傍観者は沈黙する


 連日のように雨を降らしていた線状降水帯は居座ることに飽きたのか、次なる舞台へと流離っていった。

 久方振りに太陽が朝から顔を覗かせて、学校へと向かう足取りは心做しか軽い。

 いや、そうでもないか。

 陰キャにとって学校なぞ楽しい場所ではない。晴れであろうが、雨であろうが、それは些末なものだ。

 寧ろ、その天気に右往左往としているのは目前を歩いてる陽キャグループぐらいだろう。

 久々の晴れをこの世の春とばかりに、朝から騒ぎたてる様子に鈍痛を覚える。

 あの輪の中心に居た彼女らの姿が見えない今は特にそう思える。

 溜息が出る。

 溜息を吐くと幸せが逃げるそうだが、安心して欲しい。最初からそんなものは無い。ぴえん。



 陽キャグループを足早にやり過ごし、いつものように席に着く。

 周囲は特に気にも留めてない。彼、彼女らの視界には僕の姿は映っていない。

 卑下してるのではない。これは瞭然たる事実だ。

 窓側の席を横目で見てみる。学級委員長である早坂さんとギャル二人がきゃいきゃい話していた。

 あれ? 相川さんと夏目さんが居ないな。以前に早川さんと三人で登校するようにしたとの話で陽キャ共が項垂れてたから、覚えてるんだ。

 ん〜、一日のルーティンは相川さんの御尊顔を拝見してから始まるというのに出鼻を挫かれるとは。


 はあ。

 HRが始まるまでには、まだ時間がある。

 トイレに行っておこう。


 思いの他、椅子を引く音が大きかったのか、前で話しをしてたクラスメイトがビクっと身体を震わせた。


「なんだ、忍者か。ビックリさせんなよ」

「もうちょっと、存在感出して来てくれよ。普通にビビるわ」


 幼少の時から変わらない、とても慣れ親しんだ反応。

 存在感が皆無と言われ続け、親でさえも僕の所在を見失う。昔はよく迷子放送で親を呼び出して貰ったものだ。


 廊下に出て、陰キャ飯の場所でもある第二校舎にあるトイレへと向かう途中で、見知った二人組みが何やら話をしていた。

 見知ったというと語弊がある。

 正確には一方的に知っている同じクラスの二人だ。

 何を話しているのかは分からないが、少なくとも逢瀬とかいう甘い物では無さそうな事は二人の表情から窺えた。

 とは言え、氷姫と評されるぐらいには男に対して愛想の欠片も見せない彼女━━━夏目 結衣と、無表情が服を着ているような彼━━━━八坂 裕也の場合は当てはまるのかは些か疑問だが。


「実は告白とか?」


 口から衝いて出た言葉は独り言に終わる……はずだった。


「違うと思うなあ」


 背中から声が返り、反射的に振り返ると相川さんが真後ろに立っていた。

 薄く朱を載せたふっくらした唇に、しーって指を当てながら微笑む。


「おはよー。朝からストーカーとは元気ハツラツだね」


「え、ええ……い、いやストーカーだなんて、そ、その」


「フフッ。冗談だよ」


「あ、はい」


 おもくそ挙動不審者に相川さんがそっと隣に立つ。いい匂いがした。


 しかし、意外だった。

 だってそうだろう? 彼女は誰もが認める美少女で、学園のトップオブトップでスクールカーストだ。そんな彼女が僕のような最底辺の忍者なんて誹謗され、貶されるような奴を認識してるとは思わないだろう。

 あと、きょうび元気ハツラツとは聞かないよな。


「やっぱり、こうなるのねえ」


 その呟きは誰ともなしに。

 隣に居る僕にはその台詞の真意は分からない。ただ、なんとなくだけど一抹の寂しさが滲んでるような気がした。


「あ、終わったみたいだね」


 夏目さんがこちらに向かって来るのが見えた。話し合いは上手くいったのか薄い笑みすら浮かべていた。


「じゃあ、行くね」


 きびすを返そうとした相川さんは思い出したように言った。


「━━━くんも早くね」


 呆然と足早に去る相川さんの背中を見送った。この時の僕の顔は客観的に見ても滑稽だったと思う。


「うわっ?!」


 背中にまたもや声が掛かる。

 先程と違うのは剣呑さが過分に含まれてるってことだろう。


「誰かと思ったら忍者くんか。なに?ストーカーでも始めたの?」


「い、いや。たまたま通りかかって」


「たまたまこんな時間に通るような場所じゃないけどね」


 氷姫の眼差しは下手な釈明を許さないと言うように圧を掛けてくる。

 嫌な汗が背中に滲む。

 蛇に睨まれた蛙━━━━陳腐な表現ではあるが金縛りにあったように口も身体も動かない。


 ふわり、と風が甘い匂いを運んだ。


 その匂いが何であるのかは直ぐに分かった。さっきまで此処に確かに居た美姫のものだ。当然の事ながら常日頃から傍に居る彼女も気づいたのだろう。

 その顔はより一層剣呑さを深くし、眦を決する。


「ねえ、忍者くん。もしかしてだけど他も誰か…居てたのかな?」


「え?! いや、居てなかったと思いますです」


 ここで迷いなく否定できた自分を褒めてあげたい。

 だが、侮られたと思ったのか氷姫の頬が紅潮したのが分かった。

 何時ぞやに罵倒された過去がフラッシュバックし、逃げ出したくなる。

 口を開きかけた氷姫を留めたのは校内に鳴り響いたチャイムだった。

 HRを知らせるチャイムに氷姫は走り去った。すれ違いざまに足を踏んで行くという嫌がらせ付きだ。

 なんで、あんな性格ブスが人気あるんだろう。


「見る目無さ過ぎだよな」


「言うねー」


 感情の感じれない声が隣に立つ。

 近くで立つ彼はやはり背が高く、見上げる格好となった。


「外観というものは、1番酷い偽りだとシェイクスピアも言ってるからな」


 世間は虚飾に騙されるものだ、と八坂くんが続ける。


「後で誘うつもりだったけど、丁度良いから今言うな? 今週末って空いてるか?」


 彼から言われた内容は衝撃だった。

 少なくとも氷姫に踏まれた足の事なんて、どうでもよくなった。

『yasa』のレセプションパーティにクラスメイトを全員招待してくれるらしい。

 僕のような陰キャがそんな所に行って良いのだろうか。そんな卑屈さが顔に出ていたのか、彼は言った。


「俺は友達が居ないからな。━━とは、ボッチ仲間の誼みで来てくれたら嬉しい」


 全く感情の無い声は本気なのか揶揄してるのかが、判断しづらいけど━━━━嬉しかった。

 相川さんに次いで、僕の名前を彼は言ったのだ。ただ、名前を呼んでもらった。それだけだ。

 それだけに、この気持ちは誰にも分かってもらえないだろう。


「そんでHRが始まってるけど、走る?走らない?」


 その問の答えは決まってる。





「夏目に引き続き、八坂も遅刻な」


 教壇で真由美ちゃんが宣告する。

 慈悲はないようだ。

 愕然としながら八坂くんが僕の方を見て来る。夏目さんも苦々しい顔だ。

 何だか笑えてくる。

 ニンニン。







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壊れた彼と彼女達 黒畜 @825892

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