神崎ひかげVSメカ・ヨコヅナイワシ 帰ってきたメカ・横綱

武州人也

横綱の逆襲

「ああ~これほんとどうすりゃいいんだよ~……ってか病院の領収書どこ行ったっけ?」


 自宅のパソコンの前で、神崎ひかげは頭を抱えていた。朱色に染まった頬と床に転がっているビールの空き缶が、真昼間から飲んだくれていることを物語っている。

 彼女を苦しめている怪物の正体は、確定申告であった。退職した前職や臨時収入、それにハイイログマとの戦いで重傷を負い入院したことによる医療費などのせいで、彼女の確定申告は大いに難航している。確定申告にイラついて酒に逃げ、そのせいでアルコールが思考を阻害して作業が進まなくなる……そういった悪循環に陥っていた。


「あーもう駄目だ。ツマミ買ってきてからにしよ」


 神崎は財布をひっ掴むと、サンダルを引っかけ、覚束ない足取りのまま外へ出た。酒臭い息を吐きながら、彼女は最寄りのスーパーへと向かったのであった。

 最寄りのコンビニには見るも眩しい美男子の店員がおり、その店員に気があるというわけではないものの、何となくラフな恰好で行きづらい雰囲気があった。見知らぬ美男美女というのは、それだけでどこか眩しくて、乱れた身なりを見られるにしのびない。それに対して最寄りのスーパーは中年の主婦のパートタイマーが多く、その点である種の気安さがある。だから、この時の彼女は徒歩五分のコンビニではなくその倍の距離にあるスーパーを選んだのであった。


 酒臭に顔をしかめる店員をよそに、神崎はビーフジャーキーとスルメを買ってスーパーを後にした。エコバッグを忘れてきてしまったので、神崎は仕方なくズボンのポケットに買ったものをねじ込んだ。

 人気のない道を歩く神崎。その目の前に、何か空中をゆらゆらと浮いているものがあった。


「何だろう」


 よく目を凝らしてみると、それは細長い体をしており、ヒレのようなものがついている。どうやら大きな魚が宙を浮いているらしい。


「焼いて食べたらおいしいかなぁ……?」


 呑気によだれを垂らす神崎。やはり酔いは回っており、思考が鈍っているのは火を見るより明らかであろう。


 だが、彼女の夢見心地は、次の瞬間、雲散霧消することとなる。


 魚の口の中が、赤く光った。次の瞬間、足元に焼けるような熱を感じた。


 びっくりして足元を見た神崎。つま先の少し先のアスファルトに、まるでゴルフ場のホールのような丸い穴が開いていた。その穴から、白い煙が細く立ち上っている。


 ここにきて、ようやく神崎の酔いが醒めた。今目の前で宙を浮いているもの……あれはただの魚ではない。いや、空中を浮遊している時点でただの魚であるはずはないのだが。

 よく見ると、魚の体の七割近くは白銀に光る金属の装甲で覆われており、口の中には砲身のようなものが収められていた。


 その魚は、明らかに機械部品による改造を施されたサイボーグであった。


***


 裏社会における危険人物リスト第一種にその名が記されている限界酒乱OL「神崎ひかげ」

 彼女はこれまで幾度も危険な目に遭ってきたものの、その災難全てを真正面から打ち砕いてきた。一般人にあるまじき力を持つ彼女の命を狙う組織「青蜥蜴」は、今まで幾度か刺客を送り込んだものの、その全ては失敗に終わっていた。ナイアガラの巨大アナグマや殺人鬼を返り討ちにし、沖縄旅行では全長五メートルのイタチザメを撃退した後、アナコンダサイズの巨大ハブを討伐した。ヒトクイゲコトカゲという新種オオトカゲから友人の藤原を救い、葉問ようもんの詠春拳を受け継ぐ武人を打ち破った。ハイイログマとの死闘では流石に深手を負わされたものの、何とか生還し日常生活へと戻っていった。


 「青蜥蜴」のアジトの会議室では、連日のように組織の幹部たちが揃って話し合っていた。議題は勿論「神崎ひかげの討伐」である。ここ最近の彼らの関心事は、専らこの限界酒乱OLをいかにして討ち果たすか、ということであった。

