第4話

 まず、ふわっとレモンみたいな匂いがして、これがうわさに聞く空気が違うってやつか、となんか感心してしまった。


 右にトイレと洗面所が一緒になったユニットバスがあって、左にはドアに隠れる下駄げた箱と手狭なキッチンが一繋がりになったものになっていた。


 しばが奥の部屋を仕切るアコーディオンカーテンを開けると、低コスト家具屋で揃えたっぽい、シックな茶色い机やらベッドやら一式に、1人用の家電一通りが揃っていた。


「さあ、私の胸でドンと泣いちゃって!」

「あ、ごめん。涙引っ込んじゃった」


 ふんすっ、という顔で、両腕を広げる柴だったが、他人の家初体験のおかげで、こみ上げてきたものがどっかに行ってしまった。


「ありゃあ。――いや、良い事だけどねっ!」


 芸人みたいにこけそうになった柴は、ハッとした顔でそう付け加えて踏みとどまった。


 まあ、そのくらいでスッキリする程度のものだった、って事かもしれない。


「……にしても、柴って、親に愛されてんだな」

「どしたの、大上おおかみさん?」

「いや私なんかさ――」


 私は小首をかしげる柴に、自分の過去の事とか親との関係を伝えた。


 私の幼少期からの苦労を、知ったように同情してあわれむ、みたいなのはなく、柴はただただ熱心に話を聞いてくれた。


 私にとって、それが一番望んでいる反応なのを分かってるみたいだった。


 その後に、私の親の話をし終わったところで、


「大上さんのお母さん、多分すっごく大上さんの事心配してると思うよ。全部1人で出来ちゃうから、どうして良いか分からないのかも」


 ウチのお父さんも、なんかそんな感じでぶきっちょだし、と、柴は少し苦笑い気味にそう言ってきた。

 

「そんなもんな――。あ、ごめん。なんかメッセージ来た」

「見て良いよー。大上さんのお母さんじゃない?」

「……ホントに母さんだ」


 アプリを開いて確認してみると、柴の言っていた通り母さんで、文章がすごく硬いけど、私が事件に巻き込まれそうになった事を心配する内容だった。


「なあ柴。母さんが車で来てくれるっていうんだけど、ここの場所言って良いか?」

「全然良いよー。ご挨拶も済ませちゃいたいし」

「お前は私の婚約者か」

「それでもいいよー。胃袋はつかんだから」

「……否定はできないな」


 親指を立てて、にやり、とする柴を見て、私は力が抜けた笑顔を浮かべた。


 30分ぐらいしてから、母さんから来たという連絡が入って、柴と一緒に下へ降りた。


「あなたが娘を助けてくれた子?」


 道路に背が高い銀色の軽バンが横付けされていて、運転席の窓を開けて母さんが柴に訊ねる。


「はいはいー、柴です。初めましてー」


 表情があんまり豊かじゃない仏頂面な母さんに、柴は全然気後れする事無く挨拶する。


「柴さんね。音々子、お友達、って事で良い?」

「まあ、そんな感じだと思う」

「親友です!」

「まだそこまで行ってないだろ」

「えー」


 ショボーンの顔をする柴に、じゃあ明日な、と言って助手席に乗ると、母さんが柴へ顔の高さで手を小さく振ってから窓を閉めた。


 一通の路地から、幹線道路に左折で合流して見えなくなるまで、柴は助手席の私へ手を振っていた。


「……その、大丈夫だった? 怪我けがとか、精神的にとか」


 自動車専用道に乗って家へと向かっていると、急に母さんが話しかけてきた。


「別に、まあ。柴が助けてくれたし……」

「それなら良いけど……。ああ、貧血になったんだって?」

「おう、まあ」

「ほったらかしにしてたの、悪かったね。何とかしてあげたいんだけど……」


 柴の言うとおり、確かに母さんは不器用ながら、私の事をめちゃくちゃ心配してくれていた。


「いいよ。仕事大変なの分かってるから」

「そう。ごめんね、こんな母親で」

「こんなとか言うな。まだマシな方だろ。母さんは」

「そう……、ありがとう」

「お、おう……」


 割と久々にちゃんと話した気がするけど、親子の会話ってこんなに緊張するもんだっけ。


 母さんもそんな感じみたいで、いつもより表情が硬い気がする。


「柴さん、面白い子だね」

「まあ、良いヤツではあるよ。ちょっとお節介焼きが過ぎるけど」

「音々子がそう言うの初めて聞いた。やっと友達になれそう?」

「アイツの出方次第だよ」

「素直じゃない子だね」

「母さんには言われたくない」


 お互いまあ、感情を出すのは苦手な部類だけど、このときは間違いなくはっきりと笑えたと断言できる。



                    *



 次の日。


「なわけで、鉄分がれるメニューにしてみました!」

「おお」


 昼休憩の時間に昨日と同じ感じでやって来た柴は、稲荷寿司いなりずし、ほうれん草入りの卵焼きと、ブロッコリーツナサラダと、もも肉のハーブ焼き、と鉄分豊富な物を作ってきてくれた。


「吸収に良いらしいから、デザートにオレンジもあるよ」

「わざわざサンキュ」

「いいって。仕送り多すぎて、ほんのちょっと腐らせてたりしたし」

「そんだけ食ってそれって、お前の親どんなだよ」

「娘可愛さ爆発! って感じだからー」


 量考えてって言ってるんだけど、と言う柴は、少し困ったように笑っていた。


 ちなみに柴は昨日のタッパーに、私の量の3倍ぐらい入れて、それをもりもり食っている。


「せっかく稲荷寿司作ってくれたけど、母さんがおにぎり作ってくれたんだよ」

「そうなの! 良かったね! あ、お稲荷さんは代わりに食べるよ!」

「1個残してくれよ」

「はいはい」


 ラップに包まれている、昔、いつも母さんが作っていたのと同じ、薄味でいびつな形のおにぎりを一口食べると、不思議とそのときのよりも美味しく感じられた。

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お節介わんことさみしがり狼さん 赤魂緋鯉 @Red_Soul031

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