世の中はシャボン色をしている

多賀 夢(元・みきてぃ)

世の中はシャボン色をしている

 大きなニュースが世間を走ると、必ず叩く人間が現れる。それがめでたい事だろうが嘆かわしい事だろうが、はたまた単なる現象であろうが、何かのせい、誰かのせいにして大騒ぎをする人が出る。


 そういう人を見ると、いつも脳内に反論が浮かんでしまう。しかし口に出すことは少ない。思う事は自由というのもあるし、行動に移した人と比べたらどちらも無価値だからだ。


 ただ思うのは、どうにも黒白つけたい人が多すぎるなという事である。それも、それぞれが別のベクトルに向かって怒りをぶつけている。1ミリでもベクトルが違えば、意見が同じでも黒だと叫ぶ人もいないでもない。


 私はマイノリティやメンヘラをテーマにする事が多い。それは私がそうだからなのだけれども、私の所属するグループはわりと『黒』に見られやすい。ごくたまにだが、私の事情を知らず私のグループを攻撃する方もおられる。そういう時はにこやかにご意見を拝聴しつつ、「この人も、こっちの世界に来そうだなあ……来ちゃったら、悲劇のヒロインとして自分を拡散するのかな? それとも、誰かの陰謀とでも言うのかしら?」とか、そんな空想をしてはほくそ笑んでいる。


 私自身はというと、世の中には黒も白もないと思っている。


 例えば、大いに栄えた国があるとしよう。

 その国の国民にすれば、栄える事はいい事だ。毎日贅沢をして、プライベートも充実して、幸せな日々を送っている事だろう。

 しかしなぜ栄えたかといえば、他国で低賃金の労働者を大量に雇用したからかも知れないし、世界トップシェアの技術を盗んだからかも知れないし、自然を壊して資源を採取しているからかも知れない。

 他国の人々だけでなく、多くの活動家や投資家からすると、その国はとんでもなく傲慢な悪魔であり、潰すべき敵に見えているかも知れないのだ。


 私は毒親もテーマにすることが多いけれども、これもまた黒とも白ともつけられない。被害を受けた側からすると、確かに真っ黒に見える。だけど親が受けた教育や、地域の雰囲気や、社会の風潮も合わせて考えると、「親に虐待以外の行動が思いつかなかった」「自分が虐待され慣れており、虐待を教育だと思い込んでいた」可能性があるのだ。

 そうなると親も被害者という事になり、はっきり黒だと断定できなくなる。――いやまあ、やらかした結果は最悪だと思いますけども。私も被害者ですのでね。


 そんなわけで、私は世の中に黒も白もないと思っている。もちろんグレーもない。もっと言えば、善悪の二元論すらも疑っている。正義の定義なんて、時代でコロリと反転してしまうからだ。

 あるとすれば、シャボン玉のような虹色だろうか。美しくもありおぞましくもあり、どれだけ輝けども儚く割れる定め。

 それが世論なのだろうと、SNSにイラっとしながらつとめて冷静にタイムラインを眺めている。

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世の中はシャボン色をしている 多賀 夢(元・みきてぃ) @Nico_kusunoki

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