 その席で、魏進ぎしんという、中国の少数民族出身の幹部が呟いた。幹部連中の中では中堅どころの年頃である。


「そもそも、奴の物語は新種の深海魚ヨコヅナイワシから始まったのではないか」


 そう、思えば神崎の物語は、バッグを食べたヨコヅナイワシの口を引き裂き、胃袋からバッグを取り戻したところから始まったのである。そのことは「青蜥蜴」の幹部の間での共通認識であった。


「それがどうしたというのだ。サメでも、オオトカゲでも、拳法家をぶつけても敵わなかった相手だ。今更半端な刺客をぶつけてもハブ酒にされるだけだ」

「始まりの者は、終わらせる者でもある。私の部族にある言い伝えだ」


 魏進は、低く重々しい声色で返した。そして、この幹部はリモコンを操作し、モニターにあるものを映し出した。

 

 そこには、体の殆どを機械に置き換えられた、あのヨコヅナイワシの姿があった。ヨコヅナイワシとはいうものの、全長二メートルに伸びた体の七割以上は装甲板に覆われており、顔の部分に至っては丸々機械と化していて、元の面影は全くといっていいほど感じられなかった。

 実はこの幹部、密漁を生業とする漁業ヤクザを動員して、密かにヨコヅナイワシの遺体を回収させていたのだ。その上で改造手術を施し、サイボーグ深海魚を生み出していたのである。


「この“メカ・ヨコヅナイワシ”が、あの女の物語に終わりをもたらす」


 こうして、サイボーグ化されたヨコヅナイワシが、神崎ひかげ抹殺のために送り込まれたのであった。


***


 夕暮れ時の住宅街で、神崎は宙を浮く魚から逃げ回っていた。彼女の足跡を追うように、地面に機関銃の銃弾が跳ねる。彼女を追いかける機械魚が、機銃掃射を仕掛けているのだ。

 彼女を追うメカ・ヨコヅナイワシは、まさしく全身が兵器とも言うべき存在であった。口の中にはレーザー砲を備え、顎下には対人機銃、体の側部には左右にミサイルが二基ずつ計四基装備されている。流石の神崎も、これには守勢に回らざるを得ず、逃げの一手しかとれずにいた。飲んだくれのOL一人の手に負える相手ではないのではないか……酔いの醒めた神崎は、いつになく弱気になっていた。

 やがて弾が尽きたのか、機銃掃射が止んだ。逃げてばかりではいられない。このまま逃げ続けていれば、無関係の第三者に被害が及ぶかも知れない。神崎は突き当たりで立ち止まり、民家の塀を背にして拳を握り込み、構えを取った。

 だが、メカ・ヨコヅナイワシの攻撃は終わりではなかった。体の側部に装備されたミサイルを二発、神崎に向けて放ってきたのだ。

 神崎の動きは素早かった。素早く身を翻して走り出し、ミサイルを回避した。ミサイルは塀に着弾し、閑静な住宅地に、まるで戦地のような爆音が響き渡った。当然、ミサイルの直撃を受けた塀は見るも無残に吹き飛ばされていた。


***


 逃げる神崎と、追いかけるメカ・ヨコヅナイワシ。それらをビルの上から双眼鏡で眺めるおかっぱ頭の美少年の姿があった。「青蜥蜴」の幹部にその名を連ねている尾八原充治おやわらじゅうじである。小学校高学年ほどの少年と見紛う容姿をしているものの、その実年齢は百二十歳を超えている。彼自身が父から開発を引き継ぎ完成させた不老長寿の薬を服用することによって、肉体の老化を止めているのだ。

 

「若造の玩具オモチャごときであの女が倒されるものか」


 呟いたその一言こそが、充治の偽らざる本音であった。戦況を見る限り神崎の劣勢ではあるものの、充治の目にはメカ・ヨコヅナイワシがこのまま勝利する未来が見えなかった。

 とはいえ、万が一、ということもあり得る。メカ・ヨコヅナイワシの繰り出す攻撃の一つ一つが必殺の威力を持つことは確かだ。機銃も、レーザーも、ミサイルも、隠された秘蔵武器も、生身で受ければ命はない。何かの間違いで一発でも被弾してしまえば、即ゲームオーバーなのだ。

 充治の心境は複雑であった。神崎の討伐は組織にとって最重要課題である。しかし、玩具ごときにこのまま彼女が討伐されてしまい、彼が若造と呼んだ魏進の手柄となるのは面白くなかった。とはいっても、ここでメカ・ヨコヅナイワシの邪魔をするほど、充治は利己主義な人間でもない。

