虚言武装

棗颯介

虚言武装

 放課後の教室で、私達二人は文化祭のクラスの出し物について話をしていた。与太話を交えながら。


「ねぇ、桐生きりゅう君」

「なに、堀江ほりえさん」

「桐生君って、趣味とかあるの?」

「ご想像にお任せします」


 ご想像にお任せします。それが、桐生景虎かげとらという男子生徒の口癖だった。高校三年生に進級してからのクラス替えで彼と一緒のクラスに編成されて二ヵ月、クラス委員長に選ばれた私が彼を副委員長に任命してから一ヵ月ほど経つけど、その言葉だけが桐生景虎という男子生徒の数少ない特徴あるいはアイデンティティと呼べるものだった。少なくとも堀江由香里ゆかりという女子生徒の目から見れば。


「堀江さんの趣味は?」

「ご想像にお任せします」


 だから、私も彼には自分の多くを語らないことにした。別に彼を嫌っているとかそういうことではない。この一ヵ月、私がいろいろ彼の内面について掘り下げようとしてもはぐらかされてばかりだから、逆に私に対する興味を彼に抱かせれば自然と彼の内面が見えてくるんじゃないかと考えてみただけ。後は単純に、彼へのささやかな抵抗だ。

 ただ私の場合は彼ほど秘密主義者っていうわけじゃないし、他の同級生から聞けば私のことなんていくらでも知れるだろうからこの特異なコミュニケーションにあまり意味はないのかも。

 そもそも、彼が私にどの程度興味を持っているかも謎だ。


「ふーん。ところで、今度の文化祭の出し物、どうしようか」

「やっぱりベタなところだとお化け屋敷とか射的とか出店とかだよね。桐生君は何かやりたいもの、ある?」

「ないね。堀江さんがどうしてもやりたいっていうものが特にないようなら、適当にいくつか候補を出して、今度のホームルームでクラス全員の投票で決めるのが一番手っ取り早いと思うけど、どうかな」

「そうだね、私もどうしてもっていうのはないから、五個くらい候補を絞ろうか。桐生君、決めてくれる?」

「俺はパス。副委員長の決めた候補よりは委員長様が決めた候補の方がクラスの皆にも納得してもらいやすいと思うし」

「別にどっちが決めてもだいたい納得してくれると思うけど」

「いや俺、副委員長とかまとめ役務まるような威厳も人望もないし。堀江さんに脅されて副委員長やってるだけだから」

「脅されたって人聞きが悪いなぁ。一応クラスの他の人にも賛成してもらったんだからそこは誇っていいと思うよ?」

「無理無理」


 彼はそう言って肩をすくめた。

 好きなものはなし。少なくとも文化祭という学校行事に対する情熱もない。何かの責任を持つことに対して抵抗を覚える。自分に自信が持てない。

 やっぱり桐生景虎という男子生徒は、何かに怯えている人だと思った。何かというか、きっとそれは“他人”なんだろうな。学校という集団での共同生活の場において、廃部になったスケート部の部室を密かに占拠して自分だけの居場所を確保するくらいだし。


▼▼▼


 私が桐生景虎という男子生徒を初めて認識したのは、今から一ヵ月前のこと。きっかけはなんてことはない、クラスの日直が書かなければならない日誌の受け渡し。その日の日直は私で、前日の日直が彼だった。彼から日誌を受け取っていないことに気付いた時には既に昼休みの時間を迎えていて、私が桐生景虎という男子生徒の座席を確認した時には、彼は既に教室から出ていった後だった。

 どこか別のクラスで友達と昼ご飯を食べているんだろうか。私は彼の近くの席にいたクラスメイト達に聞いてみた。


「ねぇ、ここの席の桐生君どこに行ったか知ってる?」

「桐生?どこだろうな?いつも昼休みの時間は教室じゃ見ないけど」

「そういえば昨日の昼休み、桐生君が体育館横の部室棟のところ歩いてるの見たよ?」

「桐生君って何部だっけ?」

「さぁ、俺は知らないけど」

「そっか、分かった。とりあえず部室の方見てくるよ」


 別に急いでいたわけでもないんだけど、その時はなんとなく時間を持て余していたからどこかへ行きたい気分だった。

 クラスメイトの情報通り、彼は体育館傍の部室棟の前を一人で歩いていた。野球部、バドミントン部、テニス部、陸上部の部室の前を通り過ぎ、ある部室の前で立ち止まる。扉の前で何やら手を動かしているが、鍵を開けているんだろうか。数秒もしないうちに、彼の背中は部室の中に消えていった。

