ヤーブス・アーカの微妙な貢献

薮坂

>restart?



「いやいや。いやいやいやいや」


 から出てきたと同時に。僕の口から漏れたのは、おもちゃを買って貰えずに駄々をこねる子供みたいなセリフだった。

 時刻は午後十時半、金曜日のレイトショーである。もちろん観に行ったのは、ワイズプロジェクトの新作映画「ヤーブス・アーカの微妙な貢献」だ。

 とある街で勤務する、一介のポリスメンが巻き込まれた戦いをめぐるゴリゴリのアクションもの。


 このワイズプロジェクトは映画制作チームで、二年前、「2000光年のアフィシオン」という傑作SFをひっさげ彗星の如く登場した凄腕集団だ。ちなみに知名度は残念ながらそれほどない。知る人ぞ知る、という燻銀の存在である。

 しかしアレはSF史に名を残す傑作、それは間違いない。そしてそのチームが作る新作、それを観ないワケにはいかない。自称映画通の僕はそんなワケで、公開初日にこうしてミニシアター系のスクリーンに足を運んだのである。そして映画の感想はさっきのセリフに尽きる。


 ──いやいや。いやいやいやいや!


 なにあれ?

 作ったヤツらアタマおかしいんじゃねーの?


 名高い妖刀「葉桜」を巡り、一介のポリスメンが自らの命を差し出してまで奮闘する、涙を禁じ得ない燻銀の感動巨篇。というかあのラストなら絶対に続編が作られるはずだ。ていうか作って欲しい。どうかお願いします。

 そんなワケで。年間五十本以上スクリーンで映画を鑑賞する僕にとって、今回の「ヤーブス・アーカの微妙な貢献」は今年一番のヒット作となったのだ。

 あぁ、本当に良い体験をした。この思いを誰かと共有したい。今すぐにでも。しかし僕は基本ソロプレイ。会社に友達と呼べる存在はいないし、地元は遥か遠い田舎にある。近くのスクリーンに行くにも片道一時間以上かかる、クソが付くほどのド田舎だ。


 こんな時、映画を語れる友がいたら……。そう思うものの、現実は非情なまでに厳しい。僕はその考えを打ち消すように頭を振り、物販で購入したパンフレット(僕は気に入った映画のパンフは必ず買うタイプだ)を手にエントランスから出ようとした。



 ──その時だ。左側面から衝撃を感じたのは。



「ご、ごめんなさい!」


 控えめだけど良く通る声。僕にぶつかったのは、淡い桜色のスプリングコートを着た小柄な女性だった。キャスケットを目深に被り、メガネを掛けている。

 僕が落としてしまったパンフレットを手に取ると、その女性はそれを拾い上げる。ホコリを軽く払うようにして、「すみません……」とおずおずと差し出してくる。

 別に怪我をした訳ではない。むしろ頑丈さが売りの僕に思い切りぶつかって、逆に怪我をしていないだろうかと心配になるほど彼女は華奢な身体をしていた。


「あ、いや。僕は大丈夫です。そちらこそ、怪我はしていないですか」


「はい、私は大丈夫です。すみません、ちょっと考えごとをしていて。あなたに気がつかなくてぶつかってしまって。本当にすみませんでした」


「よく存在感が希薄だって言われるんですよ。あだ名はニンジャです。ですので、むしろ悪いのは僕かも知れないですね」


 もちろん嘘だった。さっきの「ヤーブス・アーカ」に出てきた忍者が頭の中にまだ居たせいだ。ただ、存在感が希薄だと言われているのは悲しいことに本当である。


「パンフレット、拾ってもらってありがとうございました。それでは、気をつけて」


 差し出されたままだったパンフを受け取ろうとすると。何故か彼女はそのパンフを離さなかった。ぐ、と力を込めて渡すのを拒否する彼女。


「……あの。さっき、レイトショーでこれを観てた人ですか?」


「ヤーブス・アーカですか? もちろんそうですけど」


「お一人で?」


「映画は一人で観るタイプなんです。スクリーンに集中したいから」


 悲しいことにこれも嘘だった。僕だって誰かと一緒に観たいに決まってる。でも、僕は交際相手はおろか友達さえいないハイパーぼっちだ。ただコミュ障ではない。むしろコミュ強だと自負しているが、「距離感がおかしい」と言われて敬遠されがちなのである。

 加えてこのクセ。自分でも、このナチュラルに嘘を吐くクセを何とかしないととは思う。これが人を遠ざける原因なのだろう。

 でも彼女は僕の嘘を完全に信じ込んで。星が飛び出そうなくらいに綺麗な笑顔で言ってくれた。


「そうなんですか! 私もです! 私も、映画は一人で観るタイプです。作り手が本気で作った世界を、余すことなく全身で体験したいから」


 彼女は左手でパンフを保持したまま、右手で自身のカバンをまさぐった。そこから取り出したのは、もうひとつのパンフレット。もちろん僕と同じ、ヤーブス・アーカのパンフだ。


「私、この映画に感動したんです。ワイズプロジェクトの新作で、ずっと楽しみにしていて。期待以上の出来に驚いて、気がつけば涙していて……。あの、ワイズの前作のアフィシオン、観てますよね?」


「もちろん、観てますけど……」


「すっごく良かったですよね! 今回の『ヤーブス』はまた違ったテイストのお話ですけど、全然違うお話なのに何ていうか物語の根っこみたいなのが同じように思えて。ワイズはあんまり有名じゃないですけど、間違いなく実力は本物で。だからワイズのファンの方に出会えて、私は凄く嬉しいんです」


