君の見る月
※ここ少し表現きついところあります。気をつけてください。
昨日は涼しく、曇り空だったため、暖かい甘味を求めてお客さんがたくさん来た。私が最近見ないことを心配した顔なじみのお客さんには新撰組にいる事は言わずに新しい仕事を始めたことを言うと安心した顔を見せてくれた。初めて一日休みを取り仕事に行くのは少し気恥ずかしいが朝が早いのでそんなことは言ってられない。
私は昨日作った新見さんの好きなみたらし団子と、この前気に入っていた胡麻団子を手に、早く朝ごはんの準備をしようと屯所の門を通る。いつもは静かな屯所は朝が早いというのに少し騒がしかった。何かあったのだろうか?そう疑問に思っても朝餉を遅らせるわけにはいかないので台所に向かうといつもは最低一人はいる当番の隊士の方が一人もおらず困惑した。
それでもいつも通り準備をしていると台所によく芹沢さんと一緒に居る平隊士の方が現れた。平隊士の方が私についてくるよういい、私を屯所の入り口に連れてこられる。いつもは裏口からはいるので気づかなかったが入り口には沢山の人が何かを囲って集まっていた。私を呼びに来た人に連れられ集まりの中央に出るとそこには藁を粗く編んでいる布に隠されているふくらみが中央にあった。
それを見た瞬間胸がすくみ上った。
「え?」
わら布から少し見えている布は新見さんがよく着ている着物の柄だった。私が立ち止まっていると後ろにはいつの間にか芹沢さんがいたらしく正面には土方さんと沖田さんがいた。
「昨日の夜、襲われたらしい。先ほど運ばれてきた。」
土方さんが淡々と喋っていることを理解できずにいる。芹沢さんはその言葉に小さく舌打ちをして、いつも持っている鉄扇をパシパシ手で叩きながら戻っていった。
私は未だに信じられなくて連れてきてくれた隊士の方へ振り返り口をハクと開けると隊士の方は苦しそうに頷いた。
「あ、」
体の力が一気に抜け思わず膝をついてしまう。上から見ていたので見えなかったが目線が下に下がると少し顔が見え、そこには血の気の引いた新見さんの顔がそこにあった。顔は不自然な位置にあり完全に首から離れていることが容易に想像できた。
芹沢さんは不機嫌な顔を浮かべて戻ってくると隊士たちに指示し遺体を運ばせる。芹沢さんに腕を掴まれ、無理やり立たされて連れていかれる。その端で土方さんや沖田さんは澄ました顔で、藤堂くんはひどく苦しんでいる顔をしていた。なぜそんな顔をしているのか今の私には考えられないほど頭は混乱している。なんで人が一人死んでいるのにそんな顔をしていられるの?そんな疑問が私の頭に浮かんで、沈んでいった。
そのあと、芹沢さんが旧知の中だという知り合いに新見さんの後の事を頼んだらしく、もうすぐ迎えが来るらしい。芹沢さんは別れを済ませろと言った。私は必死に頭を回して台所においていた団子を持ってきた。
「約束通り、お団子持ってきましたよ。」
団子を新見さんの横に置き、少しだけ出ている手にそっと触れた。新見さんの手は青白く冬の時のかじかんだ手のように固く動かず、冷たい。何を見ても、新見さんが死んでいることに対して逃げられない。胸が締め付けられ、思わず手に力が入る。新見さんの手は固く私の手のような柔らかい肉が少しもない。固い土のようだ。
ただただ、現実が襲い掛かってくる。芹沢さんはため息をつき私の横に座り、私がもってきた団子を手に取り口に入れた。甘いなと文句を言うので私は小さい声で、なら食べないでください。と言い返した。少しでも声を出すと泣き出してしまいそうで耐えて小さい声しか出ない。
