組内の対立
ある夜、やっと女中の仕事にも慣れてきたころ。
自宅で休んでいると五助兄さんの嫁のお雪さんが私の近くに来た。その手には店で出されている団子と茶を持っている。
「どうしたんですか?」
「今日はおそのちゃんに知らせておきたいことがあってね。」
持っているお盆を置き義姉のお雪さんはふふと優雅に笑った。何のお知らせだろうと思いながらお雪さんがお茶の急須を持つので私はお雪さんの近くに寄って話を聞く体制に入る。
二人でお茶を一口飲み一息つく。
お雪さんは息を吐くと湯呑を置き、話す態勢に入ったので私も聞く体制に入る。
「あのね、もしかしたらね私妊娠したかもしれないの。」
お腹をさすりながら嬉しそうに言うお雪さんはこれまでの人生の一番の幸せごとだという雰囲気である。私はお雪さんの顔に見惚れてお雪さんの言葉が理解するのに時間がかかったがお雪さんの言葉にえ?と口がぱかッと空いてしまう。私の呆けている姿にお雪さんはくふくふと抑えきれていない笑いを上げて私の様子を笑っている。
「本当ですかっ。」
私が乗り出して本当かどうか問うとお雪さんはまだ笑っていて嘘なんか言いませんよ。と言うのでようやく私はお雪さんの言うことが信じれた。
「それでね…。」
お雪さんは笑っていた顔を少しの困った顔に変えた。
「最近、店で働いてると甘味のにおいが耐えられなくて度々気持ち悪くなっちゃってね…。いつもはお義母さんが助けてくれるんだけど、明後日お義母さん出かける予定でお店に私しかいないの…。」
お雪さんは甘味のにおいで気持ち悪くなるらしく満足に働けないらしい。そういえばお母さんも最近お雪さんの体調が悪くなることが多いって言ってた気がする。お雪さんの体は大事なのでお母さんも無理はさせられないってぼやいてたけどやっと夏が過ぎてきた辺りが甘味処の稼ぎどころなので人が減るのは痛手なのだろう。
「わかりました、一日だけでしたら休めると思うのでその日はお店の手伝いに入りますね。」
私がそういうとお雪さんは少しの涙声でありがとうねおそのちゃんと礼を述べてくれた。どうやら最近、足手まといになっているんじゃないかと不安になっていたらしく、怖かったらしい。
お雪さんの思いがけない暴露に私はそんなことありません。とお雪さんの手を握り励ました。
「でも、おそのちゃんは私のせいで店を追い出されたも同然じゃない…?」
「…それはそうですけど、私は今の仕事が楽しくて、あの壬生浪に入ってよかったって思ってるんですよ。」
「そうなの?」
「はい!新見さんは毎日忙しいはずなのに送ってくださって、芹沢さんは少し厳しいけれど面白い方ですし、藤堂くんは素直でいい方です。壬生浪は恐れられてますけど良い人ばかりなんです。」
「へぇ。」
私は今まで過ごした壬生浪のみんなのいいところを必死に言い募った。お雪さんは私の必死の様子に上がった口角を抑えながらニヨニヨとしている。
「それで、おそのちゃんは誰か気になる人でいるの?そんなに必死になるなんて、ふふ」
「え?」
色恋なんて考えたことが無かった。でも、私の歳でまだ嫁に行っていないのは行き遅れも行き遅れでもう私の事をもらってくれる人なんていない。それに私は今までの人生で誰かに胸を奪われるような思いをしたことが無い。私は掴んでいるお雪さんの手をさらにぎゅっと握り真剣な顔で問いかけた。
「お雪さんは五助兄さんと結婚を決めたときどんな思いでした?私はよくわかりません…。」
「そうねぇ、胸が跳ねたり、この人の事もっと知りたいなって思ったことはない?」
「…。」
「最初はそんなものよ。私は五助さんの事を知ってずっと一緒に居たいと思ったわ。」
お雪さんの照れた顔に、ああ五助兄さんはこの可愛い顔に惚れたんだろうなと思ってしまった。お雪さんは美人で強い京美人のという言葉の似合い人だ。私とは全然違う。
