後悔の番号

草薙 至

後悔の番号

三十半ばを迎える今でも、忘れられず後悔している事がある。

 僕は町民のほとんどが、漁業関連に従事している田舎の漁港で生まれ育った。親も例にもれず魚を釣り生計を立てており、父は酒好きで豪気だった。男たるもの男らしくを地で行く父は僕にもそれを求めた。

 誰に似たのか、泳ぎは不得手で、船酔いもひどい。

 そんな僕は気合いや根性、精神論でたいがいの事は乗り切れると思っている父のことが苦手だった。

 小学五年生の秋が深まってきた頃、こじらせた風邪から肺炎をおこし、僕は隣町の病院に入院した。隣町へ行く道は一本しかなく、カーブの多い林道を抜ける。

 息苦しさと高熱で朦朧とし、両親の呼びかけに答えられない僕の様子に、父はひどく動揺し、助手席から「運転に集中して」と𠮟咤する母の声が響いていたことを覚えている。

 病室は四人部屋で、隣のベッドには同い年の男の子がおり、初めて入院する心細さも相まって、仲良くなるのに時間はかからなかった。

 

 彼の名前はハル。喘息で入院していて、お父さんは県の職員、毎日見舞いに来るお母さんは美人で、料理が得意なのだと言った。あの頃の僕にとっては、初めて会う外界の人で、ドラマに出てくる家族の様に見えた。

 

 強風で漁がない日、ハルが両親と病室を出ている間に父がきて、風邪くらい寝てれば治る、と考え、医者に診せなかった事を僕に詫びた。

 ハンドルを握る父の動揺は一人息子を亡くすかも知れないという怖さからきていたようで、そういう姿の父を初めて見た。少し照れくさそうに笑った父は、仲間と網を直すからと僕が好きな菓子パンを置いて帰って行った。

 ハルは部屋に戻ってきて両親とわかれると父親の自慢を始めた。彼は上機嫌になると少し自慢癖があった。

「お父さん新しい車買うんだぜ。仕事もちょっと偉くなるんだって。漁師って魚臭くなんないの? 恰好もダサいよな」

「臭くもダサくもないよ! ハルが食べてる魚だって父さんが釣ったかもなんだからな!」

 父の事は苦手だったが嫌っていたわけではない。言いようのない腹立たしさを感じた僕はそれ以降、口を閉じ翌日の午後には退院が決まった。


 病室を出る間際、ハルがメモ用紙を差し出し、そこには「昨日はごめん」の一言と電話番号が書いてあった。

 言葉が上手く見つからず、無言のまま受け取って病院を後にした。

 日常に戻ってから何度か電話の前に立った。が、一度もかける事はできなかった。

 その勇気が出せなかった。思い返す度に、もっと上手な言い方があったかもと後悔ばかりがつのり、自分の性格を悔やんだ。

 あの病院の裏山はもうじき美しい紅葉を見せる頃だ。すっかり色褪せてしまったメモ用紙は手帳に挟んだまま、まだ捨てられずにいる。

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