第28話 あるわよね?
水平線の向こうに沈んでいく夕日を眺めながら、俺は氷崎さんと一緒に住宅街を歩いていた。西ノ宮と識野とは途中で別れ、今に至る。
しばらくお互い無言だったが、氷崎さんが不意に立ち止まって俺の方を向いた。
「ねぇ、何か飲まない?」
彼女が指している指の方を見ると、そこには自動販売機があった。
きっと、何か飲みながらじっくり話をしよう、ということなんだろう。
「・・・そうだね。俺は、」
「えいっ!!」
俺が続きを言うより先に氷崎さんはチャリチャリとお金を入れてボタンを押した。そして出てきたものを俺に差し出してきた。
「缶コーヒー、でいいわよね・・・?」
「えっ・・・あ、ああ」
「何で分かったの、って顔してるわね」
氷崎さんは口許に手を当ててクスクスと笑っていた。いや、そりゃ驚くでしょ。
っていうか俺、そんな顔に出てたのか・・・
「あなたは記憶にないのかもしれないけれど・・・・実は私、中学の時、一度だけ君と話をしたことがあるのよ?」
「・・・・マジ?」
「ええ、マジよ」
うーむ、昔のことは大体思い出したはずなんだが中学の時に氷崎さんと話した記憶はない、気がする・・・・
俺が必死に思い出そうとしているうちに氷崎さんは紅茶のボタンを押して、自動販売機から取り出し、ボトルを手に持った。
「まぁ、憶えていないのも仕方のないことかもしれないけれど」
再び俺の方を向き、そう言った彼女の口許には笑みが湛えられていた。
「どうして?」
「だって私、今とは大分違う感じだったから」
「・・・・・どんな感じだったの?」
俺がそう言うと、氷崎さんは懐からスマホを取り出していくつか操作をし、それから俺に画面を向けてきた。
「本当は・・・ちょっと、恥ずかしいのだけれど」
画面を向けてきた彼女はそっぽを向いており、心なしか顔も朱に染まっているような気がした。普段はクールな氷崎さんの見せたそんな仕草に思わずドキッと胸が跳ねた。
けれどそれと同時に得たいの知れないもやもやとした感情が心の内から顔を出したような感じもした。
そんな感情を振り払おうと画面を見ると、そこには中学校の制服らしきものを着た、眼鏡をかけた少女が写っていた。
「私、昔はこんな感じだったの。今でこそ友達はそこそこいるけれど、このころはいつもイライラしてて辺りに殺気みたいなものをぶちまけていたと思うわ」
彼女の口から自嘲の笑みが漏れた。
た、確かに大分印象が違うな・・・・
髪は短いしところどころ跳ねている。目は怒ったように細められてるし眉間に皺も寄っている。この写真は一体、誰が撮ったのやら?
「ええっと、背景にも注目してほしいのだけれど・・・・」
「あ、ああごめん・・・」
確かに氷崎さん(中学生バージョン)ばかりに目がいって背景を見てなかった。
「ここって・・・・・」
「そうよ。あそこの競技場よ。この写真は凍也のやつが撮ってそれを私に送りつけてきたもの」
「じゃあ、まさか話したことがある、っていうのは・・・」
「もちろん、この競技場でのことよ」
「・・・!!」
え、マジで?俺、中学生氷崎さんと話したことあるのか・・・?
どうやら俺は本当に女子の顔を覚えるのが苦手らしい。
「まぁ、凍也が初めて私を君に紹介したときに二言三言話したくらいなのだけれど・・・」
氷崎さんはスマホを鞄にしまい、苦笑しながら続けた。
「だから、君が私を覚えていないのは無理もない話なのよ。ちなみに、君が自己紹介のとき、BOSSの缶コーヒーが好きだって教えてくれたのよ」
「えっ、俺、そんな自己紹介したの!?」
「ふふっ、そうよ。そのときは私、なんの反応もしなかったと思うけど、今思えばなかなか面白い自己紹介をしてくれたものよね」
中学生のくせにBOSSの缶コーヒーが好きとか。なにカッコつけて大人ぶってるんだよ。あああ、恥ずかしい。羞恥のあまり顔が熱くなってきた。
「あ、そうそう。私、凍也からはライバルがいるとしか聞かされてなかったし、君のことはただの他校の友達としか言われなかったから・・・・」
「あ、ああ。なるほど・・・・だから俺がそのライバルだとは知らなかった」
俺の言葉に彼女は微笑を浮かべながら首を縦に振った。
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
会話が途切れた。居心地の悪さを感じて手に持ったBOSSの缶コーヒーのプルトップを開けて一口流し込んだ。なぜだかわからないが、無糖のはずのコーヒーがほんのり甘く感じた。
太陽が遥か地平線の彼方に沈んで行っているというのに、気温はまだ高いからか額から汗が一滴流れていった。手に持った缶からは少しの冷気を感じ、気持ちいいなと思った。
缶から目を離して再び前を見ると、氷崎さんはじっと俺のことを見つめていた。その眼からは何かの意図を感じたが知る由もなかった。
「時間、まだいいわよね?」
再び口を開いた氷崎さんの口調は限りなく真剣な感じだった。俺はこくんと頷いた。
「ちょっと、着いてきて」
それだけを言って彼女は歩き出した。俺も後に続いた。
どこに行くのだろうか、と疑問には思ったものの、まぁどうでもいいか、と思い、なんとなく民家に目を向けた。家々には明かりが既に灯っており、人の存在を感じさせた。時折人の声も聞こえてきた。
再び前を向いたとき、そこには川を渡るための小さな橋があり、さらにその向こうには田んぼや畑が広がっていた。
「ここよ」
振り返って氷崎さんは言った。俺は橋の上に立って足を止めた。
「景色、いいな・・・」
思わずそう呟いた。俺たちが住んでいる地域は世間的に見れば都会だ。けれど、少し歩けばこういった自然の風景も見られるようなところでもある。川の水が夕日を浴びてきらきらとした光を放ちながらゆっくりと流れていた。
「私の話ばかりしてしまったけれど、」
声のした方に目を向けると、すぐ左隣に氷崎さんがいた。
「君には・・・・・あるわよね?」
「・・・・何が?」
少しばかり嫌な予感がした。氷崎さんは俺の眼をしっかりと見ながらこう言った。
「私に・・・いいえ、私たちに言うべきこと。もっと正確に言えば、隠していることが」
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