第七話

 人混みの中を縫うようにして、風牙と雪花は駆けていく。

 このままだと逃げられると判断した風牙は、雪花に目で合図を送る。風牙の意図を察した雪花は頷くと、商店の外壁を蹴って庇へと飛び上がった。速度を落とさずに、庇の上を飛び移りながら駆けていく。

 雪花は次第に距離を詰めていき眼下に男を捉えると、


「待てって言ってんだろ!」


 庇から勢いよく飛び降りた。男めがけて。


「うあぁあああ!」


 突如頭上から降ってきた雪花に、男は均衡を崩してその場に尻をついた。雪花は着地するなり足を振り上げ、男の顎を蹴り上げる。


「はぁい、動かないでねえ」


 追い付いた風牙が、満面の笑みを浮かべて男の喉元を掴んだ。男の顔を覗き込むと、風牙は表情を一変させる。


「人の金、さっさと返せよ」


 凄まれた男は小刻みに頷くと、懐に入れていた巾着を風牙に押し付け逃げていった。


「ったく、手間かけさせやがって」


 風牙が鼻を鳴らし、手元にある巾着を見下ろす。するとそこには、巾着が二つあった。雪花は風牙は首を傾げる。


「きっと、天からわたしへの贈り物ね」

「馬鹿。他の誰かから掠め取ったやつだよ。……ほら」


 雪花は呆れ顔で風牙の手から他人の巾着を奪うと、息を切らしながら駆け寄ってきた少年に向けて差し出した。


「あんたの?」

「そうですっ。ありがとうございます!」


 黒髪の少年は安堵した様子で、雪花から巾着を受け取ると深々と頭を下げた。


「厳密にいえば、わたしの主人のものなのですが」

「主人?」

「おいっ、カイト! 俺を置いていくなよ!」


 するともう一人、雪花よりも背の小さな少年が、大きな息を切らして駆け寄ってきた。額は汗でびっしょり濡れている。頭に巻いた布が暑そうだ。不機嫌そうに向けられた目は、海のように青い。


「あ、グレン様!」

「あ、じゃねえよ!」

「いや、でもグレン様が追えと言ったじゃないですか」

「言ったけど早いんだよ! 俺はおまえより年下なんだぞっ。少しは気をつかえよ!」


 犬のように吠えている小さい少年が主人らしい。


(いいとこの坊ちゃんか?)


 さしずめ、主人と従者といった関係か。すると黙ってやりとりを見ていた風牙が、嘆息して、グレンと呼ばれた少年の頭を掴んだ。


「あのね、元々はあんたのもんなんでしょ? どこの坊ちゃんだか知らないけど、まずはお礼いうのが先でしょ。取り返そうとしてくれたんだから」

「はぁ? なんで俺が言わなきゃいけないんだよ! とった奴が悪いんだよ!」

「ま、くそ生意気ね。だから掏られるのよ」


 言っておくが、掏られたのは風牙も同じである。雪花は面倒くさそうな顔をしなながら、カイトと呼ばれた少年はハラハラしながら二人のやり取りを見つめている。


「おまえ、どこの人間か知らないけどな、俺に向かって大口叩くと痛い目みるぞ」

「はぁ? ああ、あれね。権力を笠に着てかっこ悪く威張る性質タイプかしらぁ。やあねえ、世間知らずの坊ちゃんってぇ」

「なんだと!?」

「ふん、餓鬼が凄んだところで怖くもないわよーだ」

「変態が俺を見下ろしてんじゃねえよ!」

「はぁ!?」


 大の大人がいい年して子供と張り合っている。いつの間にか雪花たちの周りには、見物客の人だかりができていた。


「グレンさまっ」


 カイトが声を潜め、グレンと袖を引っ張る。

 グレンは舌打ちすると、ついて来いよ、と雪花たちを顎をしゃくった。

 本当に生意気な餓鬼である。

 狭い路地に入ると人の流れが減り、グレンが不機嫌そうな顔で振り返った。


「おまえら、俺が誰だか分かってねえんだろ」

「興味ないしー」

「風牙に同じく」


 そう答えれば、グレンは顔を真っ赤にさせてわなわなと震えた。


「俺はっ! この国の王子だぞ!」


 そう言うなり、グレンは頭に巻いている布を解いてみせた。すると、月の光を集めたような美しい銀髪が露わになる。珍しい髪色だな、と雪花は僅かに目を見開いた。


「で、それが一体何よ」


 一方風牙はつまらなさそうに鼻を鳴らし、グレンを見下ろす。


「なっ、普通畏まるだろうが!」

「わたしたち関係ないし興味ないし。ていうか、それを言いたかっただけ? はぁー、素直に礼の一つも言えないとは。ちびなくせに器も小さいのね」

「お、まえ……! 本当に失礼な奴だな!」

「悪いけど、この国の住民じゃないから。そもそも、わたしが敬うのは自分だけよ」


 天上天下唯我独尊。どこにいても誰に対してもこの態度を貫けるのは、風牙しかいないだろう。雪花は溜め息をついて、風牙の手を掴んだ。


「風牙、そろそろ戻ろう。宿を探さないと」

「そうね。ここにいても時間の無駄だわ」


 風牙はグレンに向かって舌を出してみせると、その場を後にしようとした。しかし、何かが蠢いた気配を察知し、風牙と雪花は足を止めた。互いの顔を見合わせる。


「風牙、何かやらかしたでしょ」

「失礼な、今回は違うわよっ」

「どうだか」


 すると風牙たちを挟み込むようにして、両端から人影が現れた。手には小刀を手にしている。日の光に、抜き身の刀身がきらりと光る。

 カイトと呼ばれた少年が、顔を強張らせてグレンを背後に構った。

 風牙と雪花はなんとなく状況を察し、互いに反対方向へ足を進める。


「餓鬼は引っ込んでな」


 風牙はグレンの後襟を掴み、自身の背後へと下げた。

 さて、どうするか。

 雪花は抜刀し、風牙は構えを取った。

 路地に乾いた風が流れ込む。それが合図だった。人影が同時に動いた。

 真正面から駆けだした男は、雪花に向かって刀を振り下ろした。瞬時に雪花は刃を受け止める。男は刃に力を込めてくる――押し切る気だ。雪花は力勝負では大人に負ける。

 鍔迫り合う中、雪花は自身の刀の棟に手を添わせると、力を込めて押し出した。雪花の刀の切っ先が半円を描き、男の頬と目を抉った。一瞬動きを止めた男の刀を払うと、男の腹に蹴りをくれてやる。


「この餓鬼が!」


 目から血を流しながら、男が呪うように言葉を発した。


「弱いからやられるんだよ。弱ければ、全て奪われる」


 雪花は底の知れない仄暗い目を男に向けると、柄を握り直した。雪花の纏う空気に男は息を呑むと、その場から駆け出していった。

 嘆息して風牙を振り返れば、もう一人の男を追い払ったところだった。


「雪花、大丈夫?」

「うん」


 雪花は懐紙で血をふき取ると、納刀した。


「宿で手入れしたい」

「そうね。じゃ、気を付けて帰んなさいよ。王子様」


 立ち去ろうとする風牙と雪花に、気が付けばグレンは駆けだし、二人の服を掴んでいた。


「……何よ、餓鬼んちょ」

「れ、礼をしてやるから、一緒に来いよ。……宿、まだ決めてないんだろ」

 

雪花と風牙は目を見合わせて、唇を尖らせるグレンを見つめた。一方カイトは、素直でないグレンに苦笑するのであった。

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花街の用心棒【三日月を胸に抱いて】 深海亮 @Koikoi_sarasa

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