 彼の入った部室傍の壁に取り付けられた、掠れた字で書かれたプレートにはうっすらと『スケート部』と書かれている。確か、部員が少なくて去年には廃部になっていたはず。元スケート部だったりするのかな。


「桐生君、入るよ?」


 返事も聞かずに、私はスケート部室の扉を開いた。部室の中には傷だらけで中身のスポンジが露わになっている長椅子と、何も置かれていない錆びた金属製の棚のほかには何もない。

 彼は、長椅子に座って弁当の包みを開けていた。ついでに言うとスマートフォンにイヤホンを繋いで何やら音楽を聴いているらしかった。

 突然入ってきた私を見て、彼は一瞬だけ固まった。まるで、戦時中の砦で補給を受けていた兵士が何の前触れもなしに敵から空爆を受けたみたいな、そんな顔。その表情から感じられる心情は驚愕というよりは部外者に対する警戒心といった方が適切だった。

 私は、そんな彼の心情なんてお構いなしに要件を述べた。


「あ、ごめんね食事中に。昨日桐生君日直だったよね?日直の日誌貰いたいんだけど」

「……あぁ、ごめん。忘れてた。教室に戻ったら渡すよ」

「桐生君って、スケート部だったの?ここスケート部の部室だよね、去年廃部になった」

「うーん、まぁ、そんなとこ」

「……うちの高校って、原則どこかしらの部活には所属してないといけないんじゃなかったっけ。廃部になったなら活動中の部活に異動するはずだよね?」

「そうだっけ?」

「あと、校内でスマホ使うのも校則で禁止されてなかったっけ?」

「えーと、そうだっけ?」


 桐生景虎という男子生徒が私に動揺という感情を見せたのはそれが初めてだった。

 この数日後、私は彼が廃部になった部室を不法占拠していることを黙認する代わりに、彼をクラスの副委員長に任命することになる。別に彼に個人的な興味だとか好意があったわけじゃない。単に副委員長に立候補する人が誰もいなくて、さっさと話を終わらせるために彼を選んだだけ。

 ちなみに彼がどこの部活に所属しているのかは一ヵ月が経った今も謎のままだ。


▲▲▲


 少なくとも私が他の同級生たちに聞いた限りでは、桐生景虎という男子生徒は決して周囲からマイナスのイメージを持たれているわけではない。定期テストの上位者名簿にはほぼ全科目で名前を連ねているし、人当たりもよく頼みごとがあれば概ね引き受けてくれる。ただ、彼の友人ですと胸を張って答えるような人物は少なくともこの学校にはいないらしかった。さらに言えば、彼の趣味趣向や交友関係について詳しく知っている人間はいなかった。そういう会話になると、適当なことを言ってはぐらかされるそうだ。

 存在感がないわけではないが、存在があやふや。周囲に一枚、薄く透明な壁を作っているような人。

 いや、薄くはないのか。ただの薄い壁なら他の人も多かれ少なかれ作っているだろうし。桐生景虎という人物の場合、その壁はきっととてつもなく分厚くて硬く強固なものなんだろう。透明だからパッと見は他の人と変わらないように見えるけど、いざ触れようとすると、あるいは壁を無理に突き破ろうとすると強硬に弾かれてしまう。決して自分の心の内側に他人を入れようとしない人。それが私から見た桐生景虎という男子生徒の印象だった。

 

「じゃあ、一旦この五つでいいかな」

「うん、いいと思う」

「ありがとう。じゃあ今日はこの辺にしておこうか。もうすぐ下校時刻だし」

「あぁ、もうそんな時間だったか」

「桐生君、家どの辺だっけ?電車通学?」

「電車だけど」

「じゃあ、私と一緒だね。一緒に帰ろっか」

「うん。まぁ、いいよ」


 口ではそう言っていたけど、その表情には少なからず拒否反応ともとれる何か苦いものがあった。

 