「芹沢さん…。」
部屋のわきから隊士の声がする。
「…その。」
外から隊士の方が気まずそうに声をかけてきた。もう時間が来たらしい。私は足に力を入れ必死に立ち上がり新見さんを屯所の外まで見送った。
新見さんの声が頭にこだまして緩い薄い笑い声が聞こえてくる。新見さんの姿かたちがありありと頭に思い浮かんできて新見さんを頭に焼き付ける。もう時間が結構立っていたようで何かを食べたいと空腹を訴えてくる自分の体が少し憎らしく感じた。
私は無心で仕事をし、夕餉の準備を済ませ帰ろうとしていた。
もうだいぶ暗くなってしまい一人で帰るのを少し躊躇してしまう。どうしよう、芹沢さんのところに戻って送りを頼もうか。少し屯所の裏口で考え込んでいると後ろから 大丈夫か と声をかけられた。
斎藤さんだ。
私の立ち止まる様子に少し心配してくれたらしく声をかけてくれたらしい。
「あ、こんなに暗くなってしまったので一人で帰るのが不安で…。」
いつもは新見さんが送ってくれていたから何も考えていなかったがこんなに暗い中で帰るのはさすがに色々と怖い。私の言葉に斎藤さんは自分が送ろうと提案してくれた。
「それは助かりますけれど…。」
「なら少し待っていろ。」
断ろうと思ったが私の言葉を聞く前に齋藤さんはどこかに行ってしまった。
なんだか優しい斎藤さんにほんの少しだけ疑問に思う。最初に送ってもらった時に優しい人だとは思ったが、藤堂くんや他の隊士から聞く斎藤さんは剣の才にあふれ、いつもは寡黙で何を考えているかわからない冷たい男という評価を受けていた。だが、私は斎藤さんが冷たいと感じたことはない。気まずくて黙っていたら話を振ってくれたり、困っていたら自分から送ると申し出てくれる人のどこが冷たいのか。
斎藤さんは提灯を持って私の方へ向かってきた。
「行こう。」
「はい、…ありがとうございます。」
小さくお礼を言うと斎藤さんは あぁと返事をして歩みを進めた。一度しか送ってもらったことが無いのに斎藤さんは私の家の方向を覚えていたらしく無言で歩みを進めていた。私も無言でついていく。斎藤さんの持つ提灯は見慣れたものとは違い、少し小さい。何も考えずぼうっと見つけている。
「…だいじょうぶか。」
私の様子を心配した斎藤さんは私の声をかけてきた。私はゆっくり斎藤さんのほうへ向き、無理に笑顔を作る。少し口元が引きつってしまった。
「…大丈夫じゃないですよ。」
「…。」
その言葉を聞いた斎藤さんはすっと固まってしまう。何をそんなに驚くのか。自傷気味に笑う私を見て固まってる斎藤さんに向けて言葉を続ける。
「でも、…だって、新見さんは戻ってこないんです。」
自分が何を言おうとしているのか自分でも分からなく、何も考えずに出した言葉は少しおかしい。
一日声を出しておらず、喉を締めていたのに、たまらず嗚咽が漏れて声が震えてしまう。
「手が冷たくて…、肌が私と違くなって、、」
嗚咽交じりの私の声に斎藤さんはおろおろと心配そうに私の顔を覗きこむ。少し近づいてきた斎藤さんの袖をくいっと指先だけで掴み、引いた。
「今日、一緒に団子を食べる約束をしたんですよ。」
私は涙が目尻にたまり頬に流れるのを感じた。斎藤さんは私の顔を見るとぴしっと固まって動かない。暗い夜道だが、提灯の少ない光は私の頬を照らして涙の跡を光らせている。
