サクラミントストーリー

七紙野くに

サクラミントの二人

「お客さん、本当に探すんですか?」

「勿論。真剣マジですから」

「数が減って安くはないですし、買ってからも手がかかりますよ」

「分かってます!」


 智明さとみは困惑していた。飛び込みの客がNSR250R SPを探せと言う。この業界で生活の糧を得てきたので探すこと自体に問題はない。しかし旧い上に人気がある機種だ。コンディションが良い車両は値が張るし、購入後の維持だって金銭的、時間的、手間的にお薦め出来るものではない。しかも客自体、どう見ても素人だ。工学部の学生だと主張するが高校生としか思えない。


「ちょっと、馬鹿にしてます?」

「いや、そんなことはありません。ただ、いろいろ考えるとお薦め出来かねるかと」

「分かった。待ってて」


 待て、とだけ残した客が駆けていく。扉は開かれたままだ。四十分ほどして客は戻ってきた。息を切らしている。


「これで」


 見覚えがある都市銀行の封筒が叩き付けられた。


「二百万あります。もうATMでろせなくて大変だったんだから」


 智明の頬が引きつる。此奴こいつは何者なんだ。一見、なんの変哲もない女子高生なのに札束を投げNSRを要求する。脳がフル稼働するが危ないバイトをしているようにも感じられない。


「なにか問題が?」


 手をつき身を乗り出し目に目で圧倒する客。顔と顔が近すぎる。こうなってはバイク屋の店主とはいえ獲物を狩る鷹の前の小鳥だ。


「で、では一応、こちらにサインを」


 無言でボールペンを握る客。ここからは少女と記そう。


「これでいい?」

「はい。それで車両状態やカラー、年式なんですが」

「任せる」

「はい?」

「だからあなたに任せます」


 条件無しのお任せで二百万。強烈なストレートが放たれた。面食らう智明にアッサリと別れの挨拶が告げられる。


「じゃぁねー」

「ちょ、ちょっと待って。取り敢えずお金は持って帰って」

「そうですか」


 今度はしっかりノブを押さえ玄関の鐘を鳴らす少女。見送り正気を取り戻す智明。


「プロがアマチュアに打たれっ放し、はないな」


 一週間後、NSRは入荷した。これほどの短期間で極上の玉を掴む。どんな手段を用いたかについては秘密だ。整備が始まる。智明の腕の見せ所だが、それを説いても仕方ない。いささか時間を進めよう。


 二度目の週が経過した。受話器を取る智明。オーダーシートにある電話番号をなぞる。


「ご注文のバイク、仕上がりました。名義変更など全てオーケーです」


 連絡して一時間、電光石火の如くオーナーは登場した。また息を切らしている。脇にはヘルメットとグローブが力強く抱えられている。


「どこ?!」

「こちらです」


 智明が案内した先には完璧と形容していいロスマンズカラーの機体が置かれていた。


 注文主がゆっくりと車体を一周する。彼女は智明の瞳を凝視し背筋を伸ばした。手は腰に添えられ仁王立ちだ。


「私が見込んだだけのことはある!」

「はぁ?」

「人を見る目はあるんですよ、私」


 なんとなく見下みくだされているようだが悪い気はしない。なによりキャンセルされなくて良かった。ほっとした智明が会計を行う。


「え、これだけでいいの? 二百万あるんですよ」

「これでもプレミアム価格です。仕入れ上、致し方なくですが」

「そう、ありがとう。もらっていきます」


 智明は奥に据えられていたNSRを陽光のもとへ出す。


「大丈夫ですか?」

「なにが?」


 智明は言葉を繋ぐのをやめた。フルフェイスを装着した少女は受け取ったキーを挿しチョークを引く。始動方法は知っているようだ。キックレバーも起こした。いよいよ少女がそのレバーを踏む。


 現在となっては忘れられた技術の集大成であるツーストロークエンジン。それは動こうとはしなかった。少女はキックを繰り返すが反応はなく険しい表情になる。


退いて」

「大丈夫だから! 私、かけられるから!」

「いいから退けって」


 渋々キックレバーを譲る少女。代わった智明が一撃する。


すごーい!」


 少女は覚醒した愛機を前に年相応としそうおうの無邪気な笑顔となる。


「いいか、ここを触って熱が感じられたら走り出して構わない。チョークを戻し忘れるんじゃないぞ」


 智明の口調が「お客様」に対するものから変化した。


「もういいかな?」

「うん。気を付けて」


 少女を乗せたNSRが去る、はずだった。が、エンストして止まった。クラッチの扱いに不慣れらしい。こればかりは身体からだで覚えてもらうほかない。少女は数回、痛々しい姿を晒すと、なんとか発進し、よろけながら交差点に隠れた。


