叩く者

白木錘角

叩く

 俺の同僚に新田という奴がいるのだが、やつはなぜか戸締りにとてもうるさい。いや、戸締りというよりは、鍵をかける行為に異様なまでに執着している。

 玄関や自室、車のロックなど、どれほど短時間の滞在でもしっかりと鍵をかける。新田はどちらかと言えばいい加減な性格だったので、余計にそれがおかしく見えたのかもしれない。

 とにかく、新田の奇妙な行動に興味を持った俺は、奴の家に飲みに行った折に、酒で酔わせてその理由を聞いてみた。以下は、その時新田が話した内容だ。


 


 あ? なんで鍵をかける事にそんなに拘るのか? ……うーん、話してやってもいいんだけど、あんま他の奴に言うんじゃねぇぞ。変人だって思われたくねぇし。

 俺が大学生の時にさ。大学のトイレで用足してたの。どっちって……大の方だよ。で、個室の中で気張っていたらノックの音がするわけ。軽い感じでコンコンって。

 個室の扉って、中に誰もいないときは普通開いているじゃん。だからノックなんてしなくても中に誰かいるのは分かるはずなんだよな。まぁ一応俺は「入ってます」って答えた。

 それから数分経って、俺は個室から出たんだけど誰もいねぇの。ノックした奴がさっさと用を足して出ていったのかと思ったけど、ノックの後に水の流れる音なんて聞こえなかったし、第一他の個室が空いているのに俺のとこをノックする理由ってなんだ?

 そん時は、誰かのいたずらだろうとあまり気にしなかった。けど、その日のうちにもう1回来たんだよ、ノックが。

 自分のアパートに帰ってきて、課題とかを済ませてさぁ寝ようと思った時に、玄関の方から小さくコンコンってノックの音がしたんだ。最初は聞き間違いかと思ったが、たしかにノックの音だった。

 インターフォンがあるのにわざわざノック、それも深夜にだぜ? 幽霊とは考えなかったけど、酔っ払いか頭のおかしい人間か、いずれにせよヤバい奴なのは明らかだったから電気を消して様子をうかがっていたんだ。

 初めは規則正しいノックが数秒間隔で繰り返されてた。しばらくしたらそれにドアノブをガチャガチャ回す音が加わって、最後の方はもうドアが壊れるんじゃないかっていきおいでドアノブを回して、ガンガン玄関を叩いてきやがる。

 当時の俺は、相当パニックになっていたと思う。何をとち狂ったか、ドアに向かって大声で「入ってます!」って叫んだんだよ。多分ノックの音で昼間の出来事を思い出したんだろうな。

 そしたら音が2つともスッと消えてさ。本当に、最初は何が起こったか分からなくて、まさか家に入られたのかとビクビクしてたけど、その後何かが起こる事もなかった。

 とりあえずその日はビール飲みまくって寝て、いったん冷静になってからそれについてよくよく考えてみた。

 まぁ結論としては、大学のトイレでノックしてきた奴と家のドアをノックした奴は同じ存在で、理由は分からないけど「入っています」って言えば消えてくれるようだって事で落ち着いてさ。


 それからも3日に1回くらいの頻度でそれはやってきた。場所や時間は関係なくて、唐突に扉をノックしてくる。それで、何も言わないとドアノブを回したり扉を爪で引っかいたりして中に入ろうとしてくるんだ。ただし、「入っています」って言えばその瞬間それは消える。

 今になって思えば、言葉は大して重要じゃなくて拒絶する意思を示す事が大事だったのかな……。

 もうそこまで分かった時には、それが頭のおかしい奴なんかじゃなくて幽霊だって事に気づいてはいた。1回俺が車に乗っている時にそれが来たんだけどさ。時速100キロで走る車と並走しながらノックできる人間なんているわけないからな。



 それが現れるタイミングは俺が部屋、特に個室にいる時に限られていた。もっと詳しく言うなら、「出入口があって、かつそれが閉じられたさほど広くない空間」ってとこだろうな。つまり家にいる時でも玄関を開けておけばそれは現れない。逆に扉を閉じないといけない状況、例えば店のトイレだったり車の中だったりとかならどこだろうとお構いなしにノックしてくるって事だ。


 けど、いくら頻度が高いって言っても「入ってます」って言えばいなくなってくれるわけだし、正直そこまで怯えていたわけじゃないんだよ。むしろ合コンで話すネタが1個増えた、なんて喜んでいた。

 で、本当に合コンでその話をしたら、1人すごい食いついてきた奴がいるの。……残念、可愛い女の子どころかむさい野郎だったよ。

 名前は……仮にAとでもしとくよ。本名を出すのはちょっとな……。

 まぁそのAが俺の話に興味津々って感じで、自分は大のオカルトマニアでぜひその現象を体験したい。なのでしばらく家に泊めさせてはくれないかって言ってきた。

 断る理由もなかったから俺はすぐに了承した。合コンにいって連れて帰るのが男ってのも情けない話だけどな。

 それで、Aが家に泊まるようになって2日目の夜の事だった。最初はどこか緊張していた様子のAもすっかりくつろいでいて、Aが買ってきてくれたつまみとビールで酒盛りしてたんだよ。

 そしたら、コンコンってかすかにノックの音が聞こえてきた。反射的にAの顔を見ると、あいつにもその音は聞こえていたみたいで、急に真剣な顔になって玄関の方をじっと見ている。

 この時の俺は、玄関の方を向きながら相手がドアノブをいじり始めるまで「入ってます」は言わないでおこうと考えていた。せっかくAが見に来たのだから、なんて呑気な事を考えてたら、ノックの音が急に止んだ。


 ……あれ? 今まで相手の方からノックを止めた事なんてなかったはずだ。Aが「入ってます」と言ったのか? そう思ってAの方に再び顔を向ける。

 Aは妙に強張った表情で玄関の方を見ていた。


「お、俺……鍵、か、かけるの忘れてた」


 途切れ途切れの言葉の意味を理解するのと同時に、玄関の方から音がした。ノックの音じゃない。ドアの開く、軋んだ音だった。



 そこで俺は気絶しちまって、目が覚めたのは次の昼だったか。

 目を覚ました俺は、玄関でこっちに背を向けて突っ立っているAを見つけて声をかけた。

 そうしたらあいつ、なんて反応したと思う。

 気持ち悪いぐらい満面の笑みで振り向いて、こう言ったんだ。


「はいっていまァす」


 ……もちろんすぐに病院送りだよ。多分、まだあそこにいるんだと思う。

 






「……それからノックの音は?」


 俺の問いに、新田は苦笑する。


「しなくなったさ。ただ、もし何かあって、あいつがAの体から出てきたら……また俺を狙うんだろうな。だから鍵をかける事だけは忘れないようにしているんだ」

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

叩く者 白木錘角 @subtlemea2

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る