「……」

「……」

「………」

「………」

「…………」

「…………」


 沈みかけた夕日が照らす帰り道。私達は一緒に帰っているというのにずっと無言のままだった。青春を謳歌している高校生の男女が一緒に下校しているのに。彼は基本無口な人だった。外部からのアクションがない限りは自分から他人に対して何かを働きかけることがない。やっぱり、私の方から話しかけた方がいいんだろうな。


「桐生君」

「なに?」

「好きな女の子とかいるの?」

「それは堀江さんだって言ってほしいの?」


 質問に質問で返された。こういう話題のすげ替えというか、会話の主導権を握ることに関しては病的なまでに上手い。本当は人と話すことも嫌なんだろうけど、人と距離を保つために自然と身に着けたスキルなのかな。


「まぁ、人から好意を持たれること自体はウェルカムだよ、私は」

「そう、じゃあご期待に添えなくて申し訳ない」

「わーひどい。乙女心を何だと思ってるの桐生君は」

「俺には理解できないものかな」

「さては桐生君、女の子の友達いないの?」

「多分女友達の有無はあんまり関係ない気がするけど。心の機微は人それぞれだし」


 正論で返された。そもそも心なんて不確かなものについてああだこうだと定義する方がナンセンスだったかも。話題を変えよう。


「じゃあ誰かとお付き合いした経験は?」

「ご想像にお任せします」

「また出た。それ禁止。次言ったらスケート部の部室の不法占拠について先生にチクっちゃうからね」

「ふぅ……。まぁ人並みかな」


 やっと彼から引っ張り出した回答はやっぱりふわふわしていた。


「堀江さんは?」


 彼が誰かに何かを質問するときは決まって自分の話を掘り下げられたくないというようなタイミングだった。彼の言葉を無視して質問攻めにしてもいいんだろうけど、多分それだといっそう頑なに口を割らなくなるんだろうな。


「ご想像にお任せします」

「まぁ興味はないけど」

「いやそこは嘘でもいいから興味持ってよ?」


 ふと思った。もしかしたら彼は、自分が他人に怯えているという事実に自分自身でさえ気づいていないんじゃないだろうか。彼という人間がどうしてこうなったのかは私には分からないけれど。自分がどういう人間で普段何を考えているかなんて、案外他人の目から見た方がはっきり分かるようなものなのかも。

 言ってあげた方が、いいのかもしれない。


「ねぇ、桐生君」

「ん?」

「いつも何をそんなに怯えているの?」


 私がそう聞いた瞬間、彼が立ち止まった。それに気づくのが遅れた私は、彼より数歩だけ進んだ先で停止する。

 振り返った私が見たのは、死人のように表情を硬くする桐生景虎の姿だった。まるですれ違いざまに通り魔のナイフで心臓を一突きされたような、そんな顔。ある日突然週刊誌にスキャンダルが掲載されたタレントさんはこういう顔をするのかななんて私は思った。

 普段ならこっちが何を聞いても即座に返事をしてくれる彼だったけど、今回に関しては平常時より返答は五秒ほど遅かった。


「———何が?」


 それは私の質問への回答としては些かズレた返事だった。彼らしくない。

 私は容赦なく普段思っている彼への印象をぶちまけた。


「桐生君、いつも怯えてるように見えるよ。何にかは分からないけど」

「それは堀江さんの勘違いなんじゃないかな」

「そう、ならいいんだけどね」


 でも、と私は続けた。


「桐生君が思うほど、怖い人ばっかりじゃないと思うよ。世界は」

「え?」

「あと、桐生君が心を開いてくれないなら、私もキミに心を見せないよ。他の人はどうだか分からないけど」

「……ふーん、そう」


 彼は再び歩き出し、立ち止まっていた私を追い越して私の数歩先を歩いていく。その背中を追いかけて駆け足で寄っていくと、歩きながら彼は言った。


「そういえば、さっきの質問」

「ん?」

「堀江さんの過去の恋愛経験は興味あるかも」

「……それ、さっき私が嘘でもいいからって言ったからそう言ってるだけなんじゃないの?」


 彼は追いついた私の顔を見て、珍しく笑顔を浮かべて言った。


「ご想像にお任せするよ」

「はぁ。ホント、そういうとこだよ!」


 桐生景虎という男子生徒の虚言武装は、どうやら一朝一夕で治るものではないらしい。

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