11節

 本来なら心地よい風のはずだが、この村に吹き込んだことで灰燼をあおって多分に煤と灰を含んだ黒い風となる。ざらついた空気は鼻腔にしつこく残留するため、違和感がひどい。


「ひとまず、腹は膨らまさないとな」


 広場の片隅に座った俺のもとに、ルナとハインツが缶詰を数個抱えてがれき群と化した集落から戻ってくる。誰も十分な量の食糧を手元に持っていなかったため、がれきの中からまだ食べられそうな食料を拝借したのだ。空き巣のような行為に感じるが、きっと許してくれるはずだ。


「おかえり。どのくらい見つかった?」


 お湯を沸かす火の番を居眠りしていた絨毯にあぐらをかきながら務めていた俺の視界にハインツと、その後ろにルナが映る。白い湯気の揺らめきがその陰をぼかす。


「なんとか六個ってところだな。肉とか、これは魚か?」


 ハインツはひっかき傷や黄土のついた鈍い金の缶詰を俺に放ってよこす。絵柄を見た限りシーチキンかカツオかの、何かの缶詰だろうか。しかし異様なほど目が逝っている魚の絵だな。ホラーじみた中身じゃないといいが。


 臭みを消すためとしか思えない、妙にスパイシーな缶詰を平らげ、白湯をすする。戦闘のせいで水が濁ってしまったため、煮沸して飲むしかなかった。ほんの少しだけ、お湯なのに舌がざらついた。ハインツはどこから取り出したのか、小麦色の麻袋を取り出して、手を突っ込む。何かを一つ手に取って、ヘルメットの下からねじ込む。こいつは缶詰もヘルメットと顎の隙間から食べていたが、意地でも顔を見せたくないのだろうか。どう見たって食いづらいだろうし、実際食べた肉のたれがべっとりヘルメットの顎部分についている。それに気が付いたのか、彼は腰についていたポーチから取り出した摺り切りれた布で丁寧に拭いた。


「ハインツ、お前それ脱がないの?」


 当の本人は鉄仮面の下で何かをもぐもぐしながら、


「ヘルメットのこと? 俺は外さないタイプなんだよ」


 ヘルメットに外すタイプも外さないタイプもないだろうに。何がしたいんだか。


「二人も食うか?」


 ハインツが珍妙なものを黒手袋に包まれた手に乗せて見せてみる。アーモンドとプルーンをかけ合わせたような果実が、二つ。


「これって、デーツ?」


「デーツ?」


 デートが地方訛りになったらこうなりそうな言葉だが、おそらくデートではない。


「ヒメカミはベンガル出身だから食べたことないんじゃないかな。デーツっていうのはナツメヤシのことよ」


 そのナツメヤシが何者か知らんのだが。


「乾燥に強いからペルシャ湾岸や北アフリカで栽培されているヤシのことよ。熟した実を乾燥させて、保存できるようにしているのよ」


 見たこともない茶色い果実。もしかしたら、というよりおそらく前の世界にもあったに違いない。紅茶の産地も同じなのだからきっとそうだ。ルナがおいしそうに食べるので、毒はないだろうと思い口に放り込む。


「……うん、まぁその、おいしい、かな」


 予想よりだいぶ柔らかい。よく熟しているからかもしれないが、それに甘さが合体して舌にまとわりつく。どこかで似たような味と会った気がして、しばらく味わって、気づく。前世での干し柿や干し芋だ。正直どちらもあまり食べなかったため、舌が慣れていない。一つ飲み下す間に、ルナは三個目、ハインツは五個目を食べていた。


「それにしても、受けた依頼の討伐対象が吸血鬼とは驚いたな」


「ハインツは依頼でここに来たんだっけ。ハインツって、特殊電撃戦隊だから基本的に直接依頼が届くの?」


「いんや、全部の依頼がそうってわけじゃない。軍やギルドが協議したうえで決定された事態が俺たちに直接依頼としてくるんだ。だから基本的には他の冒険者と同じで好きな時に、好きな依頼をこなすんだ」


 俺はそもそも特別電撃戦隊とは何だと聞く。ハインツは飽きないのかデーツを二つヘルメットの中に滑り込ませると、


「知らないのかって、まぁ、そんなに昔からある制度じゃないしな。高々4年かそこらの歴史だから。特別電撃戦隊ってのは、ギルドから認められたエリートしか選抜されない小隊のことで、さっきも言った通り軍やギルドから直で依頼を受けることができるやつらの集まりのことさ」