「ど、どうすれば、泣き止む…。」
斎藤さんの言葉に泣いて沸騰していた頭が少しだけさめる。あふれ出る涙を止める方法なんて私にもわからない。
こちらに向き直る斎藤さんの袖から手を放し空をさまよう斎藤さんの手をがしっと掴んだ。私が手を掴むと斎藤さんは少し固まり困惑の表情を浮かべる。
「手を握ってもらえますか。」
静かに言うと斎藤さんは恥ずかしそうにおずおずと私の手を握りなおす。今日握った手は冷たくて、固くて、握り返してはくれなかった。正反対の手にまた涙がこみあげてくるのが分かった。私はもう片方の手でぐしゃぐしゃの顔を隠して、握っている手の力を強めた。静かに止まっていた歩みを進めて家に向かう。私の袖がぬれるのを止めることはできず、目を抑えながら斎藤さんと並行して歩く。斎藤さんは手に少しの緊張を持ちながらしっかりと私の手を握りつつ、家まで送ってくれた。
隠していた手をどけて涙でぐちゃぐちゃの顔を斎藤さんに向け、礼を言う。
「ありがとうございました。」
なるべく顔を見せたくなくて、軽く礼をして斎藤さんの返事を待つ。
「ああ、問題ない。」
握っていた手をどちらともなく放し、斎藤さんはゆっくりと踵を返し、戻っていった。
上を見上げ落ちてくるものを止めようと食いしばる。視界はゆらゆら揺れており暗い空には歪んでいる月が映り込む。
「これじゃ、綺麗かわかんないや。」
目をごしごし拭い、涙をふき取りもう一度見上げると、私の目頭がまた熱くなり涙がこぼれるのが分かる。
「ああ、綺麗だ。」
私の言葉は闇に消えて、静寂が辺りを包み込んでいた。
翌日、重い瞼に耐え屯所に向かうと料理番の隊士の方がいたので手の足りない飯炊を手伝い、米を配る。良くしてもらっている顔見知りの隊士の方たちには心配された。大丈夫なわけではないし、そんなにすぐ立ち直れないし、立ち直りたくなんてない。
隊が分かれたことによって平隊士の人たちがご飯を幹部の人たちに運ぶために何度も台所に足を運ぶ。最後のほうでやっと自分の分を持ち、隊士部屋に戻っていく。私も朝餉を分けてもらい、芹沢さんの部屋に向かう。芹沢さんの部屋には当たり前のように芹沢さん一人しかおらず、静かにご飯を食べている。いつもと少し違うのは朝から珍しくお酒を飲んでいる。まだ飲み始めたばかりだろうが酒癖の悪い芹沢さんと一緒にご飯を食べるのは嫌なので夕餉は別の場所に行こう。そう決めて口を進め、朝餉を食べ始めた。
静かに酒をあおる芹沢さんを無視しながらご飯を食べ進めていると芹沢さんは私を一瞥し口を開いた。
「その、お前ここを辞めるか?」
芹沢さんの言葉に一瞬頭の理解が及ばず、手を止め芹沢さんの方へ顔を向けると芹沢さんは冗談でもなく本気の顔で私の方をみている。
「どういうことですか。」
「…はぁ、だから、この新選組を辞めるか聞いてるんだ。」
「…私は辞めません。」
私がききたいのはそういうことではない。なぜそんなことを聞いてきたのか理由を聞きたいのだが、芹沢さんは答えず、私の回答を待っている。やめるなんてそんなこと考えたことなかった。私をここに入れてくれた新見さんはもういないがそれは辞める理由にはならない。私の意志を聞いた芹沢さんは酒を手から離し、足を組みなおした。
「儂はやめたほうがいいと思うがな。」
真剣な表情を崩さず言う芹沢さんが少し新鮮だった。芹沢さんが私の心配をしている?あの、芹沢さんが?
