夢の記憶を消してくれ

etc

本編

 昼下がり、心療内科の診察室。

 眼鏡の青年は言いにくそうに口をパクパクさせていた。

 対面する医師は猫のような瞳の女で、彼が口を開くのを待っている。


「先生、夢の記憶を消してくれませんか?」


 肩を縮こませ、おずおずと言った。

 女医は目を細める。垂れた前髪を真ん中分けに直し、ふーむ、と唸った。


「夢の記憶ですかにゃ」


 おかしな語尾ではあったが、女医は青年の話を真摯に聞く姿勢だ。

 青年は鼻で長く息を吐いた。膝の上で指を組み、前のめりになる。


「毎晩、悪夢を見るのです」


「それはどんな悪夢なのかにゃ?」


 青年は顔をしかめ、下唇を噛んだ。


「起きた時は覚えていないのです。ただ、はっきりと悪夢を見たという実感がありまして」


「なるほど」


 女医は顎に手をやり、首を傾げた。


「覚えていない記憶を消してくれ、というのかにゃ?」


 青年は首を振った。

 それから両手で透明なお椀を抱えるように構え、


「いえ、すいません……。先程も言った通り、起きた時は覚えていないのです」


 脇に置くジェスチャーをした。


「というと?」


「忘れた頃にふと思い出して、酷い気分に苛まれるのです。ああ、あんな夢の世界は地獄だ。僕は知らない」


 青年はうめき声混じりの溜息を吐いた。

 心底うんざりした様子で、半袖なのに寒そうに指先をさすっている。


「無理には言わないにゃ。具体的に思い出すことはできそうですかにゃ?」


 女医はボールペンでメモ用紙に『悪夢』と書き、丸で囲んだ。


「はい……」


 青年は話を続けた。

 それは捉えどころの無い話で、情報は錯綜し、時系列は前後していた。しかし、矛盾は無いようだった。

 女医はメモ用紙を破り、パズルを組み上げるように話をまとめる。


「つまり、こうですかにゃ。あなたは夢の中では知らない土地に暮らしていて、そこでは毎日、電車に乗ってお仕事して遅くまで働かされてクタクタになって戻ってくる、と」


「ええ、ええ。その通りです」


 青年は二つ返事で首肯する。

 おかしな口調の女医はこれで仕事ができるようだった。


「まあ、夢の記憶を消すお薬を出しておきますにゃ」


「ありがとうございます!」


 女医はサラサラと手慣れた様子で筆を走らせ、処方箋を青年に渡す。

 青年はぺこぺこと頭を下げて診察室を出ていった。


「……それにしても夢の話に出てきた場所は聞いたことが無いにゃあ」


 女医は、ぐっ、と背伸びをした。


「どこなんだろう、神奈川って」

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