あっぱれ! 宇宙師匠

 神のような全能感がボクを包んでいた。巨大化した師匠も膨張を続ける闇も、宇宙に浮かぶちっぽけな小石に見えた。めまぐるしく変動して読み取れなかったダークエネルギーとダークマターの固有時空、それが今は大空をのんびりと流されていく雲のように簡単に読み取れる。これなら技がかけられる。


「ああ、減っていく」


 無意識のうちにエネルギー散逸の技が発動していた。闇の巨大化が止まりエネルギー値の減少が始まっている。このまま消え去ってくれそうだ。

 萎んでいく闇。萎んでいくボク。体から力が抜けていく。ボク自身のエネルギーもまた尽きてしまったのだろう。寒い。意識が薄れていく。ああ、そうかボクは死ぬのか。師匠がそう言っていた。師匠の言葉なら間違いはないだろう。


「デシ、しっかりしろ!」


 師匠の声が頭に響く。体にぬくもりが戻ってきた。目を開けると師匠が心配そうにボクをのぞき込んでいた。


「シ、シショウ……」

「無茶をしおって。エネルギーを残しておいてよかった。わしが技を使わなければ本当に死んでいたぞ。生体保持の技は使えるか」


 師匠の胸の辺りに淡く光るE鉱が浮かんでいた。最後に使ったふたつの特殊E鉱のひとつだ。全吸収したのは片方だけで、もう片方は万が一の時のために余力を残しておいたのだろう。


「あ、はい。何とか使えます」

「そうか。なら後は自力で何とかしろ」


 経験したことのないような疲労感に襲われていた。E鉱による効果が大きければ大きいほど使用後の反動も大きくなるようだ。

 ボクは戦いが行われていた空間に意識を集中した。何も感じない。


「ダークエネルギーは消滅したんですか」

「いいや。極大値になるのを防げただけだ。完全には消えていない。55年後、さらに威力を増して復活するだろう」

「そうですか。あんなに頑張ったのに。残念です」

「くそっ、己の非力が口惜しい。師匠の力を借りてもなお師匠の力には及ばなかった。師匠のように完全に消し去ることはできなかった。これだけの月日を重ねてもまだ師匠には及ばぬのか。わしはなんと不甲斐ない弟子なのだ」

「シ、シショウ?」


 何を言っているのかよくわからない。シショウの師匠が完全に消滅できなかったから今回もまた発生したはずなのに。


「悔しいのはわかりますけど地球は無事だったんです。それだけでもよかったじゃないですか」

「地球などどうなっても構わん。わしが救いたかったのは師匠だ。師匠ただひとりを助けたかったのだ」


 ますますおかしい。E鉱からエネルギーを吸収しすぎて頭がどうにかなってしまったのだろうか。


「シショウ、しっかりしてください。シショウの師匠は前回の変動で命を落としているんです。今となっては助けようがないですよ」

「いや、いる。師匠はわしの目の前にいる」


 師匠の目はボクに向けられていた。一点の曇りもない真剣な瞳がボクを見つめている。


「まさか……」

「そうだ、おまえだ。おまえがわしの師匠なのだ。わしはこの時代の者ではない。未来から来たのだ。時間派最大奥義、時間移動術を使ってな」


 不思議と驚きは感じなかった。その理由がなんとなくわかる気がしたからだ。


「目の前で闇に飲まれていく師匠を見たとき、わしは思った。こんな最期は間違っている。あんな偉大な宙人そらびとの最期がこんな悲しいものであっていいはずがない。わしは諦められなかった。何としても結末を変えたかった。そしてその手段はあった。時間移動だ。時をさかのぼって師匠と共に戦えば運命を変えられるはず、そう考えた。だがこの術には制限がある。わしが存在していた時間への移動はできない。師匠の命を奪った変動発生時にはわしがいる。だからその時点への移動は不可能だ。移動できるのは前回の変動、55年前の変動の時点だ。そこへ移動して完全に消滅させれば次回の変動は発生せず師匠が命を落とすことはない。わしは地球を離れ時空術を磨き続けた。師匠からは基本的な技しか教えてもらっていなかったし、時間移動術も会得していなかったからな。師匠の残してくれた万能翻訳機で連邦共通語を覚え、多くの宙人と会い、教えを請い、時には技を競い合って修業に励んだ。そしてようやく時間移動術を会得した。だが、」


