【4章】~【終章】

【4章】


 ルーチェの声が聞こえた気がして私は目が覚めた。いつもと違ってぎこちない発音だったが、私がまだ寝ぼけてるからそう聞こえたのだろう。

「あれ?…ルーチェ?」

声の主はどこにも見当たらない。その代わりといっていいのか、いくつかの違和感が私を襲った

「…ん?……このにおい…なに?」

注意深く鼻をスンスン利かせると、今までに嗅いだことのない刺激臭がした。薬品が燃えてるのだろうか?


「あっ…」

先程から自分を襲っている1番大きな違和感の正体に気がついた。

檻がグシャグシャにひしゃげて扉が開いていたのだ。

脱走を防ぐためとはいえ、一体何を閉じ込めているんだと言わんばかりの頑丈な檻が、まるで指先で捩じ切るかのように、最早一種の芸術かのような壊れ方をしているのだ。

どう見ても人間にできる範疇を超えた芸当だ。もしかして化け物の仕業か?そう思った私は見当たらないルーチェのことがとても不安になった。その時

「…コッチ…キテ…」

「っ!?」


 唐突に、ルーチェの声が頭の奥に響いた。

先程夢の中で聞いた、ぎこちないルーチェの声だ。

この場にいない人間の声が聞こえるなんてとうとう私も壊れてしまったのか。

そんな冗談を考えながら何故か私は、壊れた檻の扉に吸い込まれるように、まだ冷たさの残る裸足を向けた。


──2つほど分かったことがある。

 1つ目は、私達をこの施設から生きて出すつもりなど研究員達には一切無かったことだ。

迫る研究員の足音。

殺処分という絶望の号令。

私を捉えきれなかった弾丸が床を跳ね返る衝撃。

元々あの檻を脱走するなり、異常事態が発生すれば処分するという手筈だったのだろう。毎日見ているレンズの奥に光る研究員の目は、いつも通り鈍い光を湛えていた。


 そして2つ目

この惨状は、ルーチェがタスクの過程で何かしら事故を起こしたことによるものらしい。

その時に生じた火災のお陰で、なんとか研究員の銃撃を肩と腹部にそれぞれ2発ずつの命中で済んでいる。決して少ない被弾とは言えないが、苦しんで立ち止まればもう2度とルーチェと会えないだろう。そちらの恐怖の方がよっぽど私を震わせた。

悲鳴と嗚咽を噛み潰し、私を呼ぶ声の元へ走る。


──倒壊する柱を避け、引き金が引かれる前に拾ったガラスの破片で4人目の研究員の喉を切り裂く。

「あ”ぁ”ぇ”…がぁ……ぅ………」

綺麗に切り裂けなかったからか、血が吹き出る喉元を抑え、しばらく苦しんでから逝ったようだ。

もうそうするしかなかったから殺めた。それの繰り返しである。勿論1人目を殺めた時は酷く動揺し立ち止まりかけたが、ルーチェへの渇望と、何より考え込む前に銃を向けてきた獲物が覚悟を決めさせてくれた。

そうして流血による痛みなど忘れて、半ば作業的に幾多の敵を狩った。駆けた。翔け続けた。

そして──辿り着いた。

────────────────


【5章】


 火の手は完全に回りきり、2人を取り囲んでいる。以前ルーチェの話に出てきたドーナツというお菓子の形に似ているのではないか?そんな下らない思考に至るほど異常な光景だった。

「…ウリュー……チ……イタカッタ…ツラカッタヨネ?」

ルーチェ…だった者は眩い輝きと紅い炎に包まれていた。辛うじて人型を保っているかと思えば、一瞬だけ露出した肌にはトカゲのようなウロコが見えた。翡翠の輝きを持つ目には黒い縦スジが、それらはルーチェがもう人で無いことを示すには十分だった。

だがそんな姿になっても私の身を案じてくれるのは間違いなくルーチェでしかなかった。


「ルーチェ!」

 暴力的な存在感を放つにも関わらず、今にも消えてしまいそうな儚さを持つルーチェに私は思わず抱きついてしまう。何故かルーチェを包む炎は熱を持たず、ルーチェの腕の代わりに私を抱きしめてくる感じがした。

