永劫回帰の桃

有馬 礼

永劫回帰の桃

 おばあさんがいつものように川で洗濯をしていると、村の方からわぁっと悲鳴が上がった。


「どうしたのかしら…」


 そばで洗濯をしていた若女房のおきよが立ち上がる。その背中に背負われている赤ん坊の吾作が、不機嫌な声を出した。


「おきよ、ここを動くんじゃないよ。できれば茂みの中にでも隠れておいで」


 おばあさんは手にしていたおじいさんのふんどしをタライの中に投げ捨てた。


「私は様子を見に行ってくる。私が戻るまで、村に帰るんじゃないよ。もし…、もし私が昼を過ぎても戻らなかったら。その時は、隣村に行って助けを求めるんだ。わかったね?」


「は、はい」


 ただならぬ気配を察して、おきよは硬い表情で頷いた。


(「桃太郎」は、鬼どもを討ち損なったか…)


 おばあさんは鬼ヶ島に送りこんだ汎用人型兵器「桃太郎」の作戦が失敗に終わったことを知る。おばあさんの胸の内に暗雲が垂れ込めはじめた。

 早く、早く。焦るばかりで体がついてこない。老いた体が恨めしい。


(おじいさん、戻ってくるんじゃないよ…)


 山に柴刈りに行ったおじいさんのことが気がかりだった。この異変に気づいていなければいいのだが。否、よしんば気づいていたとしても、戻って来ようなどと考えなければいいのだが。


 果たしておばあさんの予想どおり、村は鬼の襲撃を受けていた。背丈は大柄な男ほどだが、それが持つパワーは人とは比べ物にならない。金棒で手当たり次第に家屋を打ち壊し、畑を踏み荒らしている鬼たちの目を掻い潜り、家へと駆ける。


「桃太郎を寄越せ!」


 地鳴りのような鬼の声が響く。


(しつこい奴らだよ、まったく…)


 村外れのあばらやに飛び込む。


「ばあさんや…!」


 そこには怯えた表情のおじいさんがいた。


「おじいさん! なぜ戻ってきたんです!」


「山の上から村に向かっている鬼が見えた。それで…」


 嗚呼。おばあさんは固く目を瞑る。目尻と眉間に深い皺が寄った。


「ばあさん、わしはもういいんじゃ。鬼がどうしてわしに執着するのかはわからんが、わしを鬼に差し出して、それであやつらの気が済むのなら」


「そんなこと。そんなことしてたまるもんですか」


 おばあさんは床板を上げる。そこには夥しい量の銃火器が収蔵されている。おばあさんはグレネードランチャーを手に取った。


「あいつらの弱点はわかってます。動物にチョコレートは厳禁。私の特製大豆入りチョコ弾をお見舞いしてやりましょう」


「ばあさん、わしも一緒に…」


 おばあさんは別の床板を上げる。そこは単なる床下収納などではなかった。深い縦穴の先に、横穴が掘られているのが見える。


「このトンネルは城下町まで続いています。どうか逃げてください」


 おばあさんは手早く弾帯を装着しながら言う。


「しかし、ばあさんだけを危険に晒すわけにはいかん」


「お医者から激しい運動は止められているというのに、無理をして血圧が上がったらどうするんです。この前も発作を起こしていたでしょう。…ニトロは持ちましたか?」


「ああ、ここに」


 おじいさんは懐からよれよれの巾着袋を取り出しておばあさんに見せる。おばあさんは満足そうに頷いた。


「この日のために、準備は完璧に行ってきました。大丈夫」


(…あなたが鬼に殺されてしまったら、また時間は巻き戻ってしまう。あなたはこの環に取り残されてしまう。また桃に入れられてどんぶらこして、鬼ヶ島に送り込まれ、そこで鬼にむごたらしく殺されてしまう。もうこれ以上、耐えられない)


「ばあさん…」


「おじいさん、愛しています。私の桃太郎。どうかあなたの生が終わりますように。このタイムリープの牢獄から抜け出せますように」


 おばあさんはおじいさんの乾き切って硬いしわくちゃの手を取ると、弾帯からチョコ弾(大豆入り)を一つ抜き取っておじいさんの手に握らせた。


「ハッピーバレンタイン、おじいさん」


 おばあさんは微笑むとおじいさんに背を向ける。その微笑みは、乙女だったおばあさんと出会った日、その後彼の最愛の女性となった彼女が、あの日浮かべていた微笑みと同じだった。


−−桃太郎、私をお嫁にもらってくれる? そうしていつまでも2人で一緒に暮らしましょう? どこにもいかないでね。お願いよ。


 おじいさんは垂れ下がった瞼の下の目を見開いた。そうだ、思い出した。なぜ今まで忘れていたのだろう。鬼ヶ島の鬼を滅ぼすために、何度も何度も生を繰り返してきた。桃から生まれるたびに、鬼を討つことを決意し、そして敗れ、また気づけば桃の中にいる…。


