3時のスコーン

 好きな食べ物は何ですか。


 定番の質問をうけたとき、世利は一呼吸おいた後「お汁粉です」と答える。

 正確に答えるならもち米と小豆だが、これまでの人生、素直な回答は大抵の場合微妙な空気で包まれた。

 本心で話しているのにウケ狙いと思われるのも癪に障る。


 この食品を使用した料理は他にもあるが、その中でもお汁粉は格別に美味しい。冷たい空気が突き刺す冬の日に飲む一杯の温かさが身心に染みわたり、ほっと一息落ち着いた時間が訪れるからだ。

 好物は季節問わず一年中食べたい派閥にとって、お汁粉は冬だけの特別な食べ物ではないけれど。


 八代探偵事務所の戸棚には、茶請けの菓子と厳選した茶葉が常備されている。洋菓子より和菓子、紅茶より日本茶と、世利の嗜好が反映された一角に横文字の商品名は殆どない。時折遊びに来る子どもが喜ぶから、チョコレートやクッキーが丸い缶に詰まっているくらいだ。


 苦手な食べ物は生クリーム。どこまでも洋の道から遠ざかる世利が有名菓子店の袋を携えて帰宅すれば、二人揃って「似合わない」と呟くのも無理はなかった。




「めずらしいですね、世利がお土産にスコーンだなんて」


 箱の中身をのぞき込み、雨が降るかもしれないと彩芽は天気予報を確認する。今日は一日晴模様、ベランダに洗濯物を干してきた。にわか雨は遠慮願いたい。


 華奢なレースで施された紙箱は飴色のロゴシールが封をしている。

 『Petitepomme』という筆記体の文字列が彩芽の気を引いた。どこかで見覚えはあるが、一体いつの記憶だったか。


 あと一声のところで引っかかるのがもどかしい。うんうんと腕を組み唸り始めた彩芽の隣で、世利は首を横に振って訂正した。


「先日の依頼者から頂いたんだ。解決のお礼にとね」


 娘が行方不明だと扉を叩いたのは、とある玩具メーカーの社長夫妻。

 一刻も早く見つけ出したいが、世間体が警察の通報を躊躇わせる。探偵を雇う人間に訳ありはつきものだ。


 整備された広い芝生の庭、冗談みたいな噴水、未使用の高級車が並ぶ家の主が絶賛した菓子店だ。

 大層な歴史でもある老舗店なのか、ぼんやり考えながら荷物を片付けていると、ぽんと手を打つ音。次いで興奮気味の声が室内を明るくした。


「このお店フランスに本店がありますよ。スコーンは看板メニューで、お目当ての若者が朝から行列でしたね」


 良いものを頂きましたねと紙箱を抱えて喜ぶ彩芽の姿に、然程興味のなかった世利の心もじわじわ寄りはじめる。


「日本でもスコーンが人気なのか」


 彩芽はこてんと首を傾げた。


「それは知りませんけど」

「知らんのかい」


 事務所の壁時計から三回ハトが飛び出る。コントを終えて休憩に入るには丁度良い。


「折角だから今日の茶請けにしようか。ほら、用意をするから机の上を片付けておきなさい」


 資料と本が積み重なった机の上に視線を投げる。世利が留守の間に調査は随分白熱したようで、殴り書きされたメモ用紙が床にも散らばっていた。先に拾い集めていたジルの手には紙飛行機も紛れているが。


 ふたりが食事スペースの確保をする後ろで、世利は件の戸棚から本日の茶葉を探す。昨日整理したとき、使いかけのものが出てきた。京都に出向いた際買ってきたものだ。

 すっかり飲み終わったと思いきや一袋だけ残っており、次はこれにしようと手前に置いた……はずだったが。


「今日お茶飲んだ人」


 几帳面な性格は使いかけを放置することが出来ない。ひとつずつ取り出しては確認する地道な作業だが、所詮は棚。何度も繰り返すという程量はないが、京の茶もない。


「私じゃないです」

「オレでもな……ああ、ばあさんが来た」

「田中のおばあちゃんですね。そういえば中途半端だったやつ出しちゃいましたよ」

「それだ」


 どれですか、と尋ねる彩芽を無視して「消えた茶葉事件」が解決したことにひとり満足する。

 世利は仕事でも過程を説明せず結果だけ伝えることがよくある。

 依頼主や関係者など外部の人間と話すときは得意の話術で相手を納得させるが、身内には良くも悪くも適当だった。


 京の茶代わりに玄米茶のパックを取り出して給湯室に向かう。食器棚には客人用の湯呑みがあり、自分たちが使うものは水切りかごに伏せている。鶯色の急須に茶葉とポットの湯を注げば、奥行きのある香ばしい香りが立ち込めた。