「何でですか?」
芹沢さんは私の言葉に少し渋い顔をしてまた酒を飲み始めた。私の質問には答える気が無いようだ。私も無理に聞くつもりはない。早く仕事に戻るためにまた朝餉を食べ始めた。
今日は掃除に入る前に買い物を頼まれたので、藤堂くんを誘って買い物に出かけようと藤堂くんに声をかけると藤堂くんと一緒に居た原田さんと筋肉質な永倉さんという人もついてきてくれるらしい。荷物持ちがたくさんいるのは助かるが少々騒がしい人たちだったことを外に出たときに気づき頭を抱えた。
藤堂くんも二人の騒がしさに少し頭を抱えている。二人でため息をつき、うるさい二人を無視して目当てのお店を訪ねていこう。今日買うものは味噌に魚、そして腹にたまる安く済む食材を買って来いと言われた。そんなに注文があっては選びにくい。
最初に魚を買おうと足を魚を持っている男たちのもとへ進もうとすると、共に来ていた原田さんは美人が居たと騒ぎ、永倉さんは喧嘩が起きて騒がしくなっている場所に乗り込もうと走り去ってしまった。
「なんだか、嵐みたいな人達ね。」
私の言葉に藤堂くんはポリポリ頭を掻きごめんねと謝ってきた。
「大丈夫、最初は藤堂くんだけだったんだし、」
「俺、頑張って荷物持つよ。」
藤堂くんは必死にそういい募るので期待してるね。と言って一緒に魚を売っている男たちが集まる場所に行く。
「藤堂くんは好きな魚ある?」
「魚は高いからなぁ、食えるんなら全部好きだ。」
「そっかぁ。」
魚は高いが、小さく切り分けてみんなで食べれるくらいなら月に数回食べられる余裕があるらしくたまに出てくる魚は隊士のみんなの楽しみだ。男たちのもとへ近づくと、私たちに気づいた一人の魚売りの男が近づいてきた。その男の桶には長細い魚が入っていた。
「これは太刀魚だ。大量にとれたんでいつもよりも少し安くしてるぜ。買ってってくれ。」
「大きいし、新鮮そう。これってどんな食べ方ができるの?」
「刺身もうまいが煮るのが一番うまいな。」
「へぇ」
細かく切って煮るなら簡単に調理もできるし、今日の夕餉に出せば腐る心配もしなくていいだろう。私が悩んでいる様子に男は焦ったように言葉を付け足してきた。
「五匹買ってくれたら一匹おまけにするぜ!な、買ってくれよ。」
魚を五匹なんてそんなに買えない。
「ええ、さすがに五匹は買えないわ。」
「じゃ、じゃあ四匹で一匹つける!売らねえと無駄になっちまうんだ。買ってくれよ。」
四匹ならまぁ買える。私は男の必死の形相に根負けして魚を買ってしまった。嬉しそうにお金を受け取る男にため息を吐きつつ藤堂くんに魚を渡す。藤堂くんは意外と大きい魚に嬉しそうだ。
予想外の出費に痛い思いをしつつ味噌を買う。今度は残ったお金でなにか買わなければいけないのだが何を買おうか迷っていると売り歩きの屈強な体の男が目に入る。その手に持っているのは紫色の物体だ。それは比較的新しい食材のサツマイモだ。サツマイモは珍しいもので売っているのはあまり見たことが無く、好奇心で男に話しかけサツマイモを買う。意外と重いサツマイモに藤堂くんが声を上げる。軽めの魚を受け取り、屯所に戻ろうとするとサツマイモを売っていた男が声をかけてきた。
「お嬢さん、サツマイモを買ってくれたお礼にこれを。」
にこにこと渡してくるものは麻袋で中には細かいものがなにかはいっている。
「これは?」
「雑穀だ、飯の足しにしてくれ。」
屯所のご飯は雑穀を足しかさ増ししているので助かる。ありがとうと礼を言って屯所に戻ると、入り口付近に原田さんと永倉さんが気まずそうに立っていた。
私に謝ってきたので今もなお重い藤堂くんの荷物をもっている藤堂くんに謝ってくださいといえば素直に藤堂くんの持っている荷物を奪い取って軽く謝っていた。反省の色を藤堂くんに見せない2人に少しの格差社会を見た気がした…。
