第29話 最低だ

 「俺、紅島ちゃんのこと諦めないって決めたわ」

 「・・・・・・・・」


 真水先輩の言葉に何も返すことができなかった。


 今、私はどんな顔をしているのだろうか。多分、困惑だとか尊敬だとか疑問、そしてほんの少しの嬉しさが混じったような複雑な表情になっていると思う。


 「ははっ。まぁ、こんなこと言われても困るよな!ごめんごめん。ただ俺が言いたかっただけだから。頭の片隅に留めておいてくれればそれでいいよ」

 

 真水先輩の笑顔が眩しかった。


 「・・・真水先輩って、やっぱりすごいです」

 「そ、そう?どんなところが?」

 「ぶれないところです。私、結構はっきり先輩のことフッたはずなのにそんなことを宣言するなんて」

 「お?そんな俺に惚れちゃったっていうのは・・・・」

 「あはは、残念ですがそれは・・・ないですよ」

 「ま、そうだよな~」


 『ない』と言うのに少し間が空いてしまった。どうしてだろうか。もしかしたら私自身がこの人のことをどう思っているのかを整理できていないのかもしれない。


 「でも、ほんの少しだけ尊敬してますよ」

 「マジ?やったぜ」

 「本気で喜ばないでくださいよ・・・」


 思わず苦笑した。まぁ、この人のこの明るさも作っているものなのかもしれないけれど、そうだとしてもやはり尊敬できる。だってそれは、話している相手のことを気遣っていることに他ならないからだ。相手が暗い気持ちにならないように、楽しい気持ちになれるように、って。

 真水先輩に比べれば私なんてまだまだだ。私も誰かを明るい気持ちにできるような、力を与えられるような、そんな人になりたいなと思う。


 ピロリン、というスマホの通知音が聞こえた。私のスマホだ。

 ちら、と真水先輩の方を見ると「いいよ」と言ってくれた。お言葉に甘えて確認させてもらうと・・・


 「・・・・真水先輩」

 「ん?」

 「私、どうやら行かなきゃいけないところがあるみたいです」

 「おう。そっか」

 「何か・・・まだ、話したいことはありますか?」


 私が尋ねると、真水先輩は少しの間考え込み、その後に「いや、大丈夫」と言うのだった。


 「じゃあ、私、もう行きますね。その、まぁ、私の教室とか来てくれたら相手くらいは、しますから」


 なんか少し余計なことまで言った気がするな。まぁ、いいや。細かいことは気にしない優香ちゃんなのです。


 真水先輩に背を向けて歩き出すと、背中の方で声がした。


 「よろしくなー!!」


 ふふっ。声大きい。

 お見通しって訳ですか。流石、親友なだけありますね。


 まぁ、言われなくても。


 私は一度振り替えって手を振った後、その後は振り返らずに目的地へ向けて走り出した。


 ****


 「私に・・・いいえ、言うべきこと。もっと正確に言えば、隠していることが」

 「・・・・っ」


 しまった。多分、顔に出た。動揺したのがバレバレだ。


 けど。それでも。


 俺はぎりぎりと歯を食い縛りながら口を開いた。


 「・・・・あるよ。でも、こんなこと、言えないよ」

 「・・・・・どうして?」


 氷崎さんはしっかりと俺を見据えており、目を逸らそうにも逸らすことができなかった。さらに、彼女の目と口調は俺を気遣うような優しげなものだった。それが余計に胸を刺した。


 「だから、言えないって言ってるだろ。こんなこと、俺は言いたくないし、君に聞かせたくもない」

 

