第三章 社会人編

第24話 内海で男二人

 留年することなく無事に大学を卒業した俺は、地元の製造業の会社に就職し、ごく普通のサラリーマン生活を送った。

 そして社会人になって三年目の年末、俺は内海うつみの海辺にある小洒落たレストランに、古賀と二人でいた。


「せっかく予約してもらったのに、まさかお前とオレだけになるとはな」


 俺と同じように地元の企業に就職している古賀が、向かいの席に座ってメニュー表を取って開く。


「元々は五人で集まるはずだったのに、俺たち以外全員インフルエンザか風邪だもんな」


 まずはお冷の水を一口飲んで、俺は高さのある大きなガラス張りの全面窓から見える、暗くて寒そうな雨天の夕暮れの海を見た。

 天気の良い日なら綺麗に夕焼けが見える立地だと思われたが、今日は生憎の天候である。


 当初の予定では、この夜は中学校の同級生五人で集まりそれなりの人数でにぎやかに楽しむはずだった。

 この内海うつみのレストランも、東京から久々に戻って来る友人に地元の海産物を食べさせてあげようと、別の友人が予約してくれた店なのだ。


 しかし結局彼らは全員病欠になってしまったので、俺と古賀は全体的に白を基調にした、リゾートウェディングも可能なモダンで真新しい明るい雰囲気のレストランで二人っきりで過ごすことになってしまっていた。


(良い店だと思うけど、多分男二人で来るところじゃないんだよなあ……)