「待ってくれ、ばあさん…ぐッ!」


 出ていくおばあさんを追おうとしたおじいさんは、胸を押さえて蹲る。


 玄関の戸をぴしゃりと閉めたおばあさんは高らかに叫んだ。


「KIBIDANGOシステム、起動!」


 ゴゴゴ…と地面が揺れ、重々しいモーター音が響く。


「汎用対鬼最終兵器・申、酉、戌、出撃!」


 山のお寺が変形し、猿の形を取る。遠くお城の屋根に載っている鳳凰は雉に。庄屋どんの蔵は犬に。


「出てきたなババア! お前が桃太郎を匿っているのは知っているぞ! 村を焼かれたくなければ、桃太郎を差し出せ!」


 鬼の大将がおばあさんに金棒を突きつける。


「ハッ、笑わせんじゃないよ。知ってるよ。桃太郎と戦わなければ、お前たちは存在意義を失ってこの世から消えてしまうってこと。だからこそ、私がやるんだ。私がお前たちを皆殺しにして、世界から永久に消し去ってやる。二度とこの時間を繰り返せないようにしてやる」


 そうすれば、桃太郎は救われるんだ。おばあさんは胸の内でそう続ける。

 ドドッ、と地面が揺れ、機械仕掛けの巨大な犬がおばあさんの横を駆け抜けた。青鬼に噛みつき、振り回し、地面に叩きつける。猿は身軽に飛び回って鋭い爪で赤鬼を引き裂き、雉は鋭い嘴で黄鬼の濁った目玉を突く。


「鬼とは即ち牛と虎。人間にとっては最上のお菓子も、猫科の動物には毒となる。確かに、お前の鋼鉄の皮膚は弾丸をも弾くけれど、毒はそうもいくまい」


 おばあさんはグレネードランチャーにチョコ弾(大豆入り)を装填し、構えた。


「消えな」


 引き金を引く。ともすれば跳ね上がってしまいそうになる銃身を足を踏ん張って支え、全弾大将に叩き込む。あたりに甘い香りが漂った。


「…やったか」


 もうもうと上がる土煙が風で払われていく。しかしそこには、先ほどと全く同じ格好で仁王立ちしている大将がいた。


「なん…だと」


 思わず銃口を下げてしまう。


「グハハハ…! 残念だったなあ、ババア。その手は、前の前の世界線で貴様が使った手だったんだよ。既に俺たちは肉体改造を終え、チョコ耐性を得ている。あの時は危なかったぜ。村から攫ってきた乙女のお前が差し出したお菓子が、まさか毒だったとはな!」


 キャイン!と甲高い悲痛な声が上がる。汎用対鬼最終兵器・戌が鬼にはね飛ばされて地面を転がる。時を置かず、申、酉も次々に鬼に撃破されていく。大将は悠然とおばあさんに歩み寄った。


「桃太郎は貴様を殺した後、ゆっくり探すとしよう」


 鋭い爪の鬼の手がおばあさんの首を捉え、彼女を高々と吊り上げる。手からグレネードランチャーが落ちた。


「ぐ…おじい…さ…逃げ…」


 おばあさんの目から涙が溢れる。だめだった。また、救えなかった。ごめんなさい、私の桃太郎。せめて、逃げて。そうして、鬼とは関係なく生を終えれば、あなたはこの牢獄から抜け出せる。あとは、私がやるから。あなたは、逃げて…


「鬼よ!」


 怒りを孕んだ声の方に鬼の大将が目を向けるとそこには、つぎはぎだらけの着物を着て、痩せこけシミだらけの顔をした、腰の曲がった老人がいた。しかし大将には分かった。その老人こそが、この世界線で求め続けた人物であると。忌々しい老婆が命をかけて隠し通そうとした人物こそ、目の前の貧相な老人であると。

 大将はおばあさんを投げ捨てる。地面に投げ出されたおばあさんは、激しく咳き込みながら絶望の眼差しでおじいさんを見た。なぜ。逃げてと言ったのに。


「ようやく出てきたか、桃太郎。しかし俺に殺されるためにのこのこ出てくるとは、愚かな」


「わしを、殺したければ殺すがいい! 次こそわしはお前たちを滅ぼしてみせる! トゥルーエンドにたどり着いてみせる!」


「無駄だ。この世界は少しずつ歪みながらループし続ける。つまり俺たちの春は永久に続く」


 鬼の大将は鋭い牙を剥き出して言う。おじいさんはおばあさんの方に顔を向けると優しく笑った。青年の時のおじいさんと何も変わらない、眩しい笑顔だった。


「ばあさんや、ありがとう。この世界線、わしは本当に幸せだった。全部ばあさんのおかげだ。チョコのお返しはしばらく先になりそうだが、待ってておくれ。できるだけはやく持っていくから」



***



 昔々あるところに、おじいさんとおばあさんがいました。おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました。

 おばあさんが川で洗濯をしていると、川上から大きな桃が、どんぶらこどんぶらこと流れてきました。音速で。


FIN

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