第5話 たからもの
「そうか・・・」
呟きながら、目を開ける。
目の前にあるのは、穏やかな海と、真っ白な衣に身を包んだ天使の少女。
【だから今度は、わたしがあの人とあなたを助ける番】
少女は僕に近づき、僕の手を取った。
【あの人が、あなたに会いたがってる。もうあまり時間が無いの。来て】
少女の言葉に、僕は立ち上がった。
ふと、手に持ったままのクローバーを見ると、青々としていた筈の葉が、枯れかけている。
(伯父さん・・・・)
【急いで】
僕は伯父のアトリエに向かって、走り出した。
「伯父さん?」
アトリエの扉を開けると、嗅ぎ馴れた絵の具の匂いが懐かしく僕を出迎えた。
伯父は、ベッドに横たわっていた。
窓際のコップに差してあるクローバーは、僕の手の中のクローバーと同じく、枯れかけている。
「伯父さん・・・・」
久しぶりに見る伯父の顔は、すっかり老けて痩せていたが、とても穏やかな表情を浮かべていた。
「戻ったな。」
伯父の側に近づくと、伯父は目を閉じたまま、そう呟いた。
「え?」
「良かった。」
「伯父さん・・・?」
伯父は薄く目を開き、枕元の少女に皺の刻まれた手を伸ばす。
少女は、その手を取り、小さく微笑んだ。
「もう、そのまま変わるな。」
伯父は、一瞬だけ僕を見て、優しい笑顔を浮かべた。
そして、そのまま目を閉じ、もう目覚める事は無かった。
「伯父さん・・・・」
どれくらい、ずっと伯父の側に立っていたのだろうか。
いつの間にか、僕は泣いていた。
涙が後から後から溢れてきて、止まらなかった。
だが、不思議と『悲しい』という感情は無かったように思う。
【この人はちゃんと、私が導きます】
ふいに、頭の中に少女の声が響く。
部屋の中を見渡しても、少女の姿はもう、無い。
【忘れないで。わたしはいつでもあなたの中にいる】
(僕の、中・・・・?)
ぼんやりとした頭で、窓際のコップを見る。
クローバーは茶色く変色し、頭を垂れていた。
ふと、手に持ったクローバーに目をやると。
(あ・・・・れ・・・?)
枯れかけていたはずのクローバーは、青々とした光を放ち、僕を見上げていた。
「不思議ねぇ、このクローバー。」
「ん?なんで?」
「お水は毎日替えてるんだけど、全然枯れないのよ。これほんとに、本物?」
わが家に、妻のいる生活が戻ってきた。
娘は僕たちのすぐ側で、僕たちには見えない「誰か」と、日々楽しく遊んでいる。
伯父が亡くなってから、親族による形ばかりの葬儀を終えた後、僕は妻を実家まで迎えに行った。
妻が僕に言った言葉の意味が、ようやく分かって、素直に頭を下げる気になったのだ。
妻は、驚いていた。
僕が頭を下げた事に対して、だけではなく、僕の雰囲気そのものが変わったという。
「もちろん、本物だよ。これはね・・・・天使がくれたものなんだ。だから、枯れないんだよ。」
僕の言葉に、妻は目を丸くし・・・そして、吹き出した。
「何を言うかと思えば・・・・」
「信じてないんだろう?本当なんだ。だって・・・・ほら。」
僕は、クローバーに触れながら、傍らで遊ぶ娘を見た。
「そこにいるじゃないか、僕たちの天使が。」
「・・・・そうね。そう、天使と言えば、最近のあなたの絵・・・・」
言いながら、妻は描きかけの僕のキャンバスに近づく。
「好きだわ、私最近のあなたの絵。前の絵より、ずっと。」
「そうか。」
僕の絵を見ている妻の顔は、なんだかとても幸せそうだった。
それはそうだろう。
僕が今描いているのは、純白の衣に身を包み、眩いばかりの光を放って微笑んでいる天使の姿。
背に真っ白な両翼を持ち、右手に小さな四つ葉のクローバーを持った、あの天使の少女の姿なのだから。
天使とクローバー 平 遊 @taira_yuu
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