反省している二人に台所まで荷物を運んでもらう。今日の料理当番ももう少しで来ると思うので夕餉を作り始める。新選組という名が容保様から頂いた時くらいから少しの余裕ができ始め夕にも飯を炊けるようになってきた。私は今日もらった雑穀を足して米を炊く。味噌汁は今日の料理番に作ってもらうので、今日買ってきた太刀魚を調理するために準備する。
まずは魚の頭を切り離し、体の真ん中を切りわたを取っていく。五匹分さばくのはいつもより気が滅入ったが美味しい料理のためには仕方ない。全部の下準備を済ませざく切りに魚身を切っていく。四十人分あれば十分なので全部を八等分に切っていく。全部を切り、鍋に魚の身が半分浸るくらい醤油に少しの砂糖、酢に酒を入れ、足りない分は水でかさ増ししていく。身の上に交差した切り込みを入れる。鍋の中に魚を入れ、火をつける。蓋をして少し待つ。
「うまそうだな。」
少し贅沢過ぎたかも。そう反省しながら仕上がるのを待とうと期待に口角が上がるのを耐えていたら急に背後から声がかけられた。
「っっ!」
びっくりして肩を震わせて後ろに振り替えると昨日ぶりの斎藤さんがそこにいた。
「すまない、驚かせた…。」
無表情ながらも申し訳ないと思っている声に驚いていた真っ白になっていた頭が少し落ち着いた。
「あ、いえ、…大丈夫です。」
「そうか。」
なかなか、台所になんて来ない斎藤さんが台所にいるのは違和感を感じてしまう。私は煮るのを待つ間に明日の朝餉の準備をしてしまおうと動くと斎藤さんは私の腕をつかんできた。
「え、なんですか?」
斎藤さんは私の掴んだ腕をすぐにパッと放し、固まる。斎藤さんはいつもの口をいつも以上に下げている。少しの威圧を感じてしまい私は斎藤さんが何をしたいのかわからず斎藤さんの次の行動を見守る。
「…。」
無言で時間が過ぎていき異様に過ぎる時間が長いと感じてしまう。私がしたから斎藤さんの顔を覗き込む。
「今日も送っていく…。」
「え、本当ですか?」
「ああ、」
斎藤さんは今日も私を送っていってくれるらしい。夕餉の時に芹沢さんとよく一緒に居る野口さんにお願いしようとしていたのだが斎藤さんが送ってくれるのならばその必要もない。
「ありがとうございます。助かります!」
昨日のこともあるので少し気恥ずかしい気もするがせっかくの好意は受け取ろう。
「ああ、裏口で待っていてくれ。」
「はい。」
分かりやすくにっこりと笑うと斎藤さんは安心したようで台所を出ていくのを見守る。それとすれ違うように今日の料理番の隊士の方が来た。斎藤さんをみると隊士の方は背筋を伸ばし挨拶をしている。ここでも格差を見つけてしまったかも。
台所にいる私を見つけ私に斎藤さんを怖がっている隊士の方は静かな声で私になぜ斎藤さんがいるのか聞いてきた。
「なぜ、斎藤隊長がここに…?」
「…暗い夜道を私一人で歩くのは危険ですから、送ってもらうんです。」
私の言葉に隊士の方は少し考え込んでいる。そんなに疑問に思うところがあっただろうか。彼は考えながら汁ものを作るために大鍋に水を入れ火をつける。今日は芋があるのでざく切りにして沸騰する前に入れてしまう。
「俺はあくまでここ(京)で組に入ったので中立派で関係ないですけど江戸からの人たちは派閥の対立に敏感な方が多いいです。新見さんの紹介で入ったおそのさんが斎藤さんに送ってもらうのをいい目で見ない方がいるかもしれません。」
「…。」
たしかに土方さんによく呼ばれている斎藤さんは近藤派と言っても差し支えはない。そんな彼に新見さんの紹介で入った女が送りを頼んでいると知れたら悪い予想を立てる人が居ないとも限らないだろう。