 ずずい、と距離を近づけてくる彼女。透き通るような肌がすこし紅潮している。帽子とメガネで気がつかなかったけど、間違いなく美人な女性だった。

 やばい。こんな可愛い女性と話すのは久しぶりだ。伝染するように、僕の顔も赤くなっている気がする。


「あ、ごめんなさい! いきなり捲し立てちゃって。同好の士を見つけて、思わず嬉しくなっちゃって。ワイズを知ってる人、周りにあんまり居ないから。いきなりこんなこと言って、迷惑でしたよね」


「いや、僕も嬉しいです。好きな映画のことを話せる人って、本当にいないから」


「そうですか……?」


 しゅんとしていた顔が、ぱあぁと明るくなる。その笑顔にどきりとしてしまう僕。


「あの、もし良かったら。ご迷惑でなければ、なんですけど」


「はい?」


「これから少し、お時間ありませんか?」



    ──────────



「──そこで私、本当に驚いたんですよ。まさかあそこで、敵として出てきてたアンコック・セーウが味方だったなんて、って! 颯爽と女忍者のカーコを救ったところなんてもう、感涙ものでしたよね! カーコも凛としたカッコ良さがあるし、もう控えめに言って最高ですよ」


 自己紹介をする間もなく。僕と彼女は近くのカフェ&バルに赴き、ビールを片手に映画談義に興じていた。もちろん、作中でヤーブスが愛した黒のLAGERである。

 お酒の力もあってか彼女の声色は力強くなり、いかにあの作品が優れているかを力説してくれる。

 きっと他にもたくさんの映画を観ているのだろう。彼女は他作品を引き合いに出し(でも他作品を貶さないのが素敵なところだ)、ワイズプロジェクトの素晴らしさを滔々と説いてくれる。もちろんそれには全面的に賛成である。

 しかし楽しそうに話してくれる女の子だ。人懐っこいというか、何というか。初めて会った気がしないのは何故だろう。

 僕の考えを余所に、彼女は続ける。


「私が思うに、なんですけど。今回のシナリオって、重大な何かが隠されているように思えてならないんです。そのあたり、どう思われます?」


「重大な何か……、つまり続編への布石ってことですか?」


「それもありそうなんですけど、それとはちょっと違って。なんていうのかな、映画のシナリオを通して世の中に何かを気付かせたい思いを感じると言うか。どっちかというと警鐘を鳴らしているというか。あんまり上手く説明できないんですけど」


 なるほど。彼女の言うことは何となくわかる。厳密に言えば、ヤーブスの物語に一貫性はない。注意深く観れば、シナリオにがあるように思えてならないのだ。

 優れたシナリオには流れというものがある。しかしその流れをあえて止めるような穴。あれは絶対に、意図的なものだ。しかしそれが示すものはなんだろう。それに、それは本当に注意深く観ていないとわからないレベルの穴だ。


 僕が言葉に詰まっているのを見て、彼女はふわりと笑った。「今のは忘れてください、ちょっと酔っているのかも」と続ける。なんて可愛い仕草。星どころかハートが出てるように見える。僕も酔っているのだろうか。


「まぁ、さっきの話を抜きにしても、です。今回のキャラクタ、本当に素敵でしたよね。同僚のへミュオンの不器用な優しさもカッコよかったし、マスターのユースはどこかコミカルだし。エローナ・ツオンの妖艶さも、ミカンサのクールさも。とにかく、みんなお芝居がとても凄かったですよね」


「確かに。役者の実力って言うんですかね。演技には詳しくないけど、知名度よりも演技力を優先してキャスティングしてるってとこが、本当に凄いところだと思います」


「私もです! 特に、私はハルカ役のアヤカ・カズーノさんに憧れてて。凄い人なんです、本当に。あんな風にお芝居できたら、きっと素敵だろうなぁ」


 うっとりとした表情で言う彼女。傾けたグラスからビールが跳ね飛び、彼女のレンズを薄く濡らした。

 あぁ、と言いつつメガネを外した彼女の顔を見て、僕ははたと気がついた。


「野々原チエコ……さん?」


 間違いない。最近になって徐々に露出が多くなってきた、演技力に定評のある舞台出身の役者さんだ。憑依型女優との呼び声が高い、次期ブレイク間違いなしの個性派女優。そんな有名人が、何故僕の目の前に?


「……私のこと、ご存知なんですか?」


「もちろんです。年間五十本、スクリーンで映画を観ているので。特にミニシアター系は大好物なんです」


「──やだな。なんか、ちょっと恥ずかしいです」


 グラスで顔を隠すようにして、彼女は控えめに笑った。そして彼女は続ける。


「でも、これは運命の出会いなのかも知れませんね」


「運命?」


「ずっと探してたんです。私のこと、助けてくれそうな人を」


 LAGERのグラスをテーブルに置いて。一呼吸をしてから、彼女は凛とした声で言った。


「あの。初対面の人に、こんなお願いをするのは本当に申し訳ないのですけど。でもあなたは同好の士だから。きっと、あなたなら力になってくれると思えたんです」


「ええと、どういう意味ですか?」


「私を守って欲しいんです。から」


「ある存在って、」



「──役者殺しの物語って、知ってます?」





【ゆうすけさんに続く】



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ヤーブス・アーカの微妙な貢献 薮坂 @yabusaka

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