20.旅人たちの喧騒

 緊急事態発生。緊急事態発生。


 唐突な展開に脳が追いつかない。いや、いつかこうなることは旅をするのが決まった時点で理解していたけれど、そういう問題ではなく、その、要すると心の準備の方は全くできていなかった。


「大丈夫だヒカリ。お前なら必ずやり遂げられる。俺が言ってんだ、間違いねぇよ!」


 忙しなく体を動かしながらも、何故か落ち着いた様子で私を見物しているジョンが、これまた落ち着いた声色でエールを送ってくれる。その余裕そうな立ち振る舞いに少々の苛立ちを感じながら私は今にも目前に迫ってきそうな、それへと目を移した。


 大丈夫、とは簡単に言ってくれる。確かにこの状況を絶体絶命と呼ぶにはあまりにもスリルが足りない。しかしその事を差し引いたところで私の経験不足は揺るぎなく、どちらかと言えばピンチである事実には変わりないのである。そのことに危機感を覚えるのは自然なことではなかろうか。


「随分なめたことしてくれんじゃん?」


 視線の先、十メートル未満。彼らの種族にしては細身で手足の長い、やたらモデル体型な碧色の龍人が痺れを切らしたように口を開く。汚れたチョッキにボロボロでブカブカのパンツ。その服装に似合わない赤いチェックのスカーフが特徴的な印象深い男だ。その表情は怒りで満たされており、脳に他の感情が入る事を断固として拒んでいるように見える。


 否、先に申し出ておくが彼らが目を釣り上げ斧を持つ手に力が入るのは当然の話なのだ。というのも彼らの怒りを呼んだ原因は我々にある。突き詰めて言えばジョンにあるのだから。


「切り刻んで、テメェらの内臓売り飛ばそうじゃん?」


 彼らはまだ、私が鱗なしだと言うことには気づいていない。深く被られたフードや首元に巻かれた薄地のネックウォーマーが私の顔のほとんどを覆ってしまっているし、その他の部分も肌の露出はできる限り控えるようにしているからだ。


 これは同行人であるジョンからの提案なのだが、私以外に鱗無し、つまりは龍人でない人間がこの世界に存在しないが故の措置である。ジョンに引き取られて住んでいた街では、警察やジョン、そしてその知人たちによって私の存在が街に上手く馴染めるよう手引きしていてくれたので生活にほとんど支障はなかったが、外に出るとなるとそうはいかない。行き交う人皆にパニックになられては、こちらとしてもたまったものではない。なので納得した上で承諾しているのだ。


 なんて思考している間に、モデル体型の龍人は急接近してきたかと思うと、力の限りで斧を振りかざしてくる。いや私には全力に見えたが、もしかすると加減されているのかもしれない。


 改めて龍人と私の身体能力の差を感じながら間一髪でそれを避ける。地を転がるように体を回転させる身のこなしはジョンから教わった回避の基礎中の基礎。そして大事なのは回避直後の行動だ。


 予想通り、彼は続けて刃を私に向けてくる。それをどれもほんの数ミリ単位で右へ後ろへとかわしていく。数回ほどの攻撃を経て、一度彼は後ろに下がる。


「弱っちい見た目だと思ったが、中々すばしっこいじゃん?」


「ごめんなさい、私も命は惜しいもので」


 ちらりと後方に目をやる。


 その先にいるジョンがモデル体型の龍人の仲間たち複数人を相手に一歩も引かず、全く劣らずに拳を交えている。しかも相手は各々物騒な武器を携えているのにだ。彼の底知れぬ戦闘力は一体どこから湧いて出ているのか。恐るべき警官魂である。元警官、か。


「全く、本当に厄介な試験だよ」


 額を流れていた嫌な汗を右手で拭って、すぐに払う。


 そろそろ説明に入るとしよう。何故、私がこんな物騒な場面に身を置くことになったのか。その顛末の説明に。











 風の心地よかった湖浜を離れて二時間ほど馬車を走らせた頃、少しだけ環境に変化を発見して、私は景色へ視線を巡らせていた。


「ねぇ、どんどん地形がグチャグチャになってない?」


 この星に来てから今まで私の見てきた景色はどれも千差万別のものであったが、大小の傾斜含めて全て地面は平坦に整っていた。だが私たちが今いる場所は平坦とは程遠く、ボコボコと地面が入り組んでいる。底の深い崖が右に見えたかと思えば、今度は頂上の見えない高い崖が左側に見える。その高さも形状もそれぞれ様々ではあるが、それらは平坦と呼ぶにはあまりに無理があるものであった。