「おそのさんが派閥の争いに興味もなければ関わるつもりもないことは知ってます。俺は料理番でおそのさんの事をよく知ってますから。でも、料理番をしたことが無く、近藤派の過激な人たちが何をするか心配です。」
「そうですね…。そんなに心配してくれるなんてありがとうございます。でも、近藤さんの配慮のおかげで私に乱暴なことをする人はいないので大丈夫です。」
「困ったことが合ったらすぐ言ってください。」
「はい、ありがとうございます。」
彼の優しい言葉に胸が暖かくなる。私は彼ににっこり笑いかけると彼も私に笑みを返してくれた。台所に夕陽が差し込んでまるでこれから戦場で背を預け合うような、なんとも私には不釣り合いな雰囲気が流れ少し口をつぐんでしまう。
彼は下から私を見つめて声を出した。
「…すごくいい匂いがしますけど、何を焼いてるんですか?」
「あ、…焼いているんじゃなくて煮ているんですよ。」
すごくいい雰囲気の中ですごく恥ずかしそうに彼が尋ねてきた。いい雰囲気でも鍋のいい匂いに耐えきれなかったらしい。
先ほどまで流れていた雰囲気とは似合わなすぎる質問に思わず笑ってしまう。
「へぇ、随分と大きい鍋で煮てるんですね。何を作ってるんですか?」
「魚です。少し高かったですけどおまけしていただいたのでいつもよりも大きめですよ!」
「それは、楽しみですね!」
彼はそういうと味噌汁の準備をまた始める。八木邸の方にいただいた葉物の野菜はあるのでそれを大まかに切り沸騰したお湯に入れていく。それだけでは寂しいので細かく切った油揚げを入れていく。
あとは彼に任せて魚のにおいにつられてやってきた隊士の方たちを見るともう皿を構えて夕餉をもらいに来ている。なんとせっかちな。急いている彼らに気づかれないようにため息をつき、確認のために蓋を取るとムワッと蒸気があふれ出て、台所にいいにおいが充満する。それにのぞき見に来ていた隊士たちは小さい声でおぉと歓声を上げる。一番大きな魚を取り、中を箸で割ると銀の体から白い身が出てきて十分に火が通っているのが確認できる。
「これなら平気そうね。」
私の声に反応した隊士たちは素早い動きで私の前に来て皿を構えている。今日の料理番は私と味噌汁を作っている彼しかいないので私はご飯と魚を同時に配らなければならない。
魚という月に一、二度のご馳走によだれが垂れそうなのを我慢して待っている彼らに配って上げようと飯杓子(しゃもじみたいなの)を構える。彼らは汁椀と茶碗しか持っていないのでご飯をよそって渡し、そのまま魚を杓子で煮汁と一緒に米にかけてやる。煮汁は多くないので少ないが美味しそうなにおいとともに注がれる煮汁に隊士たちはよだれを飲み込む喉がごくりとなった。
少し早いかと思ったが味噌汁もちょうどできていたようで流れのまま味噌汁も受け取っていく隊士たち。
腕が疲れで重くなってきたころ、新選組の幹部たちに飯を運んでいた平隊士がやっと終わったと文句を溢す。お疲れ様です。と労り大きめの魚を渡してやる。何人分もの夕餉を運んでいるからだろう。魚が普通よりも大きいことに気づいたのか私に向けてありがとうございますと笑いかけてくれた。飯運びの人が終わったら全員に終わったも同然なので味噌汁を配っていた彼に終わりを告げて、彼の分と自分の分を分けて、台所を出ていく。
台所を出て、芹沢さんの部屋に向かうが中には誰もおらず芹沢さんが外に出かけている事に気づく。しずかな部屋で無言で食べる。ふと西日で照らされている床をふと見るとしみが目に入った。そのシミは薄く赤黒く、血のシミだと分かる。朝はそこに芹沢さんがいたので気づかなかったがそこは昨日新見さんがいた場所だ。私は小さく魚を箸で切り分けご飯と一緒に口に入れる。そのシミから目を離さずにご飯を進めていく。