 

「どのみち、玩具にやられるようじゃあその程度だ」


 両者の戦い、じっくり見させてもらおう……見た目年齢の十倍の実年齢をしているこの美少年老爺は、酒乱OLとサイボーグ化された深海魚の戦いに静観を決め込むこととした。

 

***


 突き当たりを曲がった先は、一本道であった。身を隠せる場所はなさそうである。そして神崎を追って角を曲がったメカ・ヨコヅナイワシが、彼女と向かい合って口の中のレーザー砲を向けている。

 メカ・ヨコヅナイワシは、天を仰ぎ見て吠えた。まるで、自らの勝利を確信しているかのように。横綱という名前は人間が呼んでいるにすぎないものだが、事実この種は駿河湾の頂点捕食者として君臨している。だから、どんな相手にも負けてはならない……そんな矜持が、この魚にもあるのかも知れない。


 この機械魚は何故現れたのか……以前、神崎はバッグを食べた魚の口を裂き、バッグを体内から取り出したのを思い出した。今思えば、可哀想なことをしたかも知れない。口を裂かれて陸に揚げられた魚が生けてゆけるはずもないのだから。だとすれば、これは復讐のために蘇った悪霊のようなものだろうか。

 だといって、このまま大人しく殺されるわけにはいかない……そう思った神崎は、懐からスキットルを取り出した。ちょっとした外出であっても、神崎はこの金属製ボトルを肌身離さず持ち歩いている。それほどまでに、彼女の日常生活にはアルコールが食い込んでいた。

 何故だかアルコールが入っている時の方が、戦闘時におけるある種の嗅覚のようなものが研ぎ澄まされる。そのような経験則が彼女にはあった。思考が鈍る分、雑念に惑わされずに済むからなのかも知れない。

 スキットルを傾け、体内にアルコールを取り入れる。単なる毒物でしかない物体であるが、神崎にとっては肝臓への負担と引き換えにいざという時力を貸してくれるものでもあった。


 神崎は、空っぽになったスキットルを投げつけた。愛用の品であったが、命には代えられない。

 恐らく、投げつけられたスキットルを手榴弾か何かと勘違いしたのであろう。メカ・ヨコヅナイワシは、レーザー砲の狙いを変更し、放物線を描いて飛んでくるスキットルにその砲口を向けた。そこから放たれた赤い光線は、宙を舞う金属製のスキットルに穴を開けてしまった。

 その時できた一瞬の隙を、神崎は見逃さなかった。素早く距離を詰め、サイボーグ魚の顎下に潜り込んだ。


「限界酔拳!」


 アルコールが回れば回るほど威力を発揮する彼女の必殺拳「限界酔拳」。彼女は強烈なアッパーカットを繰り出し、メカ・ヨコヅナイワシの下顎に叩き込んだ。下顎の対人機銃は粉々に打ち砕かれ、大きく後方にのけ反った。

 しかし、メカ・ヨコヅナイワシもただではやられない。後方にのけ反りながら、今まで披露してこなかった第四の武器を繰り出した。

 メカ・ヨコヅナイワシの背中にある金属製の背びれ……これが、神崎に向けて発射されたのだ。それはブーメランのように回転しながら高速で迫った。当たれば生身の人間の体など、真っ二つに切り裂いてしまうであろう。


 だが、神崎の反応は素早かった。まるで真剣白刃取りのように、両手の掌で挟むようにしてブーメランを受け止めてしまったのだ。

 第四の秘蔵武器を防がれた形となったメカ・ヨコヅナイワシ。しかし、この魚はそれでも冷静に対処した。すかさず残った二発のミサイルを発射し、追撃にかかったのだ。


「いい加減しつこい!」


 神崎はサイドスローのように、横向きでブーメランを投げ返した。発射されたミサイルのうちの一発は、空中でブーメランに当たり爆発を起こした。


 爆煙が、両者の間の視界を遮った。その煙も、ほどなくして晴れる。


 煙の向こうから現れたのは、再び高速で接近する神崎であった。


「これで決まりっ!」


 急接近する神崎……その手には、もう一発のミサイルが握られていた。

 メカ・ヨコヅナイワシの口の中から伸びたレーザー砲の砲口が、赤く発光する。機械の魚に表情などないが、どこか慌てた様子を感じさせる動きであった。

 レーザーが発射される、まさにその直前、神崎はすれ違いざまにミサイルをレーザー砲の中に突っ込んだ。


 これが、決定打となった。神崎の背後で、レーザーに誘爆したミサイルが爆発した。住宅街に似つかわしくない爆音が鳴り響き、メカ・ヨコヅナイワシの頭は爆裂した。爆風を背で受けながら、限界酒乱OLは堂々と立っていた。


