文車妖妃、フミちゃん

「さすがに分が悪いと考えてくれたみたいだねぇ。よかったよかった」

 茶髪の少年は、ほうっと小さなため息をつきながら言う。

「正直、ちょっと怖かったぁ。亜月あづき、図体デカイし、ずぅっと笑顔できらーい」

 さっきの、ずっと笑顔の人、亜月さんって言うんだ。

「……助けてほしいって頼んだ覚えはないけどな」

 黒髪の青年が、ひどく嫌そうな顔で言う。

千夜せんや。キミはねぇ、もう少し人を頼った方がいいと思うよぉ。あと、感謝の言葉、ちゃんと伝えたほうがいいと思うなぁ」

 穏やかな声で、茶髪の少年が言った。すると千夜と呼ばれた青年が不快そうに眉をひそめる。

一平いっぺい、お前はもう少し、人との距離をきちんと測れ」

「ごめんねぇ。千夜、愛想ないでしょー? でもここ、オレも一緒に住んでるからぁ、安心して?」

 千夜さんの言葉を無視して、一平と呼ばれた茶髪の少年が言う。

「どこをどうして、安心しろって言うんだ。そもそもお前、いつから居候になったんだ」

 呆れた声で、千夜さんが言う。

「だってぇ。千夜と二人っきりにしたらぁ、絶対アブナイと思うんだよねぇ」

 一平くんが、にやっと笑う。ああ、子どもが何か面白いいたずらを考えたときの表情だ。

「……危ないって、何が?」

 千夜さんが怪訝そうな顔をする。

「だって、珍しいお客さんだよぉ? 襲うでしょ」

「……はぁ」

 千夜さんは、大きなため息をつく。

「そもそも、なぜ俺が見ず知らずの人間を、ここに泊めてやる前提なんだ」

「え? 泊めてあげないのぉ? そしたら彼女、亜月が連れ去っちゃうよぉ」

 確かに。店の外に出た時点できっと、亜月さんにつかまってしまう未来が見える。

「お店にたどり着いたってことはぁ、この子も立派なお客さんってことだよぉ」

 千夜さんの服の袖をつかみながら、一平くんが彼を見上げて言う。

「客?」

 片眉をつり上げる、千夜さん。彼は整った顔立ちをこちらに向ける。ま、眩しい。亜月さんとはまた違う種類の美青年。

 亜月さんは一般的に言う、イケメンの類で千夜さんは美青年。まるで芸術品を見ているような気分。触ったら壊れてしまうんじゃないかって思わせるようなどこか、儚げで、でもずっと見ていたい、そんな感じ。

 そんな人にじっと見つめられて、私は思わず彼から視線をそらした。

「……客なら、話は少しだけ別だ。少しだけ、な」

「お客さん? 私が……ですか」

 千夜さんを見返すと、彼はぶっきらぼうに言った。

「……何を探している?」

「探すって、特に何も探してないですけれど……」

 私は言葉をにごす。すると、千夜さんは呆れた声で言う。

「客なら、何か欲しいものがあるはずだ。何が欲しい」

「何がと言われても……」

 突然そんなことを聞かれても、うまく答えられない。私が沈黙すると、一平くんがとことこと私の前にやってきて、のんびりと言う。

「急にそんなこと言われても、何が何やら、だよねぇ。このお店はね、その人に必要なものをその人に提供するお店なんだぁ。面白いでしょ?」

「その人に必要なものを、その人に提供する……」

「文具屋さんを想像してもらったらいいかなぁ。文具屋さんに寄る時って、何か必要なものがあるってことでしょ?」

 大概は、そうかもしれない。日常で使う消耗品の筆記用具。たとえばシャープペンシルの芯や、消しゴム。そういったものがなくなったり、なくなりそうな時に、文具コーナーや文具屋に行く。