「ああ、舗装が行き届いてないあたりからして、山の深部に来たって事だろうな。今まで俺らがいた場所はずっと標高が低かったから、今は割と高い場所にいるってことじゃねぇの?」


「こんな隆起してる地面、私の世界でも見たことないよ」


「昔はここら辺も海だったらしくて、潮の関係かなんかであんまり植物の類のものが生えてなかったらしい。んで地面があまり強くないわりに高低差が激しかったから土砂崩れが多かったんだと」


 視界を妨げるほどの緑で溢れる大自然を体全体で感じる。


「今はこんなに木でいっぱいなのにね」


「ああ、おかけでここ数十年は土砂崩れなんてほとんど聞かねぇらしいぜ」


「でも、海なら海で海藻とかが生えてたんじゃないの?」


「いや海藻ごとき生えてたところでよ」


「それもそうか」


 納得しかけたところで疑問がまた一つ。


「ここが海だったならここより標高の低い場所も海だったのでは? なのにここだけ凸凹なのは何で?」


「だから舗装されてんだって」


「ああ」これは失礼した。


 途方もなく生い茂る無限大の木々と好き勝手暴れ回っているような地面の相乗効果で視界は最悪である。おまけに足場が悪いために馬車は揺れに揺れる。子供の頃に好きだったゲームセンターに置かれている謎の乗り物なんて比ではない。あんな跨るだけの無防備な状態だったら確実に落馬しているに違いない。


 枝分かれした木の根が邪魔なのか、かつてご機嫌であった馬のペースにも謙虚さが見えてくる。良好だった流れに少しの不安が顔を覗き、その事が私の心をざわつかせた。


 するとその心情に追い討ちをかけるように、馬はその場で停止をしてしまう。


「よし、良い子だ」


 ジョンは何故か声を潜めてそう言うと音を立てないように馬車から降りて忍び足で動くと馬の頭を撫でた。馬の停止が独断行動ではなく、ジョンの指示であった事実から不安は拭われるが、今度は疑問が生まれる。彼に倣い私は出来るだけ控えめに口を開いた。


「ジョン、どうしたの?」


 彼は不敵な笑みを浮かべると口元に人差し指を立てる。似合わないな、と思いつつ私も馬車から降りて彼へと近寄った。顔色を伺うが崩れない笑顔から魂胆が読み取れない。


「着いてこいヒカリ」


 勿体ぶられて少しムッとする。それでもすぐに気が抜けて、私は大人しく彼の背後にピッタリと着いた。


 なんだか不思議な感覚である。小声で私を呼ぶ彼の表情は、余裕のある歳上のそれではなく秘密基地を見つけて喜ぶ少年のように見えてしまったのだ。そんな彼の可愛らしい一面を見てしまったというのに、顔が締まるわけがない。


 しかしそんな緩い考えはすぐに握りつぶされる。


 ジョンは斜め右前方、激しい傾斜になっている場所に伏せて止まると遅れて後に着く私に細かく手招いた。音を立てないように気をつけて歩き彼の隣に伏せる。


 背の低い雑草が顔に当たるスレスレのところまで体を倒し、ジョンが指さす傾斜の下へと顔を向けると、柄の悪い龍人の集団が目に入った。身長や体格、髪型は様々だが、共通するのは全員が男性であることと、組織であると言わんばかりに、赤いチェック柄の布を身につけている事。付け方、場所は様々だが私はその中でもネクタイにしている人が一番まともに見えた。