 次の日、早速、少女は店に現れた。そして次の日も、その次の日も。


「あー名字で呼ぶのはやめて。ともでいい」

「じゃぁ知さん」

「はい、なんでしょう?」

「毎日なにしに来るの?」

「用事がなきゃ来ちゃダメ?」

「ダメってことはないけど」

「けど?」

「うーん、まぁいいか」


 智明からすると連日、目にする少女の運転は危なっかしくて耐えられない。売り上げに貢献して頂いたところだし一つサービスするか。今、考えると智明はなぜそう判断したのか分からない。分からないが口を開いていた。


「次の定休日、空いてる?」

「定休日って、えーと。うん空いてる」

「ちょっと走りに行こうか」

「一緒に行ってくれるの?」

「うん」

「行く行く!」


 少女の水晶体が爛々と輝いた。


 定休日。十時と約束したのに九時に訪れる少女。予想はしていたが智明も苦笑いだ。


「じゃ行こっか」


 智明が跨る純白のVFR800Fに少女のNSRが続く。未だ心許こころもとないライディングをミラーで追いアクセルへの意識を徐々に増す智明。三十分の走行で休憩を取り、ついでに買った物を収め再び走り始める。


 更に三十分後、狭く危険な都市高速を避け国道を流した二台は市境を超えた。小高い住宅地に到達し小学校前の赤信号で停止する。VFRが左にシグナルを灯したので少女も従う。信号が変わった。左折する。


 少女は目を疑った。学校に沿う直線、数百メートル一面が満開のソメイヨシノだったからだ。それは限りなく白に近いピンクだが桜色以外に例える色が見付からない。通りの奥に抜け他の通行の邪魔とならないスペースに駐機する。フォースト、ツースト、それぞれのV型の火が落とされると少女はサイドスタンドに車重を預けシールドを持ち上げた。


「おい降りろよ。ちゃんと見ようぜ」


 全てを失っている少女を智明が促す。


「ヘルメットも外せ」


 束ねられていた長い髪もほどく少女。幽玄の世界を脱し智明に視線を向ける。


「綺麗だね。ありがとね」


 うなずいた智明が休憩地点となったコンビニで入手した氷菓子を渡す。


「食え」

「え、チョコミント?!」

「嫌いか?」

「いや、店長さんのイメージになかったから」

「さんは要らない。店長でいい」


 春の風が柔らかく二人を包む。


「店長」

「なんだ?」

「私のNSRも真っ白にしてくれないかな」

「なに言ってるんだ。ロスマンズカラーは多くの人の憧れで貴重なんだぞ」

「いいんだよ。染めたいの。白一色にして染めたいの。ここの桜達みたいに」


 智明は返事をしなかったが心は決まっていた。


「アイスのブルーがチェリーピンクに溶けて綺麗」

「そら良かった」

「随分、甘いチョコミントだね。店長に似合わないね」

「そうだな」


 満開となった花は散るだけだ。ひとひら、ふたひら。スローに舞う。


「いつまでも散らなければいいのに」

「そうはいかんよ」

「あ、アイスもなくなった」

「帰るぞ、知」

「今、知って呼んだ?」

「どうかしたか」

「いいや、なんでもない。うしし」


 揃って防具を手にする。腕組みした智明がキーを回す少女を見守る。キック一発。もう智明の指導は不要なようだ。住民に迷惑をかけないようスロットルを絞った二人。背中は小さくなり、やがて桜通さくらどおりから消えた。


 三日後、少女はガレージにやってきた。二日の空白は前期開始で忙しかったことによるとか。どうやら工学部というのは嘘ではなかったようだ。少女がカウンターにチューブを立てる。


「歯磨き粉?」

「そう」

「なんで?」

「よく読んで」

「サクラミント味?」

「いいでしょ」

「なんの罰ゲームだよ」

「上げる。毎日、磨くんだよ。歯はバイク屋の命」

「なにそれ」


 以降も無駄話は終わらず店外にも声が漏れた。


 就寝前に思い出す智明。シュリンクパックを破る。


「うん? 意外といけるな、このハミガキ」


 サクラミントを香らせた店長はどんな夢を見たのか。夢の未来は別のストーリーで語られる。

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