第2話 笑ってはいけない

 ガラガラ……寺院控室の引き戸を開け、中に入る。


「失礼いたします。先生、今日はよろしくお願いします」

「ちょっと、あんた、ミルクが欲しいんじゃが」


 そう言ったのはセクハラジジイ、もとい、前住職。住職のお父さんだ。テーブルにはコーヒーが出されていたが、フレッシュが添えられていない。どうやら忘れたらしい。


「申し訳ございません。すぐお持ちします」

「いやいや、あんたのをくれ」


 そう言って、前住職は私の胸を指さした。このセクハラジジイ! でも、ここは我慢。お寺様は絶対に怒らせてはいけないのだ。もし、怒らせて、この葬儀場には二度と来ないと言われたら、その寺のすべての檀家さんの葬儀や法事などができなくなり、会社に大変な損害を与えることになるからだ。


「申し訳ございませんが、あいにく貧乳でございますので」


 ガハハハハ……


 ジジイも住職も笑った。意外にウケている。目には目を、エロにはエロを。私は何とかかわし、打ち合わせを終わらせることができた。あれ? 貧乳でウケた? ちょっぴり複雑な気分ではあるが、それどころではない。時間がない。


 式場に戻り、香炉の炭に火がついているか、マイクのスイッチが入っているか最終確認する。今日は弔電も多いが、参列者も多い。親族は子供からお年寄りまで50人ほど、息子さんたちの会社の人もたくさん来られているから、かなりの数だ。


 うわ! もうこんな時間! ギリギリだ。今日は弔電が多いせいで時間が足りないのに、参列者はなかなか席に座らないし、いつまでもおしゃべりしてにぎやかだ。


「まもなく開式でございます。携帯電話をお持ちの方は……」


 アナウンスと、アシスタントさんたちの懸命な案内のおかげもあり、会場はやっと静かになった。


 課長が始めろとサインを送ってきた。真面目な顔をされる方がウケる。マキちゃんがセクハ……じゃなくて導師を呼びに行った。


「導師、ご入場でございます」


 住職と前住職が前後に並んで式場に入ってきた。私は深々と90度の礼でお迎えする。お寺様は大事なのだ。今日は浄土真宗。先に剃髪ていはつの儀をしてから開式と聞いている。


 導師をつとめる住職が先頭で、厳かに歩いてきた。副導師の前住職セクハラジジイは足腰が弱いのでゆっくりついて来た。


 やっとたどり着いたジジイが椅子に座ろうとする。あっ! あぶない! おしりを踏み外して床にしりもちをついてしまった! コントじゃないんだから。住職が慌ててジジイを助け起こす。やはり親子。立てた。どうやらケガはなさそうだ。


 ジジイを座らせた後、住職が剃髪のため、棺の頭の方へ歩いて行ったが、ハッと立ち止まった。私には住職の頭の上に「!」マークが見えた。いや、見えたような気がした。住職は慌てて寺院控室に戻っていき、しばらくして申し訳なさそうに帰ってきた。最初の厳かさはどこかへ飛んで行ってしまった。


 どうやら剃髪の儀に使う剃刀かみそりを忘れたらしい。剃髪とは仏門に入るため、髪をそる儀式だ。真似だけだが、剃刀がないと髪は剃れない。一瞬、課長のハゲ頭が浮かんできた。ブゲ!



南無帰依仏なむきえぶつ……」


 剃髪の儀は無事終わり、住職が中央の曲録キョクロクに座ろうとするが、もともと曲録は座りにくいうえに、ドーナツクッションがずれるので、背が低い住職は、なかなか座れない。しばらく格闘して、住職のお尻が無事ドーナツクッションに収まった。


「ただいまより、故、脇野金太郎様の葬儀を執り行います。ご一同様合掌。礼拝らいはい。お直りくださいませ」


 お経が始まる。住職と前住職、二人のお経は強烈な不協和音だ。お経は音楽のようにメロディーになっている。しかしこのふたり、親子そろって、大変な音痴で、音程は全く無視、しかも微妙に音程のずれた聞きづらい不協和音、しかも、ジジイはダミ声。私はこれを「ジャイアンリサイタル」と呼んでいる。30分ちょっとの辛抱タイムだ。……と思ったら、参列者が多くて、焼香がなかなか終わらない。アシスタントさんたちが全力フル回転で案内したが、間に合わず、お経が一つ追加になってしまって、40分の我慢大会になった。


 檀家さんたちはお盆もお彼岸も法要もこのお経を聞かないといけないから気の毒に思う。


 やっとお経が終わった。声がやんで静かなだけなのに、空気がきれいな気がする。


「導師、ご退場でございます」


 何事もなかったように厳かに退場された。私は深々と90度の礼で見送る。そして地獄の弔電拝読。


「ここで、これまでに寄せられましたご弔電を拝読させていただきます。なお、順不同でございますことをご了承くださいませ」


 その時、私を笑わせようとした課長の顔が浮かんできた。


 ~地獄だね。ニシキューシューリョキャキュテチュドーカブシキガイシャ! 頭ペチン~


「ブゲ!」


 ヘンな咳、なんとかマイクには入っていない。セーフ!