「あいつらはダイナマイト・ボルケニオン」


 一瞬、何を言っているのかわからなくて瞬きのみを彼に向けてしまう。しかし少し経ってみてもやっぱり何を言っているのかよくわからなかった。


「……なんて?」


「ダイナマイト・ボルケニオン。西都域では有名な盗賊団で賞金もかけられてる、いわゆるお尋ね者だ」


「成る程? それで何でそんな人たちがこんなところにいるの?」


「何でって、ここは舗装の届かない山の中だぞ。いかにも盗賊の居そうな場所だろ」


 それはまあ、確かに。


「しかし俺たちは付いてるぜヒカリ」


「そう、それ」私はジョンを真っ直ぐ捉え指をさした。「何でそんな嬉しそうなの」


 ジョンは獲物を見つけたような喜びに満ちた表情を作り唇を舐める。


「お前の今の実力を試すには丁度いい相手だと思ってな」


 はあ、と短く呟き首を傾げて止まる。今この男は何と言っただろうか。おかしい。聞こえているはずなのに、言葉がすんなりと入ってこないのだ。


「見た感じ七人ってところか。あいつらの全勢力がどんなもんかはわからないが、まあ全体のおよそ半分といったところだろ」


「いやいや待って。本当ちょっと待って」


 顎を手を当てて一人勝手に話を進めるジョンの思考を引き留めるように手を挙げた。しかしそれは無意味だったようで、彼は一人でに頷くと満面の笑みを向けてくる。


「うん、お前は一人に集中しろ。あいつら盗みに関しては目を見張るものがあるが、凶器を手にしたとしてもお世辞にも強いとは言えない。戦い方の基本を学んでいるお前の方が一対一なら強いはずだ」


「一体一ならって……」


 下方を見る。二十メートル程離れたところに群れ、楽しそうに談笑しているダイナマイトなんちゃら。いや楽しそうではないな。声の中には、怒声に近いものも聞こえてくる。


 それらを前にして、私は息を呑む。私にとっては一人を相手にするのにも恐るるに足る相手だ。それを彼は六人同時に相手をすると言っているのだ。容易く言ってくれるが、それがどういうことか果たして理解しているのだろうか。


 どう言うつもりなんだ。と言う思いを込めて彼を見る。


「なんだよ、じっと見て」


「……いくらジョンでも六人相手は流石に無理じゃないかなぁと」


「不意打ちで一人やれば俺が相手するのは五人で済むぜ。それなら相当余裕ができるだろ」


 自信満々に鼻息を荒くするジョン。正気だろうか。正気ではないのだろう。もし正気であるならばこんな血迷った事は口にできないはずだ。可哀想に。せめて精神が直ぐにでも回復することを祈ろう。それくらいしか私に出来る事はない。


「ヒカリ、俺は世界規模で見ても、多分そこそこ強い」


 しかし祈りが届く事はない。現実はいつだって残酷なのだ。


「その俺が鍛えたんだ。お前だって想像以上に戦えるようになってるはずだぜ」


 至って真面目な顔で諭すように語りかけてきたジョンを見上げて、小さくため息を吐く。彼は正気である。これ以上ふざけるのはさすがに気が引けた。


「本気なんだ」


「当たり前ぇだろ」


「わかった。作戦を聞かせて」











 そういった流れが私たちをここまで運び、そして話は盤上へと戻る。


 まさかジョンが正面突破をするとは思わなかったし、それで本当に一人片付けられたなんて未だに信じられないけれど、それでもジョンは有言実行して見せて、今も五人の注意を引きつけつつ私の様子を伺っている。


 様子を伺う、と言えば目の前のモデル体型の龍人もそうだ。先程の猛攻から、まだ一度も私に刃を向けては来ない。


 視線を外さずに腰を落とす。


「ちっこいのによく俺の斧、避けれたじゃん?」


 飄々とした態度を崩さぬまま斧を構える男を前にして、私の体は徐々に温まってきていた。本物の盗賊を前にして、体を動かすどころか滑舌すら回らないかもと臆していたが、先程の手合いで少し緊張が解れたらしい。


 成る程。ここからが本番という事だ。


「ちっこいから、避けれたのかもしれません」


「だがダイナマイト・ボルケニオン唯一の斧使いであり、随一の力を誇る『怪力のニビルジード』様に、果たしてガキ如きが勝てるかな? いんや、勝てるはずないじゃん?」


 下卑た笑い声を響かせる男の言葉を一蹴するように、力強い一歩を踏み出す。


「そんなの、やってみないとわかんない……じゃん?」


「ふは、俺の真似かぁ? 面白くなってきたじゃん?」


 ここで初めて、お互いの視線がぶつかり合う。


 もういつ動き出してもおかしくない。私は両手を前に置いて腰を低くする。ジョンに与えられた最初の試験が、盛大に始まろうとしていた。

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ロストタイムロストメモリーズ 梔子 @kuchinashi_CIDER04

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