第4話 信じる気持ち

最後に叔父の家を訪れてから、もう15年は経っているというのに、僕の足は全く迷うことなく進んでいた。

周りの景色は随分と変わっていて、伯父が描いていた風景は、もうどこにもない。

あるとしたら・・・・多分、あの海だけだろう。

(そう言えば・・・・ずっと行ってなかったな、あの海にも。)

そんな思いが伝わったのだろうか。

気づくと僕は、海岸に向かう道を歩いていた。

おそらく、僕の意志では無かったはず。

程なくして辿り着いたあの海は、予想通り、昔と何も変わっていなかった。

海は穏やかに、僕を迎え入れてくれた。

海に向かい、僕は腰を下ろして水面を眺めた。

「キミなんだろう?僕を迎えに来てくれたのは。」

無意識に、僕は前方に向かって話しかけていた。

「キミはあの時、何を謝っていたの?」

答えなんて、期待していなかった。

だが、頭の中に、あの時の声がかすかに聞こえてきた。

【助けを求めてしまったから】

「え?」

【わたしが、あなたたちに助けを求めてしまったから】

「何で、泣いていたの?」

【もう、元には戻れないと思って、哀しくて】

頭の中の声が、次第にはっきりと聞こえてくる。

と同時に、目の前にぼんやりとした光が見えてきた。

【堕ちた天使は、もう戻れないって】

光は、徐々に人の形を取り始める。

【無くした羽根は、もう取り戻せないって】

その光はやがて、あの時伯父が描いていた少女の姿になった。

その少女の背には、真っ白い大きな羽根が2つ、付いていた。

「羽根・・・・」

【あなたと、あの人のお陰よ】

純白の衣に身を包み、少女が微笑む。眩しい光が、少女から発せられる。

【もう朽ちていくしか無かったわたしを、あなたとあの人が助けてくれた。

わたしのSOSを受け取ってくれた。

だから、わたしはこうして元に戻る事ができたの。

あの人が励まし続けて信じてくれたお陰で、わたしは元の姿を取り戻す事ができたの】

ふいに、目の前の景色が強い光に包まれ、眩しさに堪え切れず、僕は目を強く閉じた。


『お願いだよ、ほんの少しでいい。数時間でいいんだ。まだ僕を死なせないでくれ!』

男が1人、必死の形相で少女の足元にしがみついている。

その少女には、見覚えがあった。

海から落ちてきた、あの少女。

純白の衣に身を包み、その背にはやはり純白の大きな羽根が2つ、ついている。

『・・・それは、できません。あなたは既に・・・』

『わかってる!わかっているんだ!でも、あと少し、あと数時間で産まれるんだ、俺の子がっ!頼む、せめて産まれてくる子に会わせてくれ、会って、抱きしめさせてくれ!』

苦悩の表情を浮かべて、彼女は男を見つめていた。

周りの状況から察するに、どうやら男は自動車事故に遭って、命を落としたらしい。

そして、彼女はその魂を導くために、男のもとへ遣わされたのだろう。

『頼むよ・・・お願いだ・・・』

亡くなった人の魂を、たとえほんのわずかな時間でも肉体に戻すということ、すなわち生き返らせることは、自然の摂理から見ても禁忌のはず。

だが、しばらくの後、彼女は言った。

『3時間です。』

『えっ?』

『私の力では、それが限界です。』

みるみるうちに、男の顔に喜びの表情が溢れる。

『ありがとう・・・ありがとう!』

直後、まるで映像の逆再生のように、男も車も事故直前の状態まで戻り、再び時間が進み始める。

だが。

男の希望が叶うことは、無かった。

目指す病院に到着する直前、何の前触れもなく落ちてきた雷に打たれ、男は息絶えたのだった。

そして、同時にその雷は、少女の片翼をもぎ取り、為すすべもなく少女は突風に巻き上げられるようにして、空へと消えた。


【ごめんなさい・・・・ごめんなさい・・・・】

いつのまにか、目の前の景色は見慣れた伯父のアトリエになっていた。

少女は僕の記憶の中の姿よりも、幾分やつれているようだった。

あれからずっと、こうして謝り続けていたのだろうか。

「謝るってことは、許されたいってことだな。」

伯父は、少女から少し離れたところに座って、空を眺めている。

【ごめんなさい・・・・】

「許されたいってことは、やり直したいってことだ。」

【ごめんなさい・・・・】

「大丈夫だ、その気持ちがあれば、何とかなる。」

ずっと俯いていたままだった少女が、伯父の言葉にふと、顔を上げる。

【・・・・やり直す・・・・】

「そうだ、やり直すんだ。お前さんには、やり残したことがあるだろう?」

【やり残したこと・・・・】

そうつぶやくと、少女ははっとしたように目を見開き、伯父を見た。

「大丈夫、お前さんなら、できるはずだ。」

そう言って伯父は、力強く頷いた。

伯父はそれからしばらくの間、少女を連れて男が息絶えた場所や男の遺族の場所を訪ね歩いた。

そして、数年の後。

【見つけた・・・・】

未練と執着と絶望で薄汚れて彷徨っていた男の魂を、少女は愛おしそうに抱きしめる。

伯父は少し離れた場所に立ち、少女を見守っていた。

【ごめんなさい・・・・私はあなたに二度も死という苦しみを与えてしまいました。導かなければならない魂を、絶望の淵に突き落としてしまいました。でももう、苦しまないで。触れさせてあげることはできないけれど、あなたの子供は無事にこの世に生を受けて生きています。だから、お願いです。どうか心安らかに、天からの遣いに導かれてください。私は今度こそ、あなたを救いたい】

とたん。

少女の中からまばゆい光が発せられ、一瞬景色が視界から消え-。

再び視界に現れた少女の背中には、真っ白い大きな羽根が2つ、ついていた。

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