静かに私の頭の中に考えは浮かび上がってくる。私が休んだ日の前日。新見さんが死ぬ前日。あの日、井上さんに休みを伝えようとたずねると近藤派の沖田さんや藤堂くん、土方さんが集まって真剣な話をしている感じだった。夕餉の時間にご飯も食べずに。新見さんの遺体を前に沖田さんや土方さんは至極冷静な当たり前だというような顔をしていた。
「…。」
思考を巡らせていたが、気づいたら食べ終わっておりご飯茶碗はもう空だった。私は今もしかして新見さんを藤堂くんや近藤派の人たちが殺したって考えた??土方さん達は襲われたって言ってた。でも誰に…?しかも、新選組の新見さんを知っている人なら彼が死んだと伝えるのはきっと土方さんよりも芹沢さんに先に伝えるはずだ。
何を考えても土方さん達を疑うような思考になってしまう私の頭を冷やすために畳にあるシミに手を当てる。
たまたま。きっと、そうよ。
私は必死にそのことを考えないように目をそらした。目をそらさずに真実を見つけたとしても私には何一つできることなどない。私の無力さに自傷の笑みを浮かべながら芹沢さんの部屋を後にした。
裏口に向かうと、そこにはもう提灯を持って待っている斎藤さんが居て少し小走りに近寄る。
「すみません、お待たせしましたか?」
「いや、大丈夫だ。」
斎藤さんはそれだけ言うと私の家の方向へ足を進めて行ってしまった。私も置いていかれまいと斎藤さんの後につく。
「そういえば、今日の魚はうまかった。あれは魚を煮ていたんだな。」
「美味しかったならよかったです。」
少しだけ暗い空を見上げれば月が空に浮かんでいる。上を見上げれば視界の下の方に斎藤さんが居て、私が黙っているので振り返り私の様子をうかがう。振り返った瞬間、目がパチッと合い斎藤さんは慌ててそらす。
私も少し恥ずかしくなって下を向く。恥ずかしさを紛らわすために最近赤くなっていた紅葉を見たと言うともう秋も近いなと返してくる。私がそうですねと返すがここで会話は終わってしまった。
「…。」
昨日の出来事があるため私は気まずくて話しかけられずにいると斎藤さんは私の方向へ振り返りじっと私の顔を見つめてくる。なんだかこの光景は今日の夕餉準備の時に似ているなと思い斎藤さんの言葉を待つが斎藤さんは提灯を持っていない方の手を少しだけ上げまた下げた。斎藤さんの顔はあまりよく見えないが、まっすぐに通った鼻筋は少しだけ赤く提灯に照らされている。
昨日手を握っていたのを気にしているのだろうか?昨日のことなど私からしたら恥ずかしすぎるので忘れてもらいたいが、斎藤さんはきっとまだ私の事を心配してくれているのだろう。斎藤さんの方へ手を伸ばすと斎藤さんも少し手を上げてくれる。上がった手に私は手を添えて下から斎藤さんの手を握った。昨日みたいに私から強引につかむのではなく、斎藤さんの手をしたから持ち上げるように優しく握る。
私が斎藤さんの手を優しく握ると斎藤さんは私と握っている手を凝視している。
「また、握ってもらってもいいですか?暗くてはぐれたら怖いですし。」
提灯の明かりがあって、まだうす暗い程度なのにはぐれることなんてない。そんな事実に斎藤さんも気づいているのにそうだなと肯定を返してくれて、手を握り返してくれた。
背中にはい回る薄暗い空気は次第に私の体を包み込んだ。斎藤さんのやさしさで私の心はあったかくなり、次第に冷えていく。
斎藤さんの手を握ったまま私は上を見上げる。空に浮かぶ月は昨日と変わらずまんまると藍色の空に輝くようにきれいだった。
月の輝くその時 @asufalf
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