「確か、今は5人だっけ? ハインツが一年と少し前に加入して」


 さすがに俺の装備をエキサイトしながら舐めまわし見ただけあってルナは詳しいようだ。


「俺が一番の若輩者だな。とは言っても、俺が一番年が下ってわけでもなくて、ガキ同然の時に選ばれた奴もいるから、年は関係なくて、徹底した実力主義。選抜条件は才能と実績だな」


 ハインツがどのくらい冒険者をしているかは知らないが、相当数の努力と実績、時間を積みかさなければその地位には至らないのだろう。設立から四年以上たって五人だけの実力者。俺には逆立ちしても届かない高みだ。


「まぁ、自分も所属しておいてで言うのもなんだが、天才とバカは紙一重って言葉が身に染みるぜ。他のメンバーは俺以上に鬼才、鶏群の一鶴って奴ばっかだが、あいつら異常に変人だからな」


 過去に何かあったのか、ヘルメット越しでもその顔が辟易に歪むのが分かる。そんなに吐いたら幸せ全部逃げるぞといったような嘆息。なんぼほどネジが無い者達なのだろうか。


「全員に会ったことがあるの?」


「まぁな。選ばれる前に会ってた奴もいたんだが、俺が選ばれた後すぐに会いに来たやつは一番やばかったな。そいつが一番の古参って分かった時はとんでもないのに選ばれちまったって思ったぜ」


「そんなに?」


「そいつ、自分が戦隊モノのヒーローだと思ってんだよ。自分がレッドで、他の戦隊のメンバーがブルーとかグリーンらしい。ちなみに俺はブラック。もちろん、全部あいつの妄想な」


 そりゃやばそうだ。やばいというより、クソめんどうくさそうな人物だ。

 ――脱線しすぎた。そんなことより。


「で、その吸血鬼をどうする?」


「俺はもちろん追うぜ。こんな紙切れ残されて逃げるなんざ、ハインツ=シュターゼンの名折れだ」


 バリトン声を一段下げてハインツが言う。指であの地図をプラプラと持ちながら。


「二人は来なくても大丈夫だ。特にヒメカミ。お前怪我やばいだろ。俺の薬で血が止まって、感覚が麻痺しているだけみたいなものだ」


 その言葉、待っていた。


「俺も行く」


 ルナとハインツが顔を見合わせる。さぁ、なんとでも言ってくれ。


「ちょ……本気で言ってんのか? さっき死にかけたの忘れたのかよ?」


「ヒメカミはダメよ。傷が開いたら、それだけで――」


 そう言うと思った。だがな、俺の意志は今ダイアモンド以上の硬度だ。なんと言われようとも、絶対に行くのだ。


「俺は何も問題ない。本当さ。俺だって長いこと冒険者しているんだ。自分の身体くらい、理解しているさ」


「でもな」


「そんなに心配なら、俺は後ろで二人の援護とか、村人の避難誘導とかでどうだ。そこに軍の部隊がいるってことだし、軍と二人が掛かればなんとかなるだろ」


 あんまりにも嘘八百だが、気にしない。嘘は自分自身が気がかりに思わなければ本物に見えるものさ、おそらく。


「でも、相手は魔人だぞ。人とは違う生き物。食い物喰わなくても生きていけて、何百年の寿命があるっていう、一種の怪物だぞ」


 知らん。魔人なんて知らんし、どうってことないさ。

 ――でも、やっぱり怖い。そりゃあ、俺を殺しかけた相手だし、怖くないほうがおかしい。そもそも魔人なんてものがいて、吸血鬼がそれってことを今初めて知った。ハインツの口ぶりからするに相当な化け物ということだ。上等じゃないかと強がる他ない。


「軍と二人が敵わないなら、俺がいようがいまいが同じさ。だから、俺も一緒じゃだめか?」


 再び顔を見合わせて、数拍の間をおいて、


「そういうことなら、分かった」


 ハインツに了承してもらう。何とかなった。向こうに着いたら俺の手で、なんとかあいつを討てないものか。


「そうと決まったら準備しなきゃいけないな。ブルートは日付変更とともに襲撃するらしいから、なるべく早めに行って知らせないと」


 向こうの村にも軍にも連絡手段がない。村には昔ながらの公衆電話や個人の携帯電話があったが、それは火事で使えなくなったし、俺を含めて三人とも便利な連絡手段を持ち合わせていない。知らせるには早く行くしかない。つまるところもう用意をしなくてはならない。それに俺の同行を覆されぬうちにというのもある。