少しだけ冷めた茶でのどを潤して生ぬるい風が入ってくる窓を見つめた。お雪さんも私に続いて外を見る。
「今日は少しだけ欠けてるね。」
月は満月ではなく少しだけ欠けている。満月まで後二、三日だろう。
「みたらし団子が食べたくなりますね。」
「ふふ、そうね。お月見ももうすぐ。」
「ですね。」
私は少し雲で濁っている月を見上げてお雪さんの持ってきてくれた団子を口に入れた。やっぱり私のお父さんの作った団子は美味しい。
月を薄く覆い隠している雲は途切れることはなく、その夜ずっと月は濁り光っていた。
次の日
暑く蒸している夏が過ぎて、セミの鳴き声が少なく思えてきたころ、私は見慣れた壬生村の屯所に来ていた。
斎藤さんに初めて送ってもらった日を最後に新見さんはあれから毎日送ってくれている。今のところ私以外に女中がいないので休みはないがそれは実家の店でも変わらないのでそんなに苦労はしていない。最初は嫌な顔をしていた近藤派と言われている方々も徐々に私の仕事を手伝ってくれたり粗野な言動は減った。副長の土方さんは最初とあまり変わらず少しきつい言葉をかけられることもあるが、仕事にはそんなに支障はないので気にしていない。
今日は朝から土方さん達の姿を見ないが仲良くしている隊士の方の話では松平容保様からの呼び出しがあるらしく、昨日の夜から会津藩に出かけているらしい。私が入った最初のほうにこの浪士組の初めての出動 (八月十八日の政変) があったらしい。その時に活躍があったので松平様の覚えもよく待遇が良くなるのではと期待する隊士の方たちも少なくない。
その出動についてはそんなに詳しくはないが約十年前にあった大きな黒船に感化された危ない思想を持った藩の方たちに対抗して国を守ろうとしているのが会津藩の松平容保様らしい。らしいというのは私の実家によく来てくれている方は今回の政変について不満があるらしく、新見さんから聞いた話とは違う理由で国を守ろうと尽力している、らしい。双方の意見を聞いた私からしたら自分の国をいい国にしたい気持ちはいいことだ。だが、同じ気持ちで違う考えのお互いを殺しあうのは悲しいことだと甘いことを思ってしまうのは私が武力も持たないただの娘だからだろうか。
先の出動で京の市中見回りを命じられた浪士組は新たに『新選組』という名前を容保様を貰ったのだ。それを機に隊を編成し新見さんは副長に降格した。副長助勤という幹部の方々は一人一つの隊を持っておりそれぞれが当番制で市中の安全を守っているらしい。
私が頑張っている平隊士たちの汗が染みついた臭い布団を水でざぶざぶ洗いながら干していく。日が照っているうちに干してしまわねば今日隊士たちが寝る布団が無いのだから少しずつだが洗って干していく。私が気難しい顔で布団を干した物干しざおを見つめていると後ろから声がかけられた。
「おその!」
この声は藤堂君だ。最近になって分かったことだが藤堂君とは年が近く、慣れるととても気さくでいい人なのだ。
「藤堂君、今日はお休みなの?」
「いや、今は少し稽古休んでるんだ。」
「そうなんだ、お疲れ様。」
「おう。」
藤堂君は私が布団を干し終わり休んでいるのを見ると懐から包みを持ち出して私の前に出してきた。匂いからして甘味ですごくおいしそうなにおいがする。
「これ、裏の壬生寺の方からもらったんだ。暇なら一緒に食べない?」
私の顔が一気に喜びに染まっていくのが分かり口が緩んでしまう。
「うん!もちろん!お茶持ってくるね!」
ぱたぱたと台所に向かっていき慣れた手でお茶を二人分用意する。お茶を用意することに関しては私が甘味処の娘というのと、土方さんや芹沢さんは私にお茶を持ってこさせるのが好きなようでいつも勝手にお茶を頼んでくることで慣れてしまったのだ。
急いでお茶を持っていくと藤堂君が包みを開きその中には美味しそうな饅頭が入っていた。おいしそうな饅頭は陽の光で輝いて見えてしまうのは多分私の幻覚。
