きみの物語になりたい

新巻へもん

終わりと始まり

 声にならない声をあげながら魔神がゆっくりと崩れてゆく。見上げる位置にあった頭が地面を打ち地響きを立てた。舞い上がる砂埃の中で、深淵のような闇をたたえた3つの瞳がまぶたに覆われる。唇が痙攣し吐き散らしていた呪詛の言葉は空中に虚しく消えた。


「勝った……」

 自分の口から洩れる言葉が信じられない。魔神討伐に赴いてきた仲間が満身創痍の体を辛うじて動かしながら集まってくる。剣士マイルズ、ドワーフのカムリ、神官のアンディ、魔法使いのシャール、そして勇者チヒロ。


 チヒロの黒真珠のような目から涙があふれ出す。

「みんな。みんな。生き残って良かった……」

 頑張り屋さんで、見知らぬ世界に強制的に連れて来られたのに、いつもムードメーカーだったチヒロ。


 一人一人に抱きついてわんわん泣いている。マイルズはちょっと顔を赤らめ、カムリは皮肉を言う。アンディは私には妻がと慌て、シャールはハンカチを差し出した。最後に私のところにやってきたチヒロの顔は涙と鼻水と埃でぐちゃぐちゃだ。せっかくの可愛らしい顔が台無しだった。


「シンディ」

 私の首元に顔を埋めて激情の波に揺られているチヒロを抱きしめる。つやのある黒髪をなでた。まるで上質な布のような肌触りが心地いい。何日も荒野をさまよってきた体からは獣のような匂いを発しているが決して不快ではなかった。


「石に変わるまでそうやっているつもりかの?」

 カムリが巨大なハンマーの柄の先に両手を乗せその上に顎を預けながら余計なことを言う。

「あんたみたいな武骨なドワーフには分からないでしょうけどね。この子はずっと大変だったんだから」


「血の冷たいエルフには言われたくないのう」

「なんですって?」

 私とカムリが火花を散らすとシャールが割って入った。

「まあまあ」


 ひょろりとしたアンディがのんびりした声を出した。

「今日の回復魔法は品切れです。これ以上怪我を増やさないでくださいよ」

「そうだよ。せっかく偉業を達成したんだ。さあ都に帰って、みんなに祝福して貰おうよ。チヒロ。指示を出して」

「ごめんなざい。うれしくで取り乱しちゃった。そうだね。帰ろう」


 魔人の住処から人里に出るまでに3日かかった。私たちの無事な姿を見てお祭り騒ぎになる。髪と体を洗ってベッドで睡眠をむさぼるとやっと生き延びたという実感が湧いてくる。馬車に揺られて都に向かった。魔神が倒されたという噂はあっという間に広がり、行く先々で私たちは歓呼の声で迎えられる。


 都への旅の間、カムリとアンディはいつも酒の匂いをさせていた。ドワーフは論外としても、厳しい戒律を守らなければならないはずの神官がそんなことでいいのかという疑問がわく。まあ、人間の世界は良く分からない。何が楽しいのかがぶがぶと酒杯を空けていた。


 シャールは魔神の住処で見つけた魔導書を常に眺めて至福の表情を浮かべている。水で薄めた葡萄酒を舐めながら、魔導書をめくって変な笑い声をあげた。イヒヒとかムフフとか奇声を発しながら頬が緩み、目には見てはならない光を宿している。将来こいつを退治することにならなければいいがと心配になった。


 そしてチヒロとマイルズは大抵いつも一緒に居た。マイルズがこの世界のことをまだよく知らないチヒロに色々なことを話してやっている。マイルズは礼儀正しく、穏やかで、人間の世界の基準でいえば美しい範疇に入る。その仲の良さそうな様子を隅のテーブルから眺めているのが私だ。


 あと1日で都に着くと言う日、酔っぱらい2人がマイルズに絡み自分たちのテーブルに拉致して酒を飲ませ始める。チヒロが1人になると私は自分の杯を持っていそいそと側に寄っていく。チヒロは夢見るような目つきで言葉を紡いだ。


「これで長い旅も終わりだね。まるで昔話の主人公になった気分。モモタロウとか……」

「そのモモターロウというのは?」

「んー、私の世界のお話で人々を苦しめていたオニ退治をするんだ。悪いオニをやっつけて故郷に帰っていくの」


「その後は?」

「お話は家族と幸せに暮らしました、で終わってるんだ。オニ退治をしてもモモタロウの人生は終わらないし、物語は続くはずなんだけどね。そういう話は幸せに暮らしましたで終わりなんだ」


 チヒロは勇者の顔からすっかり普通の女の子になっている。いつも泣きながら重すぎる責任を果たそうと頑張っていた姿にも惹かれたが、こうやってただの少女に戻った方がずっと自然で素敵だ。粗野で野蛮な人間の中で、エルフの繊細さは持ち合わせていなものの、チヒロは別格だった。


「この後、チヒロはどうするんだ?」

「そうだねえ。お役目は果たしたから後は自由にさせて欲しいな。もう元の世界には帰れないらしいし、今まで見てこれなかったところを旅したい。きれいな所が一杯あるってマイルズが言ってたから」


 私は心の中で、チヒロに過酷な運命を与える神を呪った。見知らぬ世界に一人連れて来られて責任を果たしても、もう自分の慣れ親しんだ場所には戻れない。一人の少女に与えるには辛すぎるだろう。私はためらいながら次の質問をする。

「その……その旅にはマイルズと一緒に行くのだろう?」


「マイルズは王子様だよ。無理じゃないかな」

「でも仲がいいじゃないか」

「親切だし、紳士だからね。やっぱり育ちがいい人は違うって思う。私とは住む世界が違い過ぎる」


 私は喉に引っ掛かった言葉を押し出す。

「都に戻ったら結婚するのかと思っていた」

 チヒロは弾けるように笑いだす。

「やあねえ。シンディ。冗談が過ぎるわ。私にお妃が務まると思う?」


 私の心臓が早鐘を打ち出した。こんなセリフを口にすべきではなく、エルフの里に戻るべきだと理性は告げている。しかし、心は解き放たれ力強く羽ばたき始めた。

「チ、チヒロ」

「なあに?」


 いつも誰かの為に涙ばかり流していた瞳がまっすぐに私に向けられる。

「もし、良かったら。チヒロの旅に同行させて貰えないだろうか。私も人間の世界のことは良く分からないし、かえって足手まといかもしれない。けど、私は……君の残りの人生を一緒に歩みたい。きみの物語になりたいんだ」


 頬が熱くなるのを感じる。ついに言ってしまった。きっと慣れない葡萄酒のせいだ。種族も生まれた世界も違うのに性だけは一緒。罵倒されても仕方ない。意外と手が早いチヒロなので平手打ちの一つも貰うかもしれない。私は唇を噛みしめる。チヒロは目を見開き口の中で何かをつぶやく。キミノモノガタリニナリタイ。


「それってまるで求婚の言葉みたい」

 チヒロはふわっと笑みを浮かべた。

「またまた冗談を言って。本気にしちゃうぞ」

「私は本気だ」


「うーん。突然過ぎて混乱しそう」

 チヒロは頭を抱え眉根を寄せて考える。永遠のような一瞬が流れた。

「ま、いっか。どうせボーナスステージだし。刺激があっていいかも」

 チヒロは私に抱きついてくる。私は呪ったばかりの神に感謝の祈りをささげ、二人の物語に幸多からんことを願った。

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