 弔電のうち、文章を読むのは5通。あとはお名前だけのご紹介。最初の三通はニシキューシュー旅客鉄道リョキャキュテチュドー株式会社、残り2通はABCソリューションショリューションシステム株式会社ソリューション事業部ソリューション課。


「ご尊父様のご訃報ふほうに接し、謹んで哀悼の意を表しますとともに、故人のご冥福をお祈り申し上げます。西九州旅客鉄道株式会社取締役社長……」


 5通、なんとかクリア! あとはお名前だけ読めばいい。


「これよりはお名前のみ拝読いたします」


ここからは「西九州旅客鉄道」も「ソリューション」も、一通だけうまく読めば次からは「同じく」で乗り切れる。数が多いので、山が崩れそうだし、めくるのも緊張するが、そばでアシスタントさんが助けてくれるのが心からありがたい。私は嫌な汗をかきながらすべて読み切った。ふ~。


「それではここで、ご遺族、ご親族を代表なさいまして、喪主、脇野圭一郎様よりお礼のごあいさつでございます」


 喪主様はガチガチに緊張していて、気の毒なくらいだ。マイクの前に立つと、参列者の視線が喪主様に集まった。一生懸命広げているカンペがふるふるしている。喪主様、大丈夫ですか? その時。


 ブーッ


 静かな式場に、おならの音が響き渡った。かごに寝かされている、赤ちゃんだ。おっさんみたいな顔をしてよく眠っている。誰も笑わない。私は司会台の陰で音響機器を触るふりをして、笑いを押し殺した。


 喪主様は、カンペの棒読みではあるけれど、緊張しながらもなんとか読み終え、ふるふるとカンペを閉じ、最後の一言を発した。


「ほ、本日は、ありがとうございました!」


 ゴン!


 スピーカーから音が響く。


喪主様は、精いっぱいお辞儀をした瞬間、おでこをマイクにぶつけてしまったのだ。 こんなのはお約束、お約束。よくあること……なんだけど……ブゲ! 勘弁してよ。私は必至で次の言葉を声にした。


「それではこれよりお別れのご準備に入らせていただきますので、しばらくそのままでお待ちくださいませ」


 スタッフが棺を動かし、お供えの花を摘んでお盆にのせる。しばらくしてお別れの準備が完了した。


「それではこれよりお別れでございます」


 喪主様から順にお花を棺に手向けてお別れをしてもらう。次々と参列者を案内し、終わられた一般の方は式場の外で待ってもらった。


 会場の外に出た参列者は急にリラックスしておしゃべりしていた。


 葬儀会館の外に目をやると、霊柩車、マイクロバス2台が待機し、運転手さんたちが真面目な顔で立っているのがガラス越しに見える。出棺の準備が整っていることを確認するのを忘れてはならない。そこに課長がやってきた。


「ねえねえ、あの運転手さん、漫才の海原はるかかなたのバーコードの人にそっくり」


 いつもタクシー会社にバスを頼むのだが、初めて見る顔だった。確かに激似。バーコードの髪を相方がフッと吹いて飛ばす漫才。なのに、神妙な顔をしている。


「海原はるかかなた」


 また課長が笑わせようとして、相方のようにフッと息を吹く真似をした。風が強くて運転手のバーコードがふわっと反対側になびいた。必死で元に戻そうと手で撫でつけている。……苦しい。


 気を取り直し、式場を見渡すと、参列者は一通りみんなお花を手向けた様子。最後はご親族だけ棺の周りに集めて、故人のお顔をしっかり心にやきつけて頂いた後、合掌して棺の蓋を閉じる。私は棺の上側、故人の頭サイドに立った。御親族が集まったらホロリとくる最後のトークを言って合掌するのがいつもの流れだ。


「それでは御親族の皆様、お棺の周りにお集りくださいませ」


 最後のトークは『戦中戦後の激動の時代を超え……』にしようと考えた。この年代の方は、戦後生まれの私達には想像できないくらいのご苦労をされており、喪主様のお話から、この方も例外ではないからだ。


 ご親族が集まり、棺を囲んだ。今だ。最後のトーク。私が口を開こうとしたその時。左側に立っているおじいさんのズボンがストンと落ち、くたびれたステテコが丸見えになった。


「おじいさん! おじいさん!」


 妻と思われるおばあさんが大慌てでズボンを上げようとしているが、上がらない。ドリフのコントか?! なぜ落ちる?! おばあさんの慌てっぷりが、笑いの火に油を注ぐ。


 私は親族の顔を見渡したが、誰も笑わないどころか真面目な顔で棺の中の故人を見ている。


 ダメ。笑っちゃダメ。でも……。必死にこらえたが、しゃべると笑いそうだ。でもこのままでは、あまりに間が長い。顔がゆがむ。泣き顔に見えるよう、必死で抑えながら、口を開いた。考えていたトークは無理だ。


「それでは、最後に合掌をお願いします」


 最小限のトーク。御親族が手を合わせ、無事に棺の蓋を閉じた。アシスタントさんが喪主様に遺影写真を渡し、葬列の先頭に案内している間に私は司会台へ。


「それでは奥様との思い出の曲でご出棺でございます」


 お預かりした音楽をオン。


 ♪ズン、ズンズンズンドコ♪


『きよし~』というアシスタントさんの合いの手を思い出した。私は顔の筋肉をひきつらせつつ、神妙な顔をつくり、会館の外に出る。霊柩車の横に立って待っている運転手のカツラが不自然にずれていた。頼むから高いカツラを買ってくれ。


 そこからは必死過ぎてあまり覚えていない。とにかくこらえにこらえて出棺! 霊柩車がパーーーーッ……というクラクションを鳴らして出発するのを、90度の礼で見送る。下を向いた私の顔はムニムニと笑いを我慢し続けていた。


 霊柩車が角を曲がり、見えなくなった。


「本日はご参列、誠にありがとうございました」


 私は会葬者にお礼のアナウンスをして、大急ぎで式場に入り、扉を閉めた。


「アハハハハハハハハハハ」


 笑いが止まらない。どうやっても止まらない。こらえた分だけ止まらない。参列者が神妙な顔をしていた分、余計におかしかった。


 それから3日間、私は四六時中、この式のことを思い出して、笑いが止まらなかった。



 おしまい



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爆笑!お葬式 楠瀬スミレ @sumire_130

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