「……あれ、そういやツマミどうしたっけ……」


 神崎はズボンのポケットに手を突っ込んだ。小銭入れは入っていたが、スルメとビーフジャーキーはなくなっていた。きっと、どこかで落としたのであろう……神崎は来た道を戻りながらスルメとビーフジャーキーを探したのであった。


***


「え、これもらっていいの? ありがと~」

「あんまり飲みすぎないようにね?」

「ふぁ~い」


 メカ・ヨコヅナイワシ襲撃から暫く後のことである。神崎は自宅にやってきた藤原に、誕生日プレゼントを渡された。

 包みを開けて、プレゼントの正体を確かめる。藤原のプレゼントは、新しいスキットルであった。


 前に愛用していたスキットルは、メカ・ヨコヅナイワシとの戦いで失ってしまった。神崎はこれをいい機会だと捉え、スキットルを持ち歩いていつでもどこでも飲酒に興じるような習慣を捨て去ろうとしたのであった。

 けれども、そうした殊勝な心掛けを、この限界酒乱OLが継続できるはずもなかった。スキットルがないとどうしても落ち着かない。数日経つ頃には、もうすっかり取るもの手につかずといった様子になり果てていた。当然、確定申告の進捗もお察しである。

 そうした彼女を半ば呆れた目で見ていたのが、親友の藤原である。確定申告の手伝いを頼まれて渋々神崎の元を訪ねた藤原は、神崎の落ち着かない様子を見かねて、誕生日には新しいスキットルを買ってやろうと思い至ったのだ。

 とはいえやはり、藤原自身は神崎の飲酒習慣を決して好ましいものと思ってはいなかった。神崎の肝臓に相当な負担がかかっているであろうことは誰の目から見ても明らかであり、そのことを心配しないほど藤原は薄情ではない。


「本当にありがとうタマちゃん」

「どういたしまして」


 本当に、よい友を持ったものだ。藤原の誕生日になったらプレゼントどうしようか……神崎はスキットルの入った箱を撫でながらうっとり微笑んだ。


***


「駄目だったではないか。大体、ヨコヅナイワシなどただの深海魚。陸で戦わせるには荷が勝ちすぎていたのではないか?」

「その通りだ。中途半端な刺客を送り込んでは、奴に無駄な警戒心を抱かせるだけではないか」


 「青蜥蜴」の幹部たちの会議で、メカ・ヨコヅナイワシを送り込んだ魏進は他の幹部連中から突き上げを食らっていた。当の魏進は、返す言葉もない、と言った風に押し黙っている。

 そんな中で、魏進に対する非難に便乗せず、一人腕を組んで黙している者がいた。充治である。彼はじっと、何か考え事をしているような素振りで、難しい顔をしながら押し黙っていた。

 結局、会議が終わるまで、充治は一言も発言しなかった。

 会議を終えた充治は、自宅の地下に備えられた水槽の前に座っていた。その宝石のような綺麗な瞳には、水槽の中のサメたちが映っている。オグロメジロザメやトラフザメ、シロワニ、レモンザメ、アカシュモクザメなど、多種多様なサメが悠々と水槽の中を泳いでいる。


 ――本当に、神崎は殺せるのだろうか。


 充治は、自信を喪失しかけていた。組織は打倒神崎ひかげに気炎をあげているものの、無駄な消耗戦に終わってしまうのではないかという懸念がこの美少年にはある。

 とはいえ、組織はこれきしで諦めはしないだろう。これからもきっと、あの酒乱OLとの戦いは続くのだ。そう考えながら、充治はしばしの間気ままなサメたちを眺めていた。








 この後、確定申告に辛勝した神崎は、琵琶湖で巨大な人喰いアリゲーターガーに遭遇し死闘を繰り広げる……ことにはならない。

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神崎ひかげVSメカ・ヨコヅナイワシ 帰ってきたメカ・横綱 武州人也 @hagachi-hm

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