給付金に異を唱えるヒモ子ちゃんが自分の力で歩き始める話

マーチン

給付金に異を唱えるヒモ子ちゃんが自分の力で歩き始める話

 平日の昼下がり、私、金子養奈かねこやすなは同棲している恋人の川名美緒桜かわなびおらとショッピングモールの喫茶店で休憩していた。どうしても今日見たい映画があるから付き合って! と美緒桜にせがまれた私は急遽会社の休みを取ったのだ。


 会社のみんなには悪いけど、彼女が明るい色のゆるふわなボブヘアを揺らし、少女のような低い鼻とクリっとした大きな目で上目遣いで迫られたら断れる人類が果たしているだろうか(反語)! 目の前でハムスターのように頬を膨らませてクッキーを食べる彼女が本当に愛おしい。かわいい。


 何かとストレスの溜まるこの社会、美緒桜びおらと過ごせるこの時間だけが私の癒し。恥ずかしくて面と向かっては言えないけど。あ、ミルクティーが熱かったのか、カップを片手に舌を出してる。ほんと、かわいい。すき。


「もう、美緒桜ったら、はいこれ」

「はりはとお、やふなひゃん(ありがとう、養奈ちゃん)」


 美緒桜は私から手渡されたお冷で口を冷ます。まったく、本当に子どもなんだから。


 それにしても、いつもは「作品のアイデアが消えないうち!」とか言って所かまわず小説のアイデアのメモを始めるのに、今日はおとなしいな。それにかわいい顔に似合わず神妙な顔で私を見つめている。ひょっとしてスランプかな? あ! それできょう気分転換に私を誘ったんだな。がんばれ! 美緒桜!


「ねえ、養奈ちゃん」

「ん? なぁに?」


 美緒桜が話しかけてきたことで私はブラックのアイスコーヒーを置き、向き合う。


「わたしたち、同棲してどれくらいだっけ?」

「んーっと、五年前に大学に入ったときからルームシェアしてて、ハタチになって付き合いだしてからからを同棲と言うなら三年くらいじゃない?」


 三年も経っているのに、美緒桜が顔を真っ赤にさせて私に告白してきたのが昨日のことのように思い出されて、私は思わずにやける。私の永久保存版の記憶だ。


「それで、養奈ちゃんだけが就職して、わたしを養い始めたのは?」


 美緒桜は申し訳なさそうな顔で私を見つめる。あぁ、そういうことか。


「一年前からでしょ。でも、それは美緒桜が普通の就職じゃなくて作家志望だったからでしょ。私は夢を追いかけている美緒桜が好きで、その応援をしたいの。卒業してからの同棲も私からもちかけたでしょ?」


 そんなこと気にしなくて良いのにね。むしろ私を癒してくれる、大切なパートナーなんだから。養ってあげているなんてつもり、全然ない。


 だけど美緒桜は浮かない顔でうつむいたままだ。


「そう、だよね……」

「そうそう!」

「だけど私、一年も養ってもらって、執筆活動に充てる時間も、たぶん他の作家さんや作家志望さんよりもいっぱいあって、だけど全然入賞もできなくてね」

「大丈夫大丈夫! 美緒桜には才能あるもん! 運が悪かっただけだよ、きっと」

「養奈ちゃん……」


 美緒桜が顔を上げ、私の目を見つめる。かわいらしいどんぐり眼の奥には、執筆中にこっそりと覗いた時と同じかそれ以上の真剣さと、どこか寂し気な雰囲気を感じる。美緒桜は少し冷めて適温になったミルクティーを口にし、語り始めた。


「ねぇ、養奈ちゃん。最近感染症絡みで、一律の特別定額給付金だったり、収入が減った人たちに持続化給付金が配られたりしたじゃない」

「え? そ、そうね?」


 急に何の話? てか、美緒桜がそんな時事ネタ持ってくるの、出会ってから五年間も経つのに初めてでビックリしたんだけど。自分の好きなことと、自分と、自分の周りにしか興味ないと思ってた。目を見開いていたであろう私をしり目に、美緒桜は話を続ける。


「それに、緊急事態宣言とか言って、飲食店には時短要請して、応じたら協力金が出たりするじゃない」

「そうだけど、それがどうかしたの?」

「養奈ちゃんはそれ、どう思う?」

「どうって……」


 美緒桜が一体何を話したいのか全然分からない。どう答えれば良いんだろう。特別定額給付金は嬉しかったけど、それ以外は私自身にはあんまり関係ないし、正直よく分からない。考え出した私を見て、美緒桜は小さくため息をつく。


「養奈ちゃんは、どうして政府はお金を出すんだと思う?」

「そりゃ、その人たちが困っているからでしょ? 協力金だって、時短要請で落ちた売り上げの分の補填でしょ?」

「そうだよ。ニュースでも言ってるね。でもね、わたしはそれで何が引き起こされるのか、その先の議論を聞いたことが無いの」

「その先の? 議論?」


 てか、美緒桜ニュースなんて見るんだ。


「養奈ちゃん、わたしにはね、政府がお金を出すのは『お金を渡すからその仕事を続けてね』と言っているようにしか見えないの」

「そりゃそうでしょ。その仕事を続けたい人に、そのためのお金が行き渡る。良いことづくめじゃない」

「短期的にはね。わたしもそう思うよ。だけどね、長期的にはどうかな?」

「長期的?」

「実際今だって、飲食店の中にはお弁当のテイクアウトを始めたり、真空パックして通販を始めたり、新しい業態に変化しているところもある。ううん、変化じゃなくて進化と言った方が良いかもしれない。そして、給付金にはその進化を遅くする効果があると思うの」