 師匠の言葉が途切れた。かなり疲労しているようだ。心なしかその姿も薄れて見える。


「わしには自信がなかった。師匠が相手にした変動は地球に害を及ぼすほど大きな変動だった。それに比べて55年前の変動では地球にほとんど影響はなかった。師匠ほどの力がなくても消滅させるのは容易なはずだった。だがそれがわかっていてもわしの不安は消えなかった。そしてその不安がわしに別の方法を思いつかせた。師匠が宙人にならなければいい。そうすれば危険な戦いとは無縁になり平穏な一生を送れるはずだ。わしが変動を消滅させるよりも、そのやり方のほうが確実ではないか。そこでわしは前回変動が発生した年ではなく師匠が生まれた年へ時間移動した。たとえ素性のわからない者であっても卓越した宇宙術を保有していれば宙人として認可され銀河連邦民のIDも付与される。正式に宙人となり特殊E鉱を集めながら、密かに師匠の、おまえの成長を見守った。できることならこのまま平凡な一生を送ってほしい、宙人の能力が発動しても他の子どものようにすぐ消滅してほしい、そんなわしの願いは叶わなかった。おまえは宙人候補生としてあの星に連れて行かれ、実技訓練の指導官を決める面接を受けることになった。その後はもう言う必要はないだろう」

「じゃあボクの指導官になったのも、何度も宙人を諦めろと言い続けたのも、全てはボクの運命を変えるため……」

「そうだ。おまえが迎えるはずの悲惨な最期を変えたい、それだけがわしの願いだった」


 気がつかなかった。あの意地悪な言葉も不愛想な態度も、全部ボクのためにやってくれていたんだ。


「でもシショウはボクを合格させてくれました。宙人にしてくれました。それはなぜですか」

「悟ったからだよ。わし如きの力ではおまえの運命は変えられぬとな。最終試験でわしはおまえを落第させるつもりだった。宙人にさえならなければおまえは幸せになれると信じ切っていた。だがそれは間違いだった。おまえはわしを、あの老人を救った。老人を見殺しにするくらいなら宙人にならなくてもいいとまで言った。その言葉を聞いてわかったのだ。たとえ宙人にならなくても、特殊な能力を持たない凡人だったとしても、他人の命を救うためなら何の迷いもなく自分の命を投げ出す、そんな生き方しかおまえにはできないのだとな。だから合格にした。まさかわしの後を追ってこんな辺境星域まで来てくれるとは夢に思わなかったがな。ふうー」


 師匠が深く息を吐いた。かなり疲れている。生体保持も遠隔話法もそれなりにエネルギーを使う。やめさせたほうがいい。


「感謝しますシショウ。ところでだいぶ疲れているのでしょう。そろそろキャンプに戻りましょう。まだ話し足りないことがあるならそこで……えっ!」


 師匠の手を取ろうとしたボクの手がすり抜けた。師匠の体がけ始めている。


「ふふっ、ようやく気づいたか。わしの肉体はすでに消滅している。今はE鉱の力を借りて意識を形にしているに過ぎん。それも間もなく消える」

「どうして! E鉱は4つしか使わなかったのに」

「人の話を鵜呑みにするなと何度言えばわかるのだ。わしが耐えられるのは3つまでだ。4つ目を使った時点でわしの死は確定していたのだ」

「そんな……」


 まただ。師匠のウソに付き合わされるのはこれで何度目だろう。だが責めることはできない。これが師匠の優しさであり思いやりなのだ。


「わしは師匠としても弟子としてもおまえには迷惑をかけっ放しだったな。厚かましいかもしれんが最後に頼みがある。聞いてくれるか」

「はい、言ってください」

「55年後、おまえは再びこの星系を訪れ闇と戦おうとするだろう。それを止めるつもりはない。おまえの運命なのだからな。だが頼む。今度はひとりではなく、わしと、おまえの弟子と力を合わせて戦ってほしいのだ。師匠のわしと弟子のおまえでは叶わなかった夢でも、師匠のおまえと弟子のわしなら叶えられるかもしれん。引き受けてくれるか」