 思わず語気が荒くなった。だからだろうか。一瞬、彼女が怯んだ気がした。けれどすぐに柔和な表情に戻って口を開いた。


 「私、言わなかったかしら?」

 「・・・・何のこと?」

 「君の力になりたい、って」

 「・・・・言ったよ。知ってる」

 「私は君が苦しんでいるのなら助けたい。力になりたい。ただそれだけなの」

 「・・・・・・・・・」

 「第一、隠せてると思った?私だけじゃなくて、もきっと感づいてたと思うわよ。君が時折、何かに怯えるような歪んだ表情を見せるってことに」


 何で。何でそんなことを言うんだよ。


 「私たちは君が何を言ったとしても絶対に見放さない。失望もしない。受け止めてみせるから。そうよね、紅島さん」

 「はい、もちろんです」

 「は・・・・・・?」


 氷崎さんが向けた視線の先には赤っぽい茶髪のショートヘアーの女子がいた。


 そう、紅島だ。


 「私が呼んだのよ」

 「はい。そうして私はすべてを察して駆けつけてきたというわけです」

 「お前・・・・・・」

 「先輩、言ってみてくださいよ。また私が優しく受け止めてあげますから」

 「ん?ちょっと待って。『また』って何?」


 氷崎さんが紅島に疑惑の視線を向けた。


 「端的に言いますと、冷菜先輩にフラれたショックで落ち込んでいた先輩を私が慰めて差し上げたということです」

 「お、おいちょっと待て。お前何をペラペラと」

 「ふーーーん。そうなのね・・・・・」


 あのー、氷崎さん。その張り付けたような笑顔が怖いです。


 「ははっ」


 あれ、今、俺笑った?


 少しだけ心の中が晴れた気がした。


 紅島と氷崎さんは左右から俺に近づき、左右それぞれの手を優しく包み込むように握った。ふたりは何も言わずに俺の言葉を待っている。


 「・・・分かった。言うよ」


 すうはあ、すうはあと深呼吸をしてから再び口を開いた。


 「俺は、早く答えを出さなきゃって焦った。ふたりは待ってるって言ってくれたのに勝手に焦って、どんどん自分で自分の首を締めていった。その挙げ句・・・結局答えなんか出なかった。たったひとつ、最低な結論にたどり着いた。俺は・・・クズだ。人でなしだ」


 自嘲的になったからか、いつの間にか口の端が上がっていた。


 「いいえ、先輩はクズなんかじゃありません」

 「そうね。人でなしでもないわ」


 まったく。本当に、このふたりは。


 「はは、ありがとう。ほんとに」


 視界が少し歪んできた。目を向けている川の上流の方が揺らめいて見える。


 「・・・・・俺、多分ふたりのこと、どっちも・・・好きなんだ」


 言った。言ってしまった。もう後には引き返せない。

 ふたりは何も言わなかった。その代わり、手を握ったままさらに俺との距離を縮めた。多分、左右に顔を向ければ目と鼻の先にふたりの顔があるだろう。


 「感じてますか?」

 「分かるかしら?」

 「え・・・・?」

 「心臓の鼓動ですよ。先輩が最低だと言ったことを聞かされた後でも、こんなにドキドキしてるんですよ。私たち、ちょっとおかしくなっちゃったのかもしれないですね」

 「ふふっ、そうね。まぁ、恋は盲目と言うしね。とにかく、私たちの気持ちが変わることはないのよ。確かに、返事を待たされるっていうのはあまりよくは思わない。けれど、君の置かれている状況を思えば仕方のないこと」

 「それに、どっちも好きって言うのは社会的にはアウトとされることかも知れませんがそんなもの知ったこっちゃないですよ。いつも周りの言ってることが正しいとは限らないと思うんです。正しいかどうかは自分たちが決めればいいと思いませんか?」

 「まぁ、私たちがわざわざ『待ってる』なんて言わなければ君が自分自身を苦しめるようなこともなかったのよね。それについては、本当にごめんなさい」


 氷崎さんに続いて紅島も「ごめんなさい」と謝った。

 

 「い、いや、ちょっと待ってくれ。何で、何でふたりが謝るんだよ。謝らなきゃいけないのは、俺のはずなのに。何で・・・っぁぁ」


 押し殺していた嗚咽が漏れた。一度溢れてしまえば止めることはできなかった。


 「くっ、ごめん・・・あぁ、ひっ・・・あぁごめん」

 「大丈夫です。大丈夫ですから。もう謝らなくていいです。最終的にどうするかは先輩が決めることですが、先輩の心が壊れてしまうくらいなら二股だって構いません」

 「そ、そうね。私も・・・君の悲しむ顔は見たくないわ。まぁ、もし、もし二股をやるとしてもこっそりとじゃないといけないのだけれど」

 「そうでしたね。恋愛禁止でしたね私たち。この場面も見られてたらヤバイかも」

 「大丈夫よ。この辺りはあんまり人が来ないから」

 「さっすが冷菜先輩!計算済みってわけですね」


 ふたりはしばらく笑い合っていたが、俺にあてられたのかなぜかふたりも涙を流していた。


 三人のすすり泣く声が夕暮れ時の川底へとどこまでも深く沈んでいったのだった。

 

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俺がフラれた瞬間を昔は地味だった後輩ちゃんが見ていた 蒼井青葉 @aoikaze1210

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