 机の端に寄せられた山は一羽の鶴が頂点に君臨していた。紙飛行機といい折り紙大会でも開催したのか。世利のもの言いたげな表情に、彩芽は鶴の羽を動かしてみせる。


「田中のおばあちゃんが教えてくれたんですよ、パタパタ鶴」


 そばにある紙飛行機は宙で一回転したあと、ブーメランのように彩芽のもとへもどる。


「これ凄くないですか」

「田中の婆さんは何の用事で来たんだ」


 田中のお婆さんは事務所の裏通りに住む独り暮らしの老婆だ。ガーデニングが趣味で季節ごとに色を変える庭は近所でも評判だった。

 朗らかな性格でおしゃべり好き、いくら歳を重ねてもお洒落は捨てないと語る姿は、相応の品が伴っている。


 度々世間話をする仲で事務所に来ることも珍しくないが、忘れている約束があったかと一瞬思考を走らせる。


「おばあちゃん、お友達と映画の予定だったけど、孫が風邪ひいたから看病に行くってキャンセルされちゃったそうです」


 暇になったからと帰り道に訪れ、そのまま小一時間お茶をした後見送ったそうだ。今は折り紙ブームらしく、今度は本を持ってくると張り切っていたらしい。


 彩芽の報告に相槌を打ちながら茶をすする世利へ、スコーンをひとつ乗せた皿が差し出された。

 彩芽の前にも皿が滑り、最後に自分用を取り分けたジルは、一度手をとめて四個目の行先を決めかねる。


「どっちか食えよ」


 オレはいらないと、いったん彩芽のスコーンに重ねるが「私もひとつで充分です」と流れるように世利のもとへ移った。

 ただでさえ腹にたまりやすいのだ。成人男性の拳よりひとまわりは大きいそれを二つは厳しい。


「夕食後のデザートにでもどうだ」


 頂き物を押し付けあうのもどうかと思うが、ここで食べないなら誰かが持って帰るだけだ。


「うーん……じゃあ明日の朝ごはんにしますね」


 四個目の行き場が決まり三人は手を合わせた。


 バニラ風味のスコーンは控えめの甘さが程良く、甘味が苦手な人でも食べやすいのではないかと、人気があるのも頷けた。

 しかし、味やブランドを抜きにしても崩れやすく歯の裏に残るスコーンは食べ方にコツがいるなと知識が増える。

 三十路手前のいい歳をした大人がぼろぼろこぼす姿は情けない。


「ジャムがあればいいんですけどね」


 すでに半分胃に収めた彩芽は湯呑みを傾けながら呟いた。


「そんな洒落たものはないよ」

「ジャムは別に洒落てないです」


 再びコントを始める二人の横で、思い出したように箱から小瓶を取り出したジルが真ん中へ静かに置いた。赤いギンガムチェックの蓋に写実的なイチゴのイラストが添えられている。


「ほら」

「あらまあ可愛らしい」


 差し出されたジャムを彩芽は早速スコーンに塗ろうと蓋に力をこめる。小柄な体型のわりに握力が人一倍ある女だったが、瓶はうんともすんともいわない。 はずれを引いたかなと大人しく兄へお願いする。


「しょうがねぇな」


 渋々と受け取り軽く捻るが、蓋は想像より頑なだ。日頃トレーニングを欠かさない筋力はプライドだった。

 彩芽からの眼差しと視線を合わせないように背を向けて、もう一度挑戦するも結果は変わらない。

 見かねた世利はその小瓶をひょいと取り上げると、試しに捻ってみるが駄目もとの行為だ。この中で一番力が弱いのは世利だった。


「……輪ゴムだな」


 備品入れに探しに行く後ろ姿を眺めながら、顔を寄せて小声で囁く。


「なんでゴム」

「そういえば聞いたことがあります」


 田中のお婆さんが以前教えてくれた言葉が、不意に浮かんできた。


「瓶の蓋があかないときは輪ゴムをつけて回すといいって」


 おばあちゃんの知恵袋ですね、と彩芽は人差し指を立てて微笑んだ。

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Midnight blue 涼瀬いつき @szssskk

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