「遅くするって、なんで?」

「変わらなくても、死なないから。今のままでも、お金が貰えて、生きられるから」

「……」


 死ぬとか生きるとか、普段のぽわぽわした美緒桜からは想像できない言葉が出てきて、驚きを超えて困惑してきた。美緒桜はクッキーを一口かじり、再び真剣なまなざしで私を見つめる。やだ、カッコイイ……、けど、私はいつものかわいい美緒桜の方が好きだな。どっちが本物の美緒桜なの?


「養奈ちゃん、どうやったら儲かるか考えずに、仕事をしなくてもお金が貰える。これって、まるで社会主義じゃない?」

「社会主義……?」

「社会主義は、資本は国のもので、国がそれらを管理して平等にする体制。社会主義は一生懸命働いても給料が上がらなかったから、みんな怠けちゃって経済成長できなかった。給付金はそこまではならないけど、将来の増税でお金を稼げる人から前借りして、現在の稼げない人に渡しているから、似たような構図。進化しなくても生きていけるなら、変わろうとする人は減っちゃう」


 何の話をしているのか全然分からなくて、ついに私は声を上げてしまった。


「だ、だから? それが私たちに関係ある!?」

「あるよ。おおありだよ」


 どこが!?


「わたしはね、確かに養奈ちゃんに住むところを貰って、食べ物をもらって、お小遣いも貰って、本当に助かってるんだ。だけどね、そのせいで一生懸命さがなくなってきている気がするんだ。ちょうど、給付金のように。社会主義のように」

「そんなことないでしょ。いつも、あんなに夜遅くまでがんばってるじゃない」

「そんなことあるんだよ。夜遅くにがんばって見えたのは、昼夜逆転してるだけ。全然集中できない。それに、養奈ちゃんが会社に行っている間、眠ってるんだから」

「そんな……」

「学生時代、講義に卒論にバイトにと時間とお金に追われてたあの頃の方が、時間もお金もたっぷりある今よりもずっと執筆活動に集中できた。だからね」


 よく見ると美緒桜の目が潤んでいる。口を開く。やめて! その先は聞きたくない!


「わたしたち、別れましょう」

「いや!」


 なんで! どうして! 私、いやだよ……。


「別に別れなくてもいいじゃない……。付き合ったまま、一緒に住んだまま、お小遣いを打ち切って生活費を折半する形にすれば、それでいいじゃない……」


 私の声が涙に震えてて、弱々しくて、まるで自分のものじゃないみたいに感じられる。美緒桜も目元にハンカチを当てている。去年の誕生日に私のプレゼントした、ハンカチを。自分も泣くなら、別れなくてもいいじゃない。


 美緒桜は目元からハンカチを目元から戻し、大きな意思のこもった眼で私を見つめる。


「ダメだよ……。このままじゃわたし、もっとダメになっちゃう。だから、養奈ちゃんに並びたてると思えるその日まで、距離を取りたいの。最後までわがままでごめんね」

「いや、いやっ……美緒桜……」


 私が涙をぬぐって美緒桜を見やると、左手の内側に着けたピンク色のかわいらしい腕時計を見ていた。一昨年の、付き合って一周年記念に私からプレゼントした腕時計を。


「もうこんな時間。実はね、もう荷物をまとめてて、引っ越し業者さんも呼んでいるの」

「え……」

「それじゃ、さようなら。今まで本当にありがとう」


 美緒桜はテーブルに千円札を置き、ガタッと席を立ち店の外へ歩き出した。


「待って! いかないで! 美緒桜!!」


 しかし声は届かない。いや、届いているけど美緒桜が振り向かないだけだ。私もすぐに追いかければ追いつけそうだけど、だめ、あまりの衝撃で身体が動かない。涙が止まらない……。




その日、私が最後の力を振り絞って部屋に戻ると、当然のように美緒桜は居なかった。美緒桜の部屋もがらんどうだ。電話ももちろん繋がらない。再び脱力してしまい、ダイニングの美緒桜の座り、突っ伏して動けなくなってしまった。


 ああ、美緒桜、かわいい美緒桜……私の癒し……。一体どうして私から離れてしまったの? あなたは一体、今どこに居るの?


 手がかりは全くない。こうなったら、こうなったら……!


◇◇◇


 養奈ちゃんの元を離れて早数年、わたし、川名美緒桜かわなびおらはついに担当がつき、商業デビューに向けて執筆をするにまで至った。最初はとっても不安で、養奈ちゃんのありがたさが身に染みて、何度も心が折れて養奈ちゃんのところに戻ろうと思ったけど、我慢して良かった! ついにここまで来たんだ! これがまぐれじゃないと確信できたら、養奈ちゃんと再会するんだ!


 だけど、今日は息抜き。同人誌即売会に来ている。カタログで気になったのはワナビの女の子を養うお姉さんのお話。自分の体験と重ね合わせて感情移入できそうで、とっても楽しみ。作者の「奈子金養」って人、初めて見る名前だけど、どんな人なのかな。

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