「わかりました。弟子となったシショウと共に戦い、そして今度こそ相打ちなどせずに闇を消滅させてみせます!」

「若い頃のわしは今よりずっと生意気だからな。手を焼くかもしれんがビシビシ鍛えてやってくれ」

「はい!」


 師匠の姿はもうほとんど見えなくなっていた。頭に響いてくる声も小さく途切れ途切れになっている。


「こんなに穏やかなものなのだな。師匠、今、あなたの気持ちがようやくわかったような気がします。他者のために自分の命を投げ出すのは、思ったよりも、心地良い、ものなの、ですね……」


 師匠の胸に浮かんでいたE鉱の光が完全に消えた。そこにはもう師匠の姿はなくただ闇だけがあった。光を失ったE鉱を両手で大切に包み込む。


「最後の最後までウソをついていきましたね、シショウ」


 師匠の命を奪ったのはE鉱ではない。ボクだ。5つ目の特殊E鉱を使って疑似的全知全能状態になったとき、師匠の命が残っていることも、ボクの命が間もなく尽きることもはっきりと見えていた。死ぬのはボクのほうだった。でも師匠が救ってくれた。最後の力を振り絞って時空術をかけ自分の命をボクに移してくれた、だから助かったんだ。あれほど自分の命を最優先にしろと言っていたくせに。自分の命を守り抜けと言っていたくせに。本当に、腹が立つほどウソばかりついて、悲しくなるくらい優しい師匠だった。


「シショウ、あなたの夢は必ずボクが叶えます。弟子となったシショウと一緒に!」


 ボクはE鉱を握り締めた。師匠のようにほんのりと温かった。遠くの空間では青天のように穏やかな星が何も知らずに眠っていた。


 * * *


 銀のスーツに身を包む。腕にはもう緑の横線はない。


「やあ、君が研修生だね。よろしく頼むよ」

「はい、お願いします」


 今日から新人宙人の研修が始まった。担当してくれる宙人とは初対面だけど気軽に話せそうな感じのいい人だ。


「聞いているよ、君の実技訓練の指導官は相当な変人だったんだろう。よく我慢して合格できたね」

「そう、確かに変人です。最高に変わっていて最高に頼りになる師匠です」

「ははは。私も最高の研修担当官になれるよう頑張るよ。まずは君の実力を見てみたいな。ちょっと長距離移動でもしてみようか」

「了解!」


 勢いよく青空に飛び立つ。雲を抜け、大気を抜け、あっという間に宇宙空間へ到達した。


「へえ、やるじゃないか。こっちが研修を受けたいくらいだよ。じゃあしばらく周回軌道を回ってから長距離移動を見せてもらおうかな」

「はい」


 闇と静けさの空間を担当官と連れ立って飛行する。初めて宇宙を飛んだ日を思い出す。あの時ボクの前にいたのはシショウだった。


「宇宙に来ると気持ちが暗くなるんだよ。闇ばかりで光がないだろう」

「いいえ、光はありますよ。空間は光で満ちています。ただボクらが見ようとしないだけなんですよ」

「おや、ひょっとして指導官からの受け売りかい。だけどいい言葉だな。光を信じて頑張ろうって気になれる。さて、そろそろ長距離に出掛けるとしようか。空間縮小術は使えるよね」

「もちろんです」

「2時の方角、距離50光年。GO!」


 ボクは飛ぶ。シショウがボクに託してくれた夢を抱いて。

 光と同じように希望もまた時空に満ちている。見ようと思えばいつでもどこでも見えるんだ。

 光を失ったE鉱は二度と輝くことはない。でもボクの胸の中では永遠に輝き続けている。この輝きが消えない限りボクの夢も消えることはない。

 今日もボクは闇を切り裂いて宙を駆ける。

 再びシショウに会うために。

 再び闇と対峙するその時のために。

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