「それと同じでねぇ。その人が今この時に、必要なものを提供するのが千夜の仕事。でもねぇ、彼はお客さんが求めているものを聞き出すのがへたくそなんだぁ」

 一平くんの言葉に、千夜さんはすごく嫌そうな顔をする。その顔のまま彼は言う。

「欲しいものがないヤツが、ここにたどりつけることは、ありえない。よって、アンタは何かしら、必要としているものがあるはずだ」

「ここにはぁ、大体なんでもそろってるよぉ」

 一平くんがそう言って店の中を案内してくれる。千夜さんは、さっさとロッキングチェアに戻ると、優雅に本を読み始める。それがまた絵になるものだから、余計に腹が立つ。彼は、お客を相手にする気があるのだろうか。

 お店の中は、色んなものであふれていた。昔の雑貨屋さんを想像するといいのだろうか。日用品から文具、娯楽品、食料品。様々なものが雑多に並べられている。

 ただどれも、新品ではないような気がした。私自身は、中古品を眺めるのも好きだからそれほど気にならないけど。他のお客さんが見たら、中古品は嫌だって人もいそうだな。

 店をあと少しで一周する。で、ふと目に入ったものがあった。

「これ……」

 私が指さしたものを見て、一平くんが目を輝かせる。そして、優雅にロッキングチェアに腰かけていた千夜さんを引っ張って戻ってきた。

「千夜、必要なもの、見つけたってさ」

「……自力で見つけられたのか……」

 少し驚いた様子の千夜さん。いや、自力で見つけられないと思っていたのなら、なぜ、のんきに本を読んでいたのかな。

 彼はしかめっ面の私を無視して、品物をそっと手に取る。まるで壊れ物を扱うかのような優しい手つき。さっきまでの不愛想な彼が嘘みたい。

 私が欲しいと思ったもの。それは、たくさん積み重ねられた品物の中で、にぶい光を発していた。メタリックレッドの軸色をした、ボールペン。特に珍しいものには見えないけれど、なぜか心惹かれたんだよね。

「……なるほど。アンタが欲しいのは、『文車妖妃』か」

「『文車妖妃』……?」

 思わず聞き返す。ボールペンにしては、随分と和風な名前。どちらかというと、妖怪の名前みたいにも聞こえる。

 ボールペンの軸を見つめていたら、何やら動くものが目に入った。あれは……、ヤモリかな?

「ただ……、ここにいる『文車妖妃』は、恋愛小説に向いてないやつだぞ」

 千夜さんがヤモリをボールペンから引きはがそうとしながら顔をしかめる。

「恋愛小説に向いていないとは、一体どういうことなんでしょう」

 私の問いかけに、千夜さんが一言。

「そのままの意味だ。ここにいるやつらは、普通じゃない。それは、この『文車妖妃』も同様だということだ」

 だめだ、さっぱり分からない。

「だからぁー、千夜、最初っから説明しなきゃだめなんだってー」

 一平さんが呆れた声で言って、私の方に向き直った。

「このお店の商品すべてに、命が宿っているんだ。……付喪神って知ってる?」

 一平さんの言葉に、私は頷く。大事にされてきた物や、百年以上存在してきた物に魂が宿る。それが、付喪神という存在だったと思う。

「このお店にある商品すべてが、付喪神の宿る品物なんだよねぇ。でもぉ、ちょっと問題があってぇ……」

「普通の付喪神、あやかしとは違った能力を持ったものが品物にとりついてるんだ」

 千夜さんが煩わしそうに言葉をつむぐ。

「たとえば、この『文車妖妃』。本来の『文車妖妃』は、恋文などに宿るもので、これが宿る品物を身に着けていると、恋文の類を書くのがうまくなる。だが」

「ここにいる『文車妖妃』は違う。恋愛に関する文章は一切書けない」

「せやけど、物語を見る目なら、めっちゃ肥えてるでっ」

 ヤモリが千夜さんの手を離れ、私の肩に飛び移る。家の庭にもヤモリが住み着いているので、それほど怖いとは思わない。だけど、自分の体にまとわりつかれるのは、少し嫌かも。

