話機のディスプレイが表示しているのは星君の番号。
改めて件の張り紙を確認するためドアを開けると、そこに目的のものはなく大久保で起きた強盗事件の張り紙があるだけだった。
「この前までここにあった友達を捜している張り紙知りません?」
「あれ?いつの間にか無くなってますねえ」関さんが首を傾げた。
少し考えた後、秀成に尋ねた。
「ちょっと訊きたいんだけど、前にあの張り紙の男がここに来たんだよね?」
「そうですね」
「それいつか覚えてる?」
秀吉はカレンダーを見て少し考えると答えた。
「先月の二十日ですね」
「何時くらいか覚えてる?」
「十六半時、引き継ぎの少し前くらいだったかと。それが何か?」
「いや何でもない」
まずは銀色の方の電話器の発信履歴を遡った。先月の二十日、二十五日前となると四週前の木曜日。この電話器ではその日その時間に電話を掛けた形跡はなかった。
次いで黒い方の電話器を調べた。四週前の木曜日、十六時三十八分。
あった。
その日張り紙の男が現れたことに秀成が気付き、莉奈が張り紙の番号に電話を掛けたはずだった。
◯八◯-××-××。
表示されていたのはやはり星君の番号だった。
僕が電話した十七日前も秀成が電話した二十五日前も張り紙に記載されていた電話番号に掛けたはずなのに、今発信履歴を遡ってディスプレイに表示しているのは星君の電話番号と全く同じである。このことからあの張り紙に書かれていた番号が星君のスマホの番号と同じであるということは最早疑う余地はない。
となるとあの張り紙を貼ったのは星君なのだろうか?だとしたらどんな目的で?
仮にあの張り紙を貼ったのが星君だと仮定した場合、星君とあの張り紙に書いてあった男はただの友人なのだろうか?いや、それならばわざわざ僕たちに隠して掲示をする必要はない。
考えを巡らしていると一つある考えが浮かんだ。
「ラブ、お前が前酔っ払ってここに来た時いつだっけ?」
コーンポタージュを啜るラブに尋ねた。
「えーと、いつだっけな」
「ほら、なんかライトが眩しくて塞いだら隣の奴がどうしたとか言ってたじゃん」
「あーはいはい、あれはですね、バンドのミーティングがあった日だから…少々お待ちを」
ラブがスマホでカレンダーを遡る。口から出た日付は予想通り先月の二十日だった。
莉奈と秀成が張り紙の男の来店に気付き電話をした日であり、星君が珍しくここに勤務以外で来た日。確か時刻は七時前後だったはず。となると秀成からの電話を確認した後、なんらかの理由で星君がここに来たという可能性も見えてくる。
そしてそれから一週間後、僕と星君が勤務している時に張り紙の男が来店したあの日、僕の知る限り星君は初めて早退をした。
『でも慎さん、こういう考えはどうでしょう?この張り紙には友人を捜していますと書いている。がしかし実はそういうことでない』以前オガが言った言葉が蘇ってきた。
それから僕は大西さんが語った星君の不審な動き、莉奈が目撃した催涙スプレーのことを再び思い出した。
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