「車でどんくらいだ? この点がこの村だから、あっちまでの距離は――」


 ハインツが距離と時間を割り出す。車でおよそ七時間。隣村の域じゃない。魔王領との国境が近いからそんなに空くのだろうか。砂漠も目と鼻の距離だし。

 今が昼下がりの3時半過ぎだから、今出ても夜11時近く。準備もあるからさらに遅れて、ぎりぎりか。

 準備を進めながら、


「軍はどうにかして援軍に来てくれないかしら。ハインツに依頼があったんだから、周辺を哨戒しているはずよね」


「来ねぇーよ」


 すぱりと否定されて、ルナは、


「どうして? 近くの国境駐屯隊なら襲撃を受けてから連絡してもなんとか間に合うんじゃ――」


「言ってなかったが、その軍がやられちまってるんだよ。おそらくあいつにな。いくつかの駐屯部隊が壊滅させられて、軍はその対応に当たっている。不幸中の幸い、そのときは民間に被害が出ていないからって、あろうことか周辺の哨戒任務を俺一人に依頼してきたんだ。軍は昨今の軍事費削減で金がすっからかん、たくさんの人は雇えんから俺みたいな直で依頼できる奴にお鉢が回ってきたんだろうよ」


「そんな……」


 予想以上に衝撃を受けるルナ。よくある系裏話は若いからまだ疎いということなのか。それにしたってショックを受けすぎだが。


「王国の正規軍なんてそんなものさ。魔王も動き無し、魔物も魔人も減った今じゃ残った敵は12年前に勝った連邦くらい。兵の練度も士気も落ちて、金も無いなら、近くの暇そうな守銭奴じみた冒険者雇ったほうが役に立つってこった」


 どこかで聞いた、「世界の背景、スペクタクルとしての戦争は必要だ」の言葉。どこか、自分とは全く関係のない所でそれも残虐に発生している戦争。それを認識、目撃することでようやく自分たちの存在意義、立ち位置を決定できる。敵がいるから国がまとまるなんて皮肉だ。サウンドスケープに成り下がった戦争によって発生する爆音と悲鳴と慟哭の存在。前の世界もそういうのが必要だった。人類には必ず敵がいなきゃいけないらしい。


「来ないからって、俺たちが行かないこと、戦わないことの否定にはならないさ」


 公的機関が当てにならないことは前の世界で十二分に理解している。


「――そうだな」


 また一つ、ハインツはデーツを口に運んだ。いくらかその手を重そうにして。


 ◇


 仄暗い闇に揺れる、黒い陰。そこにいるだけで暗然たる心持になりそうなその空間は春先にしてはうそ寒い。

 陰はとある吸血鬼。黒ずくめの装いのために彼が一番濃い陰の部分を成している。人間の勝手な裁量で決められた『魔人』の括りに位置する吸血鬼。人間は嫌いだが、人間と吸血鬼は違うと自分から定義してくれたことは感謝している。外身ではなく、中身はまるで違うのだから当たり前の分類なのだが。

 懐から1枚のよれた紙を取り出す。はがきよりかは一回り大きいというくらいの、経年劣化をありありと感じさせる様相。元は白だった紙面は黄ばんでしまったが、あの時から彼はひとたりとも肌身から離したことはない。そこに描かれた、色あせた家族の絵。3人がこちらに笑みを浮かべている。真ん中に笑顔が満開に咲いた少女、右にやさしく微笑んだ母親、左手にはにかんでどこか気恥ずかしそうな父親。かつては確かに存在して、2度と永遠に戻らない家族。


「エイナス……」


 ふと、平面の中に閉じ込められた少女の名前を呼びながらその笑みに手を伸ばす。その手はすでに人の血で汚れ、彼女たちを抱きしめるものではなくなった。はたと気づいた。まただ。また、こんな未練がましいことを。涙が一筋流れた。


「すまない、エイナス。お前の前では泣かないと約束したというのに」


 エイナスは笑っている。そんなこと気にしないでと、快活に励ますように、笑っている。


「君の願いすら果たしていないというのに、私が泣いてはならないな」


 物を語らぬ少女と母親に、


「エイナス、リーズ、見ていてくれ。私の果たす全てを」


 それはブルートの血盟なのだ。

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神は弱さを許さない―拝啓、前世様。俺は勇者になりました― 黒岬 @EKGH

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