 周囲は全体的に年季の入った夫婦や家族連れが多く、大人数ならともかく、二十代の男性が二人で顔を合わせて飲むような雰囲気ではない。

 だが二人になってしまったのはもう仕方がないので、俺はきっちり味わおうと真剣にメニュー表を確認した。


「俺は知多牛のハンバーグのコースにしようかな」


「じゃあオレは白身魚のムニエルにする」


 各々の注文を決めて店員に伝えた俺と古賀は、すべてのセットメニューについてるビュッフェの料理を取るために席から離れた。


 ビュッフェ台にはサラダやスープ、パンやライスなどの他に煮物や魚のフライもあって、大食らいの客でも食べ足りないということがないようになっていた。

 俺はまずサラダとスープを取ってから、注文したビールに合うように魚のフライをいくつか皿に載せた。

 席に戻ると、古賀は早速しらすを山盛りにしたサラダを食べていた。


「サラダの具にしらすがあるのが良いな。しかも釜揚げとかちりで選べるし」


 かちりとは関東で言う「ちりめんじゃこ」のことで、よく干されて水分が少なく、味が濃く感じられるしらすのことである。

 サラダの中身を見てみると、古賀はどうもかちりを好んでいるらしい。


「わざわざ熱海や鎌倉の方に旅行しなくても、ここらへんで十分美味しいしらすはあるよな」


 俺も古賀に同意して、自分の分のサラダに載せた新鮮で身の引き締まった釜揚げしらすを食べた。

 ちなみに俺が好きなのは、この店のメニューには存在しないがふんわりと旨味が詰まったしらすの天ぷらである。


 やがてしばらくすると店員がビールと前菜の刺し身を運んできたので、俺と古賀はグラスにそのよく冷えたビールを注いで乾杯をした。


「それじゃあ、kakuzono先生の新作の続刊決定を祝って」


 わざとらしく俺の筆名を呼んで、古賀が黄金色のビールの入ったグラスを持ち上げる。

 大変ありがたいことに、一冊目から随分たって出版できた俺の二冊目の書籍化作品は、ほどほどに売れてとりあえず第二巻は出せることが決まっていた。

 これも古賀や、書籍を買ってくれた読者の方々のおかげである。


「ああ、いつも応援ありがとう」


 俺はちょっと気恥ずかしくなりながら、古賀のグラスに自分のグラスを軽く当てた。

 乾杯で気持ちの良い音を鳴らしてから、二人はビールを飲んで肴をつまむ。

 小さな陶器に載った五切れほどの刺し身は脂がよくのった寒鰤かんぶりで、ほどよい弾力のあるまろやかな味わいがすっきりとしたのどごしのビールによく合った。


 それから俺と古賀は、自分たちの近況や趣味について話した。

 お互い着ているものは大学生時代とそう変わらないが、古賀は年を重ねることで男ぶりがより良くなり、年相応の落ち着きのあるイケメンになっている。

 しかしどれだけ外見が良くても古賀に女の影はなく、俺は古賀と会って話す度に安心感を覚えた。


「オレは高尚ぶって陰惨な話を読んでるわけじゃなくて、リョナが好きだから陰惨な話を読んでるわけ」


「うん」


「可愛い女子キャラが不幸になるだけの話なんて面白くないって言うやつもいるけど、可愛くて不幸な女子とかもう存在そのものがエンタメだと思わないか」


「まあ、言いたいことはわからんでもない」


 古賀から引き出される話題はやはりリョナとTS百合のことが多く、時折最高に気持ち悪い持論が展開される。

 だが揚げたてで運ばれてきたたっぷりと太く長いエビフライに濃厚なウスターソースをかけて平らげ、それぞれ選んだメインの料理に入ったところで、古賀はさらりと俺に微妙なところを突く質問をした。


「そういえばお前、藍島とはどうなったんだ? あのテロ事件のあとから、あいつは全然本を出してないよな」


 旧友の心配をするというよりは、単に状況が気になっているという様子で、古賀は藍島について俺に尋ねてくる。

 俺は社会人になってから何とか二回目の書籍化と念願の続刊を達成してかなりの自信を取り戻していたが、それでも藍島の話になると人生の根幹を揺さぶられるような焦燥感を覚えた。


「あれから未だに、連絡は取ってないな。SNSに食べ物と風景の写真だけは載るから、生きているとは思うんだが……」


 俺は肉汁に味わい深さがあるハンバーグの合間にロールパンを食べながら、古賀に藍島のSNSのアカウントを見せて正直に思うところをすべて話そうとした。

 だが藍島のアカウントのプロフィール画面を開いたところで、俺は異変に気づいた。


「いや待て。ついさっき、新刊についての更新があったみたいだ」


 俺は藍島のプロフィールに新しく固定表示された、新刊の告知ポストを開いた。


 そのポストによれば、藍島は新作をもうすでに書き終えていて、その作品は最初から多言語に翻訳され、新年に全世界で同時出版されるとのことだった。

 必要最低限のことしか書いていない告知ポストであったが、みるみるうちにリポスト数といいね数は増え、返信欄も様々な言語の反応で埋まっていく。

 そのポストへの反応の多さは、藍島の新作は全世界に待望されているのだとはっきりと示すものだった。


 SNSで何をポストしても反応が三桁を超えることはなく、ギリギリの売り上げで続刊が決まる程度のWeb小説作家の俺とはまるで違う、広く大きな世界に藍島は属しているのだ。


「ああ、本当だ。トレンドにも入ってる。小説を書けるくらい復活してるなら良かったんじゃないか」


 古賀は自分のスマホで情報を確認し、藍島のことよりもむしろ俺の反応を気にしているらしく、こちらをちらちらと見てきた。


 確かに古賀の言う通り、古い友人が久々に長編小説を書いて出版するのはめでたい出来事のはずである。

 だが俺は簡単に祝福する気分にはなれず、ナイフとフォークで切り分けたハンバーグを口に放り込み噛み締めた。


 推しが死んだテロ事件をある程度は乗り越えたのであろう藍島が、一体どんな小説を書き上げたのか。

 この目で見て確かめたい気持ちはあるけれども、それを読んでしまえばいよいよ本当に打ちのめされてしまう気がして、俺は怖かった

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2024年12月20日 16:16 毎日 16:16

完全に推しだけしか見えていない藍島さんが、世界で一番の小説家になるまで 名瀬口にぼし @poemin

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