私がむしゃむしゃ饅頭を食べているとお茶をひと飲みした藤堂君が少し眉根を下げ口を開く。
「あのさ、おそのって芹沢さん達のことどう思ってる?」
「芹沢さん?」
こくっと真剣に頷く彼はいつもの気軽な雰囲気を感じないことに少しの不安を感じつつ彼の質問に答えるため口に有る饅頭を流し飲み込んだ。
「芹沢さんは意地悪な人だとは思うけど別に嫌いじゃないよ?なんで?」
「じゃあ、新見さんは?」
私の質問に答えてほしいが藤堂君は私の問いを許さないようで変わらず真剣なまなざしで私を見つめてくる。
「…新見さんにはここを紹介してもらったし、よくしてもらってるの。感謝してるし、好意を持ってるわ。」
「こ、ここ、好意って…。」
意外とうぶな彼は私の“好意”という言葉に反応して口をハクハクとしている。私は彼のその反応にため息をつき訂正する。
「新見さんは良い方だし好きだけど、藤堂君が想像してるような好きではないよ。」
私が静かに否定すると藤堂君はそっかと私の言葉を噛みしめるように思考を巡らせているようだった。藤堂君はそれだけでは足りないようでまだ質問は続くらしい。
「…土方さんと芹沢さん達が対立してるのは知ってるよね?」
それについてはもう一月ほどこの屯所に勤めていると分かる。土方さんの私に対しての警戒がいつまでも続くのは新見さんが紹介したからなのも知っている。
私は肯定を示すために藤堂君の目を見て静かに頷くと藤堂君はごくっと喉を鳴らし意を決したように言葉を出す。
「…おそのはどっちについてるの?」
最初私が、近藤派(中心は土方)と呼ばれる方たちにきつい態度を取られているのは新見さんの紹介で新選組に入り、新見さんは水戸派(芹沢派)だ。新見さんは芹沢さんの腹心で近藤派の人たちからしたら目の上のたんこぶなのだ。こぶが減ることは喜べど増えるのは歓迎できないのが近藤派の心中だと。一月過ごせば嫌でもわかる。肝心の近藤さんはどうやら違うらしいが…。
「私は、ここの誰にも勝てないただの女中だよ。ただ、食事の準備や掃除をして仕事をこなすだけ。派閥争いに部外者を巻き込まないで。」
すこしきつい言い方をしてしまったが、私の本音だ。私はこの新選組に属している隊士ではなくただの女中だ。
一月過ごせば嫌でもわかる。新見さんの水戸派はこの新選組で肩身の狭い思いをしていて、近藤派は急激に(組の中で)勢力を伸ばしている。それは聡い新見さんは分かってるはずだ。
「そっか、そうだよな。ごめんな。」
藤堂君は私の言葉に申し訳なさそうに頷くと残りの饅頭を差し出してきた。全部くれるらしい。藤堂君に満面の笑みでお礼を言うと少し困った顔で私の頭をなでると稽古に戻っていった。私も急いで饅頭を食べ布団を隊士部屋に戻すために布団を担いだ。
でも、巻き込まないでは身勝手だったかな。
私はこの一月新選組での身の振り方をどうするべきかずっと決められずにいた。
いつも通り夕餉の味噌汁を配っていると最後のほうに近藤さんが来た。たまに来る近藤さんは人好きのする笑みでお椀をもって私に近づいてきた。
「こんにちわ、近藤さん。」
「おそのくん、ご苦労様。よろしく頼むよ。」
はい、と返事してお椀を受け取り残り少なくなった味噌汁を注いでいく。私はふと思い出し近藤さんに味噌汁を注ぎながら話しかけた。
「あの、そういえば明日お休みをいただきたいんですけれど…。」
「おぉ、そうか。」