「ふむふむ、なるほどな。……自分、物語が書きたいんやな?」

 ヤモリが私を肩口から私を見上げる。ヤモリが喋る、なんてファンタジーなこと現実で起きるとは思ってなかったけど。でもそもそも目の前に自称人ならざる人が存在しているわけで。もう、そこはある程度は信じるしかない。

 ヤモリの言葉に私は軽く頷いた。ヤモリの言うことは、半分当たりで、半分はずれといったところ。

「私、小さいころから物語を書くのが好きで。中学生の時の将来の夢は、小説家になることでした」

「……よくある話だ」

 千夜さんが鼻をならす。すると、ヤモリさんが思ったより大きい舌で千夜さんの手の甲をベシッと叩いた。

「自分は黙っとき。自分、口開いたら人を不幸にしかせえへんのやから。ホンマ、ええのは顔だけやで」

「……余計なお世話だ」

 むっとする千夜さん。一平くんが朗らかに言う。

「ごめんねぇ、話の邪魔しちゃって。……続けてー」

「あ、はい。……高校、大学に進んでも心のどこかで小説家になる夢はありました。でも、そんな夢、叶うはずないし、現実的じゃないと思って。周りと同じように普通に就職をしたんです」

「まぁそら、確かに現実的じゃあらへんわな。作家で食べていける人なんて、一握りやろし」

 ヤモリさんが言う。

「ですが、普通に働いているといかに自分が必要ない存在なのかを思い知らされまして……」

 何をするにも遅くて、その割に丁寧でもなくて。何度も自分で確認してから提出した書類でも、不備がたくさんあって突き返されたりが日常茶飯事で。

『自分の代わりはいくらでもいる』

『むしろ、自分より仕事のできる人はたくさんいて、私は邪魔だ』

『どんな仕事に就いたところで、私を必要としてくれるところはない』

 そういった気持ちだけが積み重なっていった。

「それで今日、退職届を出した時、一瞬思ったんですよね。三年普通に働いてみたし、ここで少し、自分のやりたいことをやってみてもいいのではないか、と」

「それが小説を書くこと、か」

 千夜さんが腕組みをする。いちいち絵になるから、本当に困る。

「……確かに、文章に関する付喪神なら、『文車妖妃』が適任だろうな。ただ、さっきも言った通り、恋愛小説を書くのなら、この『文車妖妃』は不向きだぞ」

「あ、それは問題ありません。私、恋愛小説は書けないので」

「即答やな」

 ヤモリさんがくるくると体をよじって笑う。

「ちなみに、ウチが自分にしてやれることは一つや。『真面目に物語を紡ぐように監視すること』や」

 ヤモリさんがドヤ顔をしたような気がした。まぁ、人間の顔じゃないから断定はできないけど。

「え。それって誰でもできることじゃ……」

 私は言いかけた。だけどその言葉の続きは、ヤモリさんにかき消される。

「燃えてきたで! 打倒、六条あやめ、や!」

「いやいやいや! 六条先生は恋愛小説家ですからっ!」

 そもそも恋愛小説は書かないって言ってるのに、なぜ恋愛小説家の六条先生の名前が出てくるのか。私は頭を抱える。

 六条あやめ先生は去年、某小説賞で大賞を受賞してデビューした作家さんだ。当時、現役高校生が大賞を受賞したということで、世間でも話題になった。

「絶対、アイツには勝たなあかんねん。絶対に」

 ヤモリさん、なんだか勝手に熱くなっている。そもそも、アイツって誰なんだろ。

「あ、ウチのことはフミちゃんって呼んでくれたらええで」

 フミちゃんは、偉そうに言う。自分でちゃんつけて呼んでくれと注文をつけるとは、このヤモリ、プライドが高いのかもしれない。

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