「ルーチェが、よんだから、きたよ、だから、だから─」

誰のものか分からない血がこびり付いて固まりかけていた唇を不器用に動かして、返答になっていない言葉を必死に紡いだ。

言い残すことが無いように、悔いの残らないように。

「……モウ……ワタシ……コワレル……イヤ……スデニカ……」

いつもは少し鼻にかかる自嘲気味に喋る癖も、今はただ頭の奥に直接響く信号でしかないのがとても寂しい。


「ダカラ……サイゴニオネガイ………キイテ…」

私はなんと発音すればいいかもう分からなかった。だからせめて、1文字も聞き逃すことのないように、全神経を耳に集中させた。

「…シアワセニ……ナッテ……」

無理な相談だ。ルーチェは私の全てなのだから、ルーチェがいなければ私にとってこの世界は何も無いに等しい。

「わたしが幸せになるには、ルーチェがよこにいないと…」

「……ゴメンネ……ユルシテ……デモイツカ ……キミニハ……ワタシヨリ………タイセツナ」

「イヤだ!そんなことない!私にはルーチェしかいないもん!ほかのだれかなんていないよ!ルーチ…んむぅ!?」

気づけばルーチェと私の唇は重なり、口を通してルーチェの熱い何かが私に流れ込む。


 以前ルーチェから、この行為の意味について聞いたことがある。

曰く、好きな人と愛を確かめ合う行為と。

だが今はその行為も、ルーチェが自分に残された僅かな時間を惜しむ、言わば別れの挨拶のようで哀しかった、切なかった、これ以上ない程に愛おしかった。

お互いに目を瞑り、舌を絡ませ、ひたすらに愛を確かめ合う。気のせいか流血の痛みは掻き消え、体温の高まりすら感じる。

「「……ダいスき……」」

もうどちらが発音したのかすら分からないほどに溶け合っている。

お互いを抱きしめる力は更に強くなり、万力なんて言葉じゃ足らないほどに求め合う。

─────瞬間、全てが爆ぜた。

───────────────────


【終章】


 日光の照り、草木の呼吸、風の哭き声、それらは私を目覚めさせるには十分な刺激だった。

「……ンぅ……朝ぁ?……え……」

寝ぼけていた頭が一瞬で覚醒した。当たり前である。

ルーチェの言葉でしか聞いた事のなかった外の世界が眼前に広がっていたのだから。

忌々しい研究施設の面影などどこにもなかったのだから。

強いて言うのであれば、研究施設の残骸と思われるものが転がってるだけで、あとは地平線まで荒野が広がっている。


「これが…外の世界なの?……ねぇ、ルーチェ…………ルーチェ?」

返事はない。

「そうだ!ルーチェは!?」

辺りを見回しても誰もいない、話に聞いていた動物の1匹さえいない。恐らく研究施設の爆発に驚いて……爆発……

「あ……そっか…さっきの……じゃあなんでわたしはここにいて…ルーチェはいないの?」


 その答えは迅速に、冷酷無比に、残酷に私に突きつけられた。

チャリ…

私の足に何かあたった、施設の残骸だろうか………

「ルー…チェ……?」

それは私の足にもついているものと同じ、モルモット用の足輪だった。

ただ1つ、ルーチェから教わった文字で1番好きな文字が刻印されていることを除いては……

「あ…………イヤ…ちがう!…そんな………」

私の想像は何も間違ってなどいなかった。


「この足輪は元々外れないように設計されている。だから変な気を起こしてうっかりでも起爆させるなよ。大切なサンプルなんだからな。」

 そんなとても人につけるものではない物を私の足に取り付けた研究員の言葉がフラッシュバックする。


 その足輪には爆破の後があった。固形化した血が付着していた。

絶望した者の予感という物は得てして当たるものであり、先程は注視しなかった足元辺り…

ちょうど私とルーチェが抱き合っていたであろう辺りには、少女の肉片と思わしき物が炭化して散らばっていた。



──── 聞く者によっては怒号ともとれるほど、割れるような号哭に身を浸す直前、もう一度爆発が起こった。私の肌表面で。

「………は?…なんで?…」

私は今までルーチェのことしか頭になく、自分の状況をよく見ようとしていなかった。

だから自分の腕に視線が移動するまでかなりの時間を要した。

「…これ…ルー…チェの…?」

つい先程の記憶にある、想い人のトカゲのようなウロコが私の皮膚に移動していたのだ。

「う"わぁ"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"!!!!!」


 最悪の気分だった。

何故そうなったのかは到底理解不能だが、

直感で分かることがあった。


私の爆発でルーチェが死んだ。

そして私の中にルーチェの何かがある。


 胃の中身は既に空っぽだった。

しかし、肉体が無理やり胃酸を総動員して喉を逆流させる。

「ゔぼぇ"ぇぇ!………お"ぉ"ぇ"……」

それはまるで自分の中の後悔や罪悪感を押し出そうとしているようであった。


 何日も何週間も何年も、吐いては泣き叫び、泣き叫んでは吐いていた。

「"教えて"よ!…なんで!………ねぇ!…ルーチェ……久しぶりに、新しいことを"教えて"くれるんでしょ?……………うそつき…」

流せる涙は全て枯れた。それでも泣き続けた。

吐けるものは全て吐き尽くした。それでも吐き続けた。


 そしていつしか、餓死してルーチェの元に逝けるという甘い希望は絶たれていた。

それに気づいた頃にはどうやって死ぬかということしか頭になかった。

だが腕を切り落としても、体を貫いても、首をはねても、頭を裂いても、時折現れる装甲車に体を挽き潰されても…

最後にルーチェが私に身勝手な夢を託したからだらうか?

「…イヤだ……ルーチェといっしょがいいって言ったでしょ…?……なんで?…」

どうしても死ねなかった。


───気づけば施設の残骸などは雨風で錆びつき、吹き飛ばされ、消えていた。

しかしルーチェの足輪はしっかりと私の胸元に残されていた。

彼女が生きていた証まで風化させたくないからだ。

自分が何をしたのか有耶無耶にしたくないからだ。


 私は立ち上がった。

私とルーチェは何故あの施設にいたのか?

ルーチェは何故あのタイミングで私に口づけをしたのか?

私は何故死ねないのか?

こんな理不尽なことあってはならないと思った。

立ち上がらざるを得なかった。


 私は考えた。

どうすればルーチェに報いることができるのか。

私が悔いることなのか?

この不幸の根源を壊せばいいのだろうか?

私が幸せになってルーチェの夢を体現すればいいのだろうか?

そもそも幸せとは何なのか?

分からない…

この世界は分からない、分からなかったことばかりだ。

そうだ、だったら誰かに"教えて"もらわなければ…

私は、いつ何処で選択を間違えたのだろうか?


 私は歩き出した。

自分の身に何が起こったのか何も分からない、分かっていなかったのだから。

まだ、正しかった選択を"教えて"もらっていないのだから。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

正しかった選択を"教えて"ください。 @ruour

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