第1話 僕が爆死する話(物理)- 10 -
タイマーを見ると、あと、三分もなかった。
無駄だった、と僕は思った。
無駄だったっんだ、僕の人生は。
なんの価値もないんだ。怒っても。
誰も僕の怒りなんか、憎しみなんか、気にしない。
そんなの全然意味ないんだ。
周りを見渡してみる。
そういえばさっきから悲鳴が聞こえていた。ざわざわという、人々のざわめきが聞こえていた。人々は僕を中心に、一定の距離を取って僕をじっと眺めていた。ビルの上の方の階で、携帯を構えて動画を撮っている人がいる。写真を撮っている人がいる。
ああ、駄目だ。無意味だって、わかっているのに。全然価値がないって、わかっているのに。
僕は、泣き叫んだ。
「外してくれぇ!」
腕を振り回して、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにして。
「外して、外してくれよぉ! なんで誰も助けてくれないんだ! お願いだからどうにかしてよぉ!」
そんなことを言っても、やっぱり駄目だった。
誰も、近づいてきてくれさえ、しなかった。
残り時間は、一分を切った。携帯で両親に礼を言う時間も、もうない。思いつくのが遅かった。駄目だ。もう駄目だ。死ぬ。死ぬ。
それでも、それでも僕は――。
何を思ったのか僕は、地面に突っ伏した。両手と、額を地面につけて、枯れた喉を振り絞ってうめいた。
「お願いします、この手錠を外してください。お願いします」
土下座、だった。
僕は世界に、土下座した。
死にたくなくて、生きていたくて、誰でもいいから助けてほしくて。僕は頭を下げたのだ。
意味のない謝罪。あてのない願い。
受け取る物がいない主張、祈り。
遠巻きに僕を眺める人たちは、微動だにしない。なんのリアクションも起こさない。携帯を向けるか、目を背けるか、逃げるかの、自分の都合で各々動いている。
でも、それでも――僕の声を聞いている人は、いた。数十秒後には爆発して死ぬ――そんなどうしようもない状態の僕の言葉に、返事をしてくれる人が、確かにいたのだ。
それが、土下座のおかげだったのか。
願いが誰かに届いたのか、なんなのか。
僕にはわからない。
返事をしたのは――小さな女の子だった。
「んもう、うるさいなあ」
ハッとして、僕は顔をあげた。
ものすごく近くから、声が聞こえた。すぐ耳元から、幼い女の子の、澄んだ高い、声が聞こえたのだ。
見れば、僕の横に、少女が立っていた。
白い服を着た女の子だった。とても背が低い、膝立ちになった僕の目線と同じくらいのところに頭がある。そんな小さな、女の子。白い――髪の毛までも白い、幼い女の子が、不機嫌そうな顔をして、僕の方を見ていた。
「え?」と僕が何か言おうとする前に。
「そんなにいわなくても聞こえてるよ。ちょっとまっててよ、もー」
そう言って僕の手錠のわっかの部分を両手でつまんで――。
パき、と。
手錠を半分に、割った。
「はい、これでいいでしょう?」
こともなげに、ぽいっと手錠を投げ捨てながらそう言って。
「じゃあね。あんまりクヨクヨしちゃダメだよ? かっこわるいからね」
そんな薄っぺらいアドバイスを言って、女の子は消えた。
いきなり、嘘のように、なんのエフェクトもなく。一気にゼロになるようにして、消えた。
いつの間にか止まっていた呼吸が、ちょっとずつ、再開される。はあ……、はあ……、はあ、はあ、と。吸って、吐いてが繰り返される。空にヘリコプターが飛んでいる音がした。
い、いまのは、誰だ……。どこに行った? どうして手錠が外せた? 頭の中でぐるぐるぐるぐる、いろんな疑問がめぐってまわる。
あの女の子。とてもちっちゃかった。とても手錠を壊せるような力持ちには見えない。だってあの手錠は、銃で撃っても壊れなかったのだ。なのに、あの子はやすやすと、軽々と、こともなげに外してみせた。まるで飴細工を壊すかのように。
心臓が、ばくばくと音を立てている。
呼吸が苦しい。でも、助かった――?
そうだ、僕は助かった!
そう思って、爆弾に目をやる。
ディスプレイの数字は、五、四、まだ動いている。
まだ、動いていた。
「あっ」
そうだ、手錠が取れたのだから、逃げなきゃ。
そんなことを思っているうちに、目の前で爆弾が炸裂した。
真っ白な閃光の直後、目を焼くオレンジ色のフラッシュ。ぼうんと大きな力のうねりのような物が体にぶち当たり、腹を象に踏まれたかのような圧迫の直後、顔面にボーリング玉が当たったような感触がして視界が潰れた。
目が見えなくなり、鼓膜がぱす、という音を最後に体内の音しか聞こえなくなった。内臓が悲鳴を上げ、身体中の液体が口からこぼれ出るかのような感触がして身体がくの字に折れ曲がる。
かと思うと身体中に砂を投げつけられたかのような感触がして、直後体の前面が焼かれるような痛みに貫かれた。前歯が上下ともに砕け散り、舌が下顎に縫い付けられる。右肩から先の感覚がなくなり、星がちかちかするような感覚に変わった。
下顎が喉に埋まり込んで、呼吸ができなくなり、足がひしゃげて身動きが取れなくなる。数瞬後、背中が何かものすごい硬いものにぶつかって、体内で背骨が砕けるぼごっという水音が脳に響いた気がした。
ばー、と僕は言った。
もちろん『ばー』と言いたかったわけじゃない。それしか音が出せなかったのだ。身体中が痛くて、さっきと逆に、早く死なせてくれと思った。こんな痛い思いをするくらいなら、自分の人生の意味なんてどうでもいいから、さっさと電源を切って欲しいと思った。
でもそのお願いは言葉にできなかったし。
多分土下座は、二度とできない。
心優しいサラリーマンが爆死する話( ; ; ) 渡柏きなこ @otennbaotoko
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