近藤さんはいつもと変わらない豪快な笑い方で休むのを了承してくれる。一応この組の長である近藤さんに伝えたので大丈夫だろうが近藤さんを見送って、明日家事担当である井上さんを探す。普段近藤派の部屋が集まる場所に来るのは初めてでどこに行けばいいか迷う。うろうろ所在なくしている私の様子を見かけた知り合いの隊士の方に井上さんの居場所を教えてもらいそこへ向かう。部屋の前で井上さんを呼ぶ。部屋に入る許可をもらい、襖を開けるとそこには朝にはいなかった土方さんと沖田さん、所謂近藤派の主力たちがそろっていた。そこにはもちろん藤堂くんや先ほどあったばかりの近藤さんもいて私の入室に少し苦い顔をしている。早く用を済ませという顔をしている土方さんに少し頭を下げ井上さんに体を向ける。
「明日、私は休むことになったので、それを伝えに来ました。」
「そうなんだね、わかった。ありがとう。」
井上さんは明日は料理番を増やすよ。というと土方さんが用が済んだなら出ろと強くいってきた。私はそんなに強く言う必要があるのかと少しムッとして、どうもすみませんでした。とぶっきらぼうにいい部屋の外に出る。一瞬藤堂くんが私の事をとても心配そうな顔で見ている事に気づいた。
「お話のお邪魔をしてしまったようですみませんでした。」
おほほ、と笑って土方さんにいうと土方さんは意地悪く笑い、盗み聞きすんじゃねえぞ。と釘を刺してきた。
「ふふ、私がきいてもどうせ私には何もできないので聞く意味がないですね。」
「は、そうかよ。」
ぺっぺっと手を払うので私は今度こそ襖を閉じて部屋を後にした。そうだ、私はあの人たち(近藤派)が何を考えようと無力なんだと知っている。私は何もできないのだ。
日が暮れようとしているなか私は無性に新見さんに会いたくなって自分の分の夕餉をもっていつもの部屋へ向かった。
「おその、いくぞ。」
「はい。」
いつも通り芹沢さんの部屋で夕餉を食べ、帰る準備をする。少し暗くなるのが早く感じるのはもう夏も終わっているということだろう。丁度いい気温に気持ちのいい空気。新見さんは私の歩く速さに合わせてくれる。
「過ごしやすくなってきたな。」
「そうですね、この季節がずっと続いてくれたらうれしいです。」
「…それはきびしいな。」
いつもの他愛ない話をしていく。帰り道に話すことは決まってどうでもいい話であることが多い。最初のほうこそ、誰に気をつけろだの、近藤派にはどうの、と言っていたが、私はただの女中として入ったのだから大丈夫ですよ。と話すと少し心配そうにしていたが半月ほど過ごせば新見さんの気の憂いは晴れたらしい。
「そういえば、明日休むと言っていたが何かあったのか?」
「あ、お義姉さんが懐妊して、明日だけ店の手伝いをするんです。」
「…それはめでたいな。」
「はい。」
新見さんの嬉しい言葉に私は新見さんのほうへにっこり微笑んだ。
「明日は俺も用事があって送れそうになかったんだ。丁度良かった。」
「そうですか、それはよかったです。」
新見さんの持っている提灯がゆらゆら揺れている様子をぼうっと見つめながら生ぬるい風を体に受ける。私は久しぶりに自分で甘味が作れるかもしれないと思い、思わずほおが緩む。最近は新見さんも忙しいようでお店に来たという話を母から聞いていないのでしばらく団子も食べていないだろう。
「明日は団子を作る予定なんです。明後日新見さんに持っていくので一緒に食べましょう。あ、芹沢さんも一緒に!」
私は慌てて芹沢さんの事を付け足すと新見さんは久しぶりに笑みを見せてくれた。久しぶりの新見さんの気の抜けている笑いに嬉しくなって私も笑い返す。組では見ない団子を食べるときの新見さんの顔に似たようなものを見て私は少しの優越感を味わいながら暗い夜道を新見さんと進み家まで送ってもらう。
「お団子、楽しみにしててください。」
「ああ、また」
「はい!」
新見さんは私の子供のような身振りにまた相好を崩す。先ほどとは違う冷たい風が私の顔を通り抜け、少しだけ身の震える寒さに私は新見さんの背が暗闇に消えるのを見